その部族に関して、当然、異言語なので何を話しているのかは分からないが、一つ重要な特徴があった。
声、発声が異様に美しいのだ。老若男女を問わず、誰もが少し発声するだけで、部族以外の人間は足を止めてその声に聞き入ってしまう。それくらい美しい。よく今の今まで発見されなかったなと思う。
私は文化人類学的視点から彼ら部族の調査隊に任命された。他にも言語学、社会学などの専門家数名とともに、研究パーティでこの部族の暮らしにお邪魔させていただいているが、皆、考えることは同じらしい。
特に、今、まさに目の前で、女性二人の会話を聴かせていただいているが、そのあまりの美しさからか、私の助手は涙を流して聴いていた。しかしそれも全くおかしな話ではなかった。
この部族のことを知りたい、この美しさの根源を知りたい、2人の会話を聴きながら、いや、その美しき声に包まれながら、私は決意を新たにする。私は自分の目をぬぐう。気づけば、私の瞳は濡れていた。
さて、ここで視点は部族側へと切り替わる。つい先日、長老より学者だかなんだかの研究調査が入ると連絡を受けた。特に生活に支障をきたさない約束だったので、皆、受け入れた。
しかし不思議だ。私は今、お隣のキヨモトヨシエさんと駅前のスーパー「ナカモト」にて、明日、豚バラブロックが特価で売られる話を共有しているだけなのに、眼の前の異国の研究者はなぜ号泣しているのだろう?
聴けば、他の人たちも同じ気持ちらしい。うちの娘達も早口言葉を言い合っているだけなのに、号泣しながら拍手をされたと不思議がっていた。
---
我々人間は、相手に危害や被害、損失を明確に与えない限り、基本的には何を言うことも、思うことも、ある程度は保証されている。つまり、他人の発音の美しさに感涙するのも自由だし、近所のスーパーが特売だと周囲に喧伝するのも自由。
「平和」とは、相互に認め合うことを前提に構築される、構造体そのものである。
【相互理解】