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第二章

好きな人のことだから、知りたいんです

「サトーちゃん、今日は先輩いないんだね」

「あ、うん。忙しいみたい」

「そうだよね、四年の先輩ほとんどいないもんね」



 新年度が始まってしばらくすると、先輩たちは就活以外でもいろいろと忙しいらしく、サークルへの参加者は少なくなっていた。


「私たちも二年後は就活かぁ、どうなるかなぁ」

「私は院への進学狙い」

「え、そうなの? 蘭ちゃん凄い」

 私はまだ将来のことを具体的に決めかねている。

「紫穂ちゃんは?」

「私は家を出て遠く……都会へ行きたい」

「えぇ、都会って東京ってこと?」

 ここもそこそこの都会だと思っている私には、東京なんて考えられないな。

「やだ、遊べなくなっちゃうじゃん」

「まだ先の話でしょー」

「まぁそうだね」

 そう、私たちにとってはそれはまだまだ先の未来の話で。



「それで、サトーちゃんは今日は先輩んちへ行くの?」

「えっと、まだ連絡ないから今日は行けないかも」

「ふぅん、寂しいね」



 あの後ーー告白がうまくいった後、私と氷室先輩が付き合っていることをこの二人には伝えたくて、でもどう話そうかと悩みに悩んでいたのだが。

 二人にはとっくにバレていたらしい。



「えっ、いつから知ってたの?」

 二人は目を合わせて、優しい笑顔を見せた。

「最初から、って言いたいけど途中からかな、いろいろ悩みを聞いてるうちに、これはサトーちゃんの話だなってわかってね」

「相手が氷室先輩だってことも?」

「うん、時期を同じくして先輩の雰囲気も変わってたからね」

「そう……なんだ」

 なんだか恥ずかしいけれど、知っていて応援されていたことがとても嬉しい。二人のことだから変な目で見られることはないとは思っていたけれど、少しは距離を置かれることも覚悟していたから。


 その後は自然に、サークル内でも知る人が増えて今ではほぼ公認となっており。

 それというのも、先輩が他人の目を気にせずちょっかいを出してくるようになったからで。

 ただでさえ目立つ先輩なのだから、もう少し自重をして欲しかったのだけど。

「何がダメなの?」

 なんて可愛らしく言われたら。

「ダメじゃないです」

 これが惚れた弱みと言うものだろうか。


 おそらくは、人気者の先輩を射止めた私の方への風当たりが強いだろうから、私がしっかりしていればいいことで。

 もしも先輩に何か言う人がいたら、私がしっかり守ってあげなきゃって身構えていたのだが。


 なぜだろう、何事もなく日々が過ぎていき、なんなら祝福ムードさえあったりして。

「それは相手がサトーちゃんだからでしょ」

「え、なんで? 私なんて先輩とじゃ不釣り合いだと思うよ」

 自分の容姿も人格も、普通だと思うのだ。何かに秀でているわけでもないし、たいして面白い人間でもないのに。


「まぁ、そういうとこだよね」

「ゼミが一緒の子も先輩のファンクラブ入ってるって言ってたけど、サトーちゃんなら許せるって言ってたよ」

 えっと、喜んでいいのかな? いいんだよね。争い事なんて、ない方がいいに決まってる。


「それに、私はお似合いだと思うよ」

 蘭ちゃんの言葉に泣きそうになったことは内緒にしておこう。


 帰り道、スマホに通知が来ていることに気付いた。

『家にいるから、来れたら来て』

 やった! 今日は会えるんだ。


 去年は二人でよく歩いた道を、今は速足で歩く。あぁ早く会いたい。






「あ、早かったのね」

 ドアを開けてくれた先輩は、いつも通りのポーカーフェイス。

 先輩に早く会いたくて最後は小走りになって今も少し息が切れてる私は、そのまま素直にそう伝えた。

「え、走るのはいいけど転ばないでよ」

 走ったら転ぶっていう発想って?

「子供じゃないです」

 膨れてみせたら、ふふっと笑ってくれた。


「先輩、会社訪問だったんですか?」

 キッチリとしたスーツ姿の先輩は、いつにもまして大人っぽくて、控えめに言っても。

「かっこいい」

 口に出すつもりはなかったのに、つい。

「まぁ、そんなところ。お腹空いたなぁ」

 私の呟きには反応せずに、キッチンへ向かう。

「忙しかったんですね」

 まだスーツを脱いでいないってことはもしかして。

「先輩、いつメッセージくれたんですか?」

「家へ向かうバスの中」

 なんだ、先輩だって早く会いたかったんじゃん。たぶん言ってはくれないだろうけど。

「スーツのままご飯の準備?」

「エプロンすればいいでしょ」

 スーツにエプロン姿、それは是非見てみたい。

「どう?」

「これは……反則です」

 鼻血が出るかと思った。

 クスッと笑って、これはかなりご機嫌な先輩の顔。

「でも先輩、レンチンするだけじゃないですか」

 先輩が冷凍庫から取り出したものを見つめる。

「だってこのパスタ美味しいんだよ」

「それは知ってますけど」

「ほら、天寧の分も買ってあるんだから」


 先輩の部屋の冷蔵庫には、今まで飲み物しか入っていなかった。何を食べているのか聞いたら、冷凍庫を開けてコレ! と自慢げに答えた。数々の冷凍食品はレンジで温めるだけで美味しい料理が完成する。

 私も一緒にいただいたけど、確かに美味しい。それでも栄養のバランスとか考えると心配になる。先輩の部屋のキッチンを使ってもいいとの許可を貰ったので、食材を持参して私が作ることもある。たいした料理じゃないけど先輩は「美味しい」って言って完食してくれる。


 しばらく会えていなかったので、今、冷蔵庫の中は飲み物だけだ。明日、何か買ってこよう。

「ねぇ先輩、やっぱりスーツ脱いだ方がいいですよ」

「え、何で?」

「私が脱がせたいからです」

 先輩を見つめる。たぶん私の気持ちは伝わっている。

「ダメですか?」

 返事を聞く前に唇を塞いだ。





「あ、雨降ってきちゃったね」

「帰る頃には止むかなぁ」

「梅雨だからしょうがないよね」

 いつもの部屋でいつもの三人でのお喋りに、声をかけてきた人がいた。


「相変わらずそこの三人は仲がいいなぁ、うっす、久しぶり!」

「あ、伊藤先輩お久しぶりです。その顔は、もしかして内定出たんですか?」

「あれ、わかっちゃった? 実はそうなんだ」

 誰がどう見ても満面の笑みで頷いたこの人は4年の先輩で、誰にでも気さくに声をかけ、サークルの中でもリーダーシップを取っていた。

「おめでとうございます」

「会社名は……聞かない方がいいか、何系なんですか?」

「大阪の外資系だよ」

「えぇ、凄い」

「大阪⁉︎ 先輩、詳しく聞かせてください」

「え、あぁ、おう」

 紫穂ちゃんは都会に憧れているらしく、先輩にいろいろ質問し始めた。


「ねぇ氷室先輩はどうなの?」

 蘭ちゃんは小声で私に聞いてきた。

「それが、わからないんだよね、そういうこと話してくれなくて」

「そうなんだ、なら近くに就職するつもりなのかな」

「どうしてそう思うの?」

「だって遠くに行くなら相談くらいするでしょ、恋人に」

「遠く……」

 そうか、就職先次第では今まで通り会えなくなるのか。


「氷室は引くてあまただからな」

「えっ」

 伊藤先輩の言葉に、三人とも注目した。

「優秀過ぎてあちこちから誘いが来てるって噂だよ、なんでも海外からも来てるっていうから、ってオイ、佐藤大丈夫か?」

 海外……そんな話聞いてない。というか、そもそも就活の話をしてくれない。私に相談したところでどうにもならないとは思うけど、知らないことが多すぎて。

 涙を堪えるのに必死だった。

「いや、あくまで噂だからな」

「あ、はい」


 帰る時間には小雨となっていた。

 私は鞄から折り畳みの傘を取り出した。先輩と傘をさして帰った日のことを思い出していた。

 スマホにはなんの通知もない。

 今日は会えないのかな。

 スマホにはなんの罪もないのに、しばらく睨み続けた。


 そして、私は思いを込めてメッセージを打ち込んだ。

『先輩、今日会えますか?』

 すぐに消した。


『先輩、会いたいです』

 送信ボタンを押した。






 返事は来なかった。

 私が送ったメッセージには既読すら付かなかった。

 夜になっても、翌日の朝になっても、次の日にも。

 そして一週間が過ぎた。


 いつものようにサークルの部屋へ入るとザワザワしていた。

 人だかりができていて、その中心に氷室先輩がいた。

「なんで?」


「あ、サトーちゃん、やっと来た」

 誰かが私を見つけて、一瞬の静寂があった。


「フランスのお土産貰っちゃった」

「先輩、サトーちゃんのこと待ってたよ」

 私が呆然としていたためか、外野が色々説明してくれた。

 先輩は海外から帰国してお土産を振る舞って、今日は久しぶりにサークルへ参加するとのこと。

「そう……なんだ」



「どうしたの?」

 帰り際、心配そうな顔をして先輩が近づいてきた。

「知らなかったです」

「ん?」

「フランスって」

「あぁ、急だったの」

「だからって」

「一週間会わないことなんて普通にあるじゃない」

「そういうことじゃない、あっ」

 つい大きな声が出てしまって、注目を集めてしまった。

「ごめんなさい、私」

 どうかしていた。昨日までの不安や、今目の前にいる先輩への安堵や、何も話してくれない憤りや色々な感情が混沌としていた。

「帰ろうか」

 先輩は戸惑っている私の手を取って歩き出した。

「ちょ、先輩」

 みんなが見てるからっ、やめて欲しかったけど手は解いてくれなかった。

 こういう無理やりなのは初めてかもしれない。

 バスの中で隣に座った時にも手は繋いだまま、それでも何も会話はなく無言だった。


「お土産のチョコ、食べるでしょ?」

 先輩の部屋にやってきてソファに座った。

「結構です」

 今はチョコ食べる心境じゃない。

「なんで、こんな顔してるの?」

 先輩は私の眉間を容赦なく触ってくる。

「元々こんな顔です」

 今度はほっぺを横に引っ張る。

「痛いっ」

「メッセージは帰国して気付いたの、だからサークルへ行ったのよ、早く会いたくて」

「それは、わかってます」

「私がいなくて寂しかったの?」

「それもあるけど、そうじゃなくて」

「なぁに?」


「先輩、聞いてもいいですか?」

「いいよ」

 先輩はしっかり目を合わせてくれた。

「海外からもオファーがあったって聞いたんだけど、フランスに行っちゃうの?」

「行かないよ、フランスも他の海外も。実際に行ってみて、違うって思ったから断ってきた」

「なら、まだ就職先は決まってない?」

「いや、決まったよ。今日返事して正式に内定出た。東京の会社」

「東京……」

「元々第一志望だったし、条件も良かったからね」

「そう……なんですね、私、何も知らなくて」

「そうね言ってなかったね、天寧には特に言う必要ないと思って」

 必要ない? そりゃ先輩の就職先だもん先輩の希望が一番だし、それに反対するつもりもないけど。

 必要ない? えっもしかして別れるつもりなの? それなら何も話す必要はないよね、え、どうしよ。


「どうしたの、何で泣くの?」

「やだ、先輩に会えなくなるの、いやだよ、別れたくない」

「会えるでしょ、何で別れる話になってんのよ、ほらもう、涙だけじゃなく鼻水まで出ちゃってるよ、しょうがないなぁ、おいで」

 先輩は、泣きじゃくる私をすっぽりと抱きしめ、泣き止むまでそのままでいてくれた。





「落ち着いた?」

「はい」

 私はぐちゃぐちゃだった顔を洗い、先輩はぐちゃぐちゃになった服を着替えた。

「では一個ずつ確認しようか」

「はい」

「誰が別れるって?」

「だって東京に引越したらそう簡単に会えないし、先輩きっといろんな人に言い寄られるだろうし、遠距離恋愛なんて出来る自信ないし」

「ふぅん、そうなんだ。天寧の私に対する気持ちはそんなもんなんだね」

「え、違っ、私はどんなに離れたって好きでいる自信あるよ、でも先輩、私に何も言わなかったし、私なんてさっさと切り捨てられるんだと思って」

「それで号泣したの?」

 先輩は心底呆れたような顔をした。

 私は、いたたまれなくなって俯いた。

「いい? よく聞いて。まず、別れないし」

「はい」

「引っ越さないから」

「へ?」

「ずっとここにいる」

「だって、東京」

「週4日はリモートでいいって言うし、出社もフレックスでいいらしいから。東京なんて2時間あれば着くでしょ」

 空いた口が塞がらなかった。まさか、ここから東京へ通うなんて思わなくて。

「今まで通りここで会えるから、だから天寧に言う必要ないかなって」

「私のために?」

 時間かけて通うの? たとえ週に一度だとしても大変なことに違いはない。

「いや、単に引越しが面倒だからさ」

 え……あ、そう。


 なんだかホッとしたら力が抜けた。また一人で空回りしてただけなのか。

「誤解も解けたみたいだから、チョコ食べる?」

 先輩は包みから取り出したチョコを顔の前に差し出す。何故か嬉しそうな顔をして。

 私が口を開けるとホイっと食べさせてくれる。今日初めて見る笑顔だ。

 甘いなぁ、口の中で少しずつ溶けていくのを感じながらーーふと違和感を覚える。


「でも先輩」

 チョコを全て飲み込んでから口にした。

「ん?」

「先輩がもっといろいろ話してくれてたら、シャツを私の涙で汚すこともなかったのに」

 先輩は言葉が少ないから、後で、そうだったの? って驚くことが多すぎる。


「聞いてくれたら良かったのに」

「聞いたら教えてくれますか?」

「もちろん」


「なら、先輩のこと教えてください」

「私のこと?」

「幼い頃どんな子だったとか、好きな食べ物やどんなことして遊んでたとか、初恋はいつだったとか……先輩のことなら何でも」

「なんでそんなこと」

「好きな人のことだから、知りたいんです。少しずつでいいから話して欲しい」

「ん、わかった」

 やった! 私が喜んだからか、先輩も口元を綻ばせ、もう一つチョコを食べさせてくれた。


 うん、やっぱり甘い。


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