「久しぶりね……あれ?」
私よりも少し遅れてカフェにやってきたこの人は、会うなり私の顔をじっと見る。
「ん、久しぶり……なに、何か付いてる?」
顔をあからさまにジロジロ見られるのは好きじゃないから、思いきり嫌悪感を見せたのだけど、この人には通じない。
「いや、化粧でも変えたのかと思ったけど、違うね」
「特に変えてないわよ」
「そうね、なんとなく雰囲気が違うと思ったんだけど。で、今日は会社へ挨拶だったの?」
「そう、近くへ来たから」
「へぇ、珍しい。そんな理由であんたが私に会いに来るなんて、何かあった?」
確かに、私からこの人を誘うことは今までほとんどなかったかもしれない。
仲が悪いわけじゃなく、誘われるばかりだったから。
なにかと構ってくるこの人のことが、私は嫌いじゃない。
口は悪いしズケズケとものを言うし傷つくこともあるけど、全て私の事を思ってくれているのだとわかっているから。
ただ、私も素直じゃない。
「ここのパンケーキが美味しいって聞いたからよ」
「ふぅん……確かにめちゃくちゃ美味しいけどね」
わかっていると思うけど。
「ちょっと! シロップかけ過ぎじゃないの?」
「いいじゃない、別に」
「相変わらず甘いの好きねぇ、糖尿病になっても知らないわよ」
「私のお母さんなの?」
「お姉ちゃんですが、なにか?」
「あ、そうだったね」
そう、この人は私の姉。4つ上だから26歳か。東京で一人暮らしをしている。
私が中学生の時に両親が別居し、私は母親の実家へ越したが姉は高校生活のために父方に残りそのまま両親は離婚となった。かれこれ10年離れて暮らしてはいるが私と姉との交流はこうして続いている。
というか、こんな私に関心を持って接してくれるのは姉くらいなものだ。
「こっちに就職したなら越してくればいいのに」
「引っ越しなんて、面倒だもの」
「そんなの業者に任せればいいでしょ」
「そういう手続きも面倒なの」
「本当に? 向こうに残りたい理由があるんじゃないの?」
ニヤニヤしながら、そんなことを言う。
昔から、この人には敵わないのかもしれないなと、ぼんやり思う。
「そんなことよりさぁ」
パンケーキを頬張りながら話題を変える。
「なによ」
「私って、昔はどんな子供だった?」
「は? 何よ突然」
「え、なんとなく……」
「そうねぇ、可愛げがなかったわよ。まぁそれは今も、だけどね」
「ぜんぜん、かわいくない」
「素直じゃない」
子供の頃に姉によく言われた。
周りの人が、大人が、同級生が、初めて会った人が「可愛い、綺麗」と言うが、それは見かけだけの話。
私に近づいてくる人たちは、少しだけチヤホヤして、そして離れていく。
それはきっと、私がつまらない人間だから。
そんな私の事を知りたいと言う。
好きだから知りたいと……
知ったら、貴女も離れていってしまうの?
貴女だけは違うの?
私が初めて手を伸ばして、手に入れた宝物。
「あま……ね」
「ん? どうした?」
姉が不思議そうな顔をしていた。
「あ、甘いなって」
「だから、シロップかけすぎって言ったのに」
「だって好きなんだもん」
私が生まれた家は、わりと裕福で母は専業主婦だった。子供の頃は何も言ってなかったが、資格を持っている母は本当は働きたかったらしい。父がそれを許さなかったという。
家に帰れば母がいて、おやつも手作りで、習い事の送迎も欠かさない。子供にとっては理想だけれど、ほぼワンオペだった。
父は平日は夜遅く帰ってきて、休日は出掛けているか自室に籠っている。
父との会話はほとんどない、父と母の会話も皆無だった。
だから、別居も離婚も驚きはしなかったし、まぁそうだよねと納得した。
母は離婚後、資格を生かし就職した。ブランクがあったため給料は低いらしいが楽しそうにしている。
子供に対しては放任主義といえば聞こえはいいが、あまり関心がないようだった。必要な事以外は口出しすることもなく、好きなことをさせてくれる。進路の相談も「したいようにしていいよ」と言ってくれたから、私はこれ幸いと家を出て一人暮らしをさせてもらっている。
姉は、両親の離婚の時にはもう成人していたので、親権云々は関係なく、都会で自立し気ままに暮らしている。
子供の頃の私は、姉が言うように可愛げはなかったと思う。元々の引っ込み思案な性格もあり、人見知りし笑わなかったこともあるが、笑顔どころか泣いたり怒ったりという感情そのものが少なかったように思う。
それでもーー無表情でも、顔立ちが整っているだけで、近づいてくる人はいて。
この子なら友達になれるかも、この人なら信頼できるかもと思って心を許したなら。思っていたのと違うと言われ離れていったり、陰で悪口を言われたりする。そしてまた、私は人が信じられなくなり無口になっていた。
姉は私と違って社交的で、友達もたくさん作っていた。
友達の出来ない私に、あれこれアドバイスをしてくれていた。
「自分から話しかけなきゃ」
「怖がってちゃダメ」
何度も言われていた。
あれは、小学3年生の遠足だったか。
勇気を出して、ある女の子に「お弁当一緒に食べよう」と言った。
「いいよ」と、その女の子は言ってグループに入れてくれた。
公園の芝生に五人が円になって座ってお弁当を食べた。みんなが話したり笑ったりするのを見ながら食べた。
その夜、熱が出た。
同じようなことが何度かあり、蕁麻疹が出たこともあった。
「ごめん栞菜、もう無理しなくていいよ。誰かに何か言われたら私が守ってあげるから」
そう言って、お姉ちゃんが抱きしめてくれた日から私は頑張るのをやめた。
自然体でいようと決めた。
元々本は好きだったし、一人で静かに過ごすには読書はちょうど良い趣味で、次第にのめり込んでいった。
学校でも休み時間には本を読むことが多かった。
声をかけられれば適当に相槌を打ち、少し微笑んで見せれば反感を買わずに過ぎていく、表面だけの関係性。
それでいい、それがいい。
私の薄っぺらな人生、このまま順調にいくと思っていた。
小学生も高学年になれば、誰がかっこいいとか気になるとか、誰が誰を好きだとかーー私は全く興味ないけどーー女子だけの会話の中心はソレだった。
いつからか、私は誰からも声をかけられなくなっていた。自分からも話しかけないから孤立していく。
ある日、見かねた先生が話しかけてきた。あぁ、面倒くさい。
先生は他の子にも聞き取りをしたみたいで、どうしてこの状態になったか教えてくれた。クラスの中心の、とある女子に好きな男子がいてアプローチをかけたが相手にされなかった。その男子は私のことが好きだからと。
馬鹿馬鹿しい。
先生は何とかしようとアレコレ喋っていたが、どうでも良かった。黙って聞き流し、早く帰って本でも読もう、それだけを考えていた。
状況は変わらず一ヶ月ほど過ぎ、私は風邪をひき学校を休んだ。症状が案外長引いて一週間休むと、なんだか学校へ行くのが億劫になっていた。どうせ卒業まであとひと月だ。
先生が家庭訪問しに来たり、母も「あと少しだから」と説得するけど、私は学校へ行かなかった。行けなかった。
母は母で、父との関係に限界を感じていた時期だったので、私の中学入学をきっかけに別居を決意した。
私は母の実家近くの、田舎の中学へ通うことになった。
祖母は既に亡くなっていて、祖父が一人で暮らしていた。
「栞菜、よく来たなぁ」
目尻の下がった笑顔で歓迎してくれた。
「こんな田舎だけどな、この前コンビニが出来たんだぞ、家からだと自転車で15分くらいだな」
自慢げに言い切っている。
「おじいちゃん、本屋さんってある?」
私にとっては、コンビニよりも重要なもの。
「おぉ、本屋なら歩いて10分だ。おじいちゃんもよく行くんだ、一緒に行くか?」
「行く」
祖父が連れて行ってくれた本屋さんは個人経営の小さな書店だったが、新刊もあれば古典文学もあったり、ジャンルも幅広かった。私が店内で本を眺めている間に、祖父と店主は将棋を始めていた。
よく行くって、将棋目当てなのか。納得だ。
おかげでゆっくりと過ごす事が出来た。
「栞菜、まだ勝負つかないから先に帰ってていいぞ」
「はい」
舗装されていない砂利道を歩く。
真っ赤な夕日がやけに大きく見えて、私はこの街に歓迎されているように感じた。
この本屋さんは、一年後に閉店するまでの間、私の癒しの場所となった。
「紅茶、お代わりする?」
姉の声で我にかえる。
「あ、うん。お願い」
「あの時は心配したんだよ」
「え?」
いつもはガサツなくせに、ふいに優し気な声で驚いた。
「栞菜が不登校になるんじゃないかって」
「あれは……ちょっと風邪が長引いただけで」
「そうだね、心が風邪ひいたのかもね。あ~でも、私もおじいちゃん家で暮らしたかったなぁ、栞菜楽しそうだったし」
「うん。おじいちゃんも、祐菜にも会いたいって言ってたよ」
「せっかく猛勉強して入った高校だったからさぁ、転校出来なかったんだよね」
あの街は、こんな私にも優しかった。
ゆっくり流れる時間のせいか、大人も子供も大らかな雰囲気をまとっていた。
素朴な、裏表がない子が多かったように思う。
「よし、今度一緒におじいちゃんに会いに行こう、そうしよう」
それは既に決定事項のようで、一人で盛り上がっていた。
「ねぇ、今日はもう帰るの? うちに泊まってもいいよ」
「いや、帰るよ」
待っている人がいるから……とは言わなかった。
「そう、ならここは奢るね」
「ありがと」
二人でレジへ向かう。
「あっ」
「どうした? あ、さっきのパンケーキのシロップ売ってるんだね」
「買おうかな」
「よっぽど気に入ったんだね」
「良かったら、生地とセットのものもありますよ」
店員さんのオススメは、家庭で簡単に作れるミックスの生地とシロップのセットだった。
「お土産に買います」
と言ったら、目を丸くした姉の顔がチラッと見えた。何か言いたそうにしていたが、先に会計を済ませた。
「ねぇ、栞菜」
お店を出て駅へ向かう途中で、やっぱり聞いてきた。
「料理とか出来るようになったの?」
「えっ?」
「パンケーキ、焼けるの?」
「混ぜて焼くだけでしょ? 出来るわよ、たぶん」
「ふぅん」
「なによ」
「お土産って言ってたし、誰かが焼いてくれるのかなって思っただけよ」
なかなか鋭いな、別に隠すつもりはないけど、恥ずかしさはある。
「まぁ、失敗するより誰かに焼いてもらった方が美味しく食べられるかもね」
「そうよね」
もっと突っ込まれるかと思ったけど、何も言われず駅へ着いた。
「じゃあね」
「うん、また」
別れ際、また無言でジックリと顔を見られた。
「なんなの?」
「やっぱり、雰囲気がちょっと変わったよ、うん、いいね」
やはり、一人で納得していた。
「先輩、おかえりなさい」
家へやってきた彼女は満面の笑みだった。
「ただいま」
家で迎える私が「ただいま」とは? 逆のような気がするが、彼女は全く気にしていないらしい。
「ねぇお腹空いてる? お土産買ってきたの」
なになに? と嬉しそうに袋を覗き込む。ふわっと香る彼女の匂い。
「パンケーキ?」
「うん、美味しかったから。天寧、食べる?」
じっと見つめられた。
「先輩が焼くの?」
「やっぱり難しいと思う? 料理もろくに出来ないのにスィーツなんて無謀なーー」
「食べたい!」
「えっ」
「先輩が焼いたパンケーキ、絶対美味しいから」
なんでそんなに自信満々なのだろう?
「あとね、先輩が食べる分は私が焼きたい」
いい? 真っ直ぐ見つめられた瞳はキラキラ輝いていて。
あぁ、こういうところかと納得した。
彼女は慎重にナイフとフォークを使って一口大に切り分けた。私は、お気に入りのシロップをかけてあげた。
モグモグと咀嚼して、そして飲み込む。一呼吸の後、美味しいと目を細めた。
「ほんとに? 無理してない?」
「何言ってるんですか、先輩も私が作ったの食べてくださいよ」
「うん、もちろん」
天寧が焼いたパンケーキはもちろん美味しい。
「お店で食べたのとどっちが美味しいですか?」
「こっち」
「でしょ! 焼きたてですからね。あと隠し味も効いてますね」
ふふっと笑いながら、パクパクと食べすすめている。
「何入れたの?」
「そんなの決まってるじゃないですか」
フォークに刺したパンケーキを差し出して、あーん! ってするから、私が焼いたものを食べてみた。
見た目はイマイチだけど、味は美味しい。
「愛情が入ってるから美味しいんです」
だから、そういうところ。
真っ直ぐに自分の気持ちを伝えてくる、自信満々でキラキラしている。私にはないものを持っているから輝いてみえる。
「天寧」
「なんですか?」
「……このシロップ、甘過ぎない?」
「大好きですよ」