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だって欲しいと思っちゃったんだもん

『ちゃんと美味しかったよ』

 写真も添付してメッセージを送り、自分で焼いたことを自慢した。それと、今日はありがとうと、お礼も書き添えて。


 姉から、びっくりした猿のスタンプが送られてきたのは、ベッドに入って寝ようとしていた時だった。余程驚いたのか、そのすぐ後に電話がかかってきた。

「凄いじゃない、ちゃんとパンケーキに見えるし」なんて言うから、ふっ、と笑ってしまった。

「まさか、一人で焼いたわけじゃないわよね?」

「まぁ、教えてもらいながら……ね」

「そう……それは良かった、今回は大丈夫そうな気がするよ」

「え、何がよ」

「あんたの恋愛の話よ、今までは長続きしなかったでしょ? 今回はきっとうまくいく」

「予言者なの?」

「お姉ちゃんですが何か」



 私は中学を卒業後、居心地の良かった田舎街を出て都会の高校へと進学した。

 祖父は寂しがったが、ずっと甘えているばかりではいけないと思ったし、早く自立したかったから。

 進学校だったので、あまり他人に干渉する子は少なくて、過ごしやすかった。

 二年に進級した頃からポツリポツリと告白をされるようになった。ずっと断り続けていた。「好きだ」とか「付き合って欲しい」と言われても、話したこともないよく知らない人だったから。

 ある時、いつものように「あなたの事よく知らないから付き合えない」と言ったのに、その人は「だからだよ」と答えた。

「よく知らないから、知るために付き合うんだよ」と。

 納得した、なるほどなぁと思ってしまった。そして私は初めて、付き合い始めた。

 今、思い出そうとしても、ほとんど顔も覚えていないその人とは三ヶ月でお別れをした。会ったのは数回だと思う。

「やっぱり合わないね」と、その人は言った。私もすんなり受け入れた。

 それからの私は、告白される度にyesと返事をしお付き合いを始めた。時には求められるまま受け入れ、そして別れを繰り返した。

 別れ際は、綺麗なものだ。多少の寂しさはあっても揉めることもなくサヨナラした。

「あんた、もう少し選んだら? 誰でも彼でも受け入れてたら傷つくのは自分だよ」

 当時、姉に言われた。

 私は傷ついているのだろうか、よくわからなかった。選ぶ基準もわからない。

「なんかこう、ピンとくる人はいないの?」

 いない……


 来るもの拒まず去るもの追わず。


 それが私だった。


 天寧に会うまでは。





※※※


「なぁ、あの1年の子、良いよな」

「え、ちょっと地味じゃね?」

「素朴な感じが良いんだよ」

「あぁ、おまえの好みかぁ」


 サークルの先輩の会話が聞こえてきて、視線の先の女の子が目に入った。

 あっ、あの子! たまにバスで一緒になる子だ。

 他の乗客はだいたいスマホを見ていて俯いているのに、あの子は顔を上げているから目立つ。本人は何か考え事をしているのか、ぼーっとしていて、目立っていることに気付いていないのだけど。

 そっか、文芸サークルに入ったのかぁ。


 その数日後、私がバスに乗り込むとあの子が座っていてこちらを向いた。そしてニコッと微笑んで小さく手を振った。

 ハッとした。心臓の拍動が感じられる程に。

 手を振り返そうとした時、その視線が私の前を歩く親子の、小さな女の子に向けられているのに気付いた。

 そっか、そうだよね。

 勘違いの恥ずかしさに顔が熱くなった。それでも、あの笑顔が頭から離れなくて、たまに同じバスに乗った日にはつい視線を向けてしまっていた。



 その日、サークルでは私が書いた作品が読まれた。

 つい先日、感情の赴くまま書き殴った文章だった。きっと読んでも、誰にも私の気持ちはわからない、そんな文章だった。

 珍しく長く続いた恋人と別れた直後だったからなのか、別れ際に言い放たれた言葉が、抜けないトゲのように引っかかっていたからなのか。


「君のためを思って言うんだけど、もう少し愛想良くした方がいいよ」

「恋人として連れ歩くには良いけど、ずっと一緒はしんどいんだよ。つまらないっていうか、なんだか居心地が悪いんだな」


 君は欠陥品だと言われたような気持ちになった。確かにそうなのかもしれない。相手の気持ちに寄り添う事が苦手だから、私はつまらない人間なんだと思う。


「何言ってんの、そんなことない! 誰がそんなこと言ったの?」

 と、怒ってくれたのは姉だけだ。



「悲しい事があったんだなと思いました」

 私の文章を読んで、あの子ーー佐藤さんは言った。

 悲しかったのだろうか、悲しいという感情が私にも人並みにあるのだろうか。

 いつの間にか一人になった部室で考えていた。

 あの子はどうして……



「あっ」

 突然声がして顔を上げたら、その本人がいた。




 あの子も驚いたみたいで、スマホを忘れたと言ったきり、固まっている。

 部屋には二人きり、しばらく見つめ合っていた。

 まさか私が、今の今まで自分のことを考えていたなんて知る由もないだろうけど、なんだかバツが悪い。何か喋らなきゃと思うのに、普段話さないから何を言えばいいのかわからない。

 あ、そうだ! スマホを探そう。


「番号」

「え?」

 あぁ、コミュニケーション能力のなさよ。

「電話番号言って」

 どうしてこう、ぶっきらぼうになってしまうのか。人見知りといえど言葉が足りなさすぎる。こういうところが冷たいと思われるんだって、姉にも散々言われている。


「あぁーー」

 ようやく理解してくれたようで番号を教えてくれた。

 私のスマホに打ち込んで通話ボタンを押す。



「あ、ありました、ありがとうございます」

 あの子がスマホを見つけ、ほっとしたような笑顔で振り向いた瞬間、私の体が動いた。

 あろうことか、何も言わずにキスをしてしまったのだ。


 後から冷静に考えれば、大変なことをしたと思う。

 ただ、その時は思ってしまったのだ。

 この子が欲しいと、あの笑顔を私に向けて欲しいと、切実に。

 自分から何かを欲しいと思ったことが今までになかったから、どうすれば良いかわからなくて、いろんな過程や言葉をすっ飛ばしてしまった。

 そして、触れた瞬間にまた、思ってしまったーーもっと欲しいと。


 一緒に部屋を出て、一緒に歩き、一緒のバスに乗る。

 もちろん嫌がる素振りがあれば無理強いはしないつもりでいたのに、「来て」と、腕を掴んでいた。

 ハッとして、すぐに離した。


 自分の心がこんなふうに動くなんて知らなくて戸惑っていた。

 それでも今を逃したくなくて、この子を離したくなくて。


 私の部屋へ入った瞬間抱きしめた。

 やっぱりだーー思った通り。

「あったかい」

 体というよりも、もっと奥の芯の方がジワジワと温められる感覚ーーなんだか懐かしい。

 苦手な言葉を重ねなくても、この子ならわかってくれる、そう思ったから。


 私は初めて、怖がらずに人に手を伸ばすことが出来、そして手に入れたとーー勝手にそう思っていた。


 身体を重ねるという行為、そのせいで天寧が悩むことになるとも知らずに。


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