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変わりはじめた自分に、戸惑いながらも嫌いじゃない

「先輩」

 バスから降りてきた天寧は、嬉しそうに小走りで近づいてくる。

「迎えに来てくれたんですか?」

「雨が降りそうだったからね。天寧、傘は?」

「これくらい大丈夫ですよ」

 先ほどから降り始めた雨は確かに弱かったけど。

「先輩の傘に入れてもらうし」

 だめですか? なんて首を傾げている。

「いいよ」

 そう言って二人で歩き始めた。

 元々、私もそのつもりだったのだから。


「でもこの傘、元々は天寧のだよ?」

「え、あぁ。いいですよ、先輩に使って欲しいってこの傘も思ってると思うから」

 相変わらず嬉しそうな天寧の横顔が見える。


 もしかしたら、あの時の事を思い出してるのかな?

 結局この傘は、今も私の鞄の中に収まっている。


「何よ、それ……」

 少しくすぐったくなる。



※※※


 週に一度のサークル活動の日、時間通りに行くと1年の女子三人が集まってお喋りをしていた。その中に彼女もいたーー佐藤天寧ーー私の恋人。


 初めての時はガチガチに緊張していたようだった。私の方も女の子を抱くのは初めてだったから戸惑いもあったけど、抱きしめると柔らかくて温かいから、自然に触れることが出来た。相手を気持ち良くさせるというよりは、自分の欲望のまま触れていた気がする。こんなにセックスが心地良いものだって思ったのは初めてかもしれない。

「もしかして、初めてだった?」

 彼女の振る舞いで、そう思ったのだけど。

「そ、そんな訳ないじゃないですか」

 と、否定されザラリとした感情が芽生えた。

 私は彼女を満足させられたのだろうかと心配にもなった。

 それでも、次の週にも同じように来てくれて愛し合って、私たちの関係は続いている。ただ、最近の彼女はどこか表情が固くて、何か悩みでもあるのではと気になっていた。


 今も、お友達と一緒にいるのにぼんやりしている。

 側を通る時に顔を見ると、やはり落ち込んでいるように見えて思わず声をかけた。

「またボーッとしてる?」

 私の声に反応して見上げた表情に、あぁやってしまったかと思い、すぐに離れた。

 あれはきっと、私との関係を知られたくない顔だ。

 私には良くない噂があるらしい、今までは別に何を言われても気にしていなかったけれど、彼女を巻き込みたくはない。


「ねぇ、氷室先輩と仲良いの? 声かけられるなんて」

「へ、そんなことないよ。たまたまじゃない?」

 友達との会話が聞こえてくる。

 そうそれでいい、私とは正反対の愛されキャラなのだから。




 よく彼女は、みんなに揶揄われる。それは全て好意によるものだ。今日の読書会でも、彼女の作品を甘いだのなんだのと名前をもじっていじられながらも、みんな笑顔だ。

 作品も気持ちの良いハッピーエンドだし、きっと幼少期から大切に育てられたんだろう。

 みんなが好意を抱くのもとても良くわかる。素直で可愛いし裏表もないのだから。

 でも、なんだか……悔しいな。


「氷室はどう思う?」

 感想を振られて、咄嗟に何か言った気がするがあまり覚えていない。

 彼女の目が不安そうだったから、それどころじゃなかった。悩んでるのは、もしかしたら私とのこと? 友達に知られるのが嫌なんじゃなくて、そもそも私との付き合いが嫌なの?


 感想は「甘過ぎーー」とかなんとか言った気がする。私にはこんなハピエンは書けない。彼女は私にはもったいないくらいの子だ。もしも私から離れたいのなら、その方が彼女のためなのかもしれない。でも……


 ふと我に返ると、なんだか雰囲気が一変していた。あれ、またやってしまった? 無神経な一言を言ってしまったのだろうか。


 私の気分と同じで、どんよりとした雲が広がっていて大粒の雨が落ちてきていた。

「氷室先輩? もしかして傘持ってないんですか?」

「どうぞ」

 傘を広げ差し出す彼女。

「いいの?」

 私なんかと一緒にいていいの?


 どうせバス停まで一緒だからと、一つの傘で二人で歩く。私の方が背が高いから片手に持って、もう片方で彼女を引き寄せたかったけれど、グッと我慢した。

 私が降りるバス停へ着く頃には小雨となっていたけれど、送りますと一緒に降りてくれる。期待……しちゃってもいいのかな。


「それじゃ先輩、帰りますね」

 送ってくれたのは彼女の優しさだったのか、そう言って部屋に入らず帰ろうとする。

「待ってーー」


 『帰したくない』という思いが強くなって、肩が濡れてるだの、お風呂へ入ろうだの強引に引き止め、さらには服を脱がそうとすれば。

「いいです。自分で脱げます」

「すぐに出るので入って来ないでください」等と、逃げるように浴室へ去っていった。

 あぁ何やってるんだ、私は。

 でも、逃げれば逃げる程追いかけたくなる。こんなことは初めてだった。


「お風呂、ありがとうございました。雨も止んだみたいなので帰りますね」

 私がお風呂から出るとすぐに、彼女は帰っていってしまった。私は何も言えず見送るしかなかった。




 今日の私の行動を振り返ってみて戸惑った。彼女の言動で私の気持ちがこんなにも乱れ、そして変なことを口走ったり無理強いしたり。

 何してるんだろう、恋愛ってこんなに疲れるものだったっけ?


 それでも……


 いつもと同じ部屋なのに、なんだか静かだった。

 お風呂に入ったばかりなのに、なんだか寒かった。

 抱きしめたい、彼女の温もりを感じたい。切実にそう思った。

 彼女は、どう思っているのだろう。同じように私に会いたいと思ってはくれないだろうか。


 静けさの中で、スマホのバイブの音が響いた。


「もしもし、栞菜?」

「なんだ、お姉ちゃんか」

「なんだとは何よ、誰からの連絡を待ってたのよ」

「あ……」

 期待してたのだろうか、私は彼女からの連絡を。

「自分から連絡すれば良いじゃない」

「え? でも、嫌われちゃったかもしれないし」

「へぇ、なら尚更早く連絡しなきゃ」

「なんで?」

「喧嘩の後の仲直りは早い方がいいのよ、時間が経つと拗れちゃうからね」

「そう……なの」

 喧嘩したわけじゃないけど……ないよね? あれ、なんか不安になってきた。

「お姉ちゃん、用事は?」

「え、特にないけど。元気かなぁって思って電話しただけ」

「じゃ、切るね」

「あ、はい。頑張って」



 思い返せば、彼女とはサークルの日に一緒に帰って来てうちで過ごすだけで、他の日に会ったり、電話やメールをすることはなかった。連絡先を交換することすら、しなかった。

「何やってんだ、私は」

 今日何度目かの自己嫌悪に陥りながら、さっき彼女が出て行った玄関をぼんやり眺めれば、視界の隅に見慣れない物が映った。

 傘を忘れていったらしい。


 私は彼女の番号を表示させた。

 初めて会話をしたあの日、スマホを探すために聞き出した番号だ。




「もしもし」

 どんな反応が返ってくるか、ドキドキしていた。

「せ、せんぱい?」

 かなり驚いていたけれど、声だけで私だと分かってくれたのは嬉しい。

「傘、忘れてったよーーどうする?」

 口実に使った、傘の忘れもの。

 予備があるので先輩が持っていてくださいと言われ、あっけなく用は済んでしまった。


 もう少し話したい、何か話題を……

 そう思っていたら「先輩って、傘持ってます?」と聞いてきた。

「ないんですね……」なんて呆れた声音だ。

 初めての電話は新鮮だった。声が直に響いていて、少しの変化で表情が想像できる。

「探せばどこかにある――」はずだ。

「もう――」と、更に呆れられたみたいで、「しばらく、私のを鞄に入れておいて下さいね」と優しいことを言う。

 そうかと思えば「折りたたみ方知ってます?」なんて、それはちょっとバカにしてない? こんなの簡単に……あれ、なにこれ、おかしいな。

 彼女にも伝わったらしく、クスクス笑ってる。

「私の、三つ折りですよ」とヒントを貰ってなんとか畳めた。


「先輩、もしかして不器用?」

「うるさい」

 こんなやりとりも、初めてだ。

 十数分前の私の、不安に支配され固まっていた気持ちが緩やかに解されていくーーつまり、楽しい。


「先輩」

 少し間があった後、優しく問いかけられた。早く続きを聞きたくて「なぁに?」と答えたが、またしばらく沈黙があった。

 彼女の発する『せんぱい』という言葉は心地いい。先輩、センパイ、せんぱい、先輩? 文字は一緒でもその時々にバリエーションがあって、その次に何を言われるのかが楽しみで、その言葉に反応してしまう。


「えっと、あの、そうだ! どうしたら文章の基本が身に付きますか?」

 え、そんなの私にもわからない、というか私が知りたい。

 物語の世界は、辛かった私に優しくて私を救ってくれた。私もそんな文章を書いてみたい、救うまではいかなくても、いつか誰かの心の片隅にでも届いたらいいな。そんなふうに思ってサークルには参加している。

 そういえば昔通っていた小さな本屋さん、居心地良かったなぁ。何故か最近よく思い出す。


「先輩?」

「どうした?」

「えっと、電話ありがとうございました」

「うん」

「おやすみなさい」

「ん、おやすみ」


 勇気を出して電話して良かったな。

 私らしくなかったけど、いや待ってーー私らしいって何だろう。

 常に誰かのアプローチを待っていただけだ。自分から何かを求めてもーー求めたいと思っても、いいんだよね。


 もしかしたら私、変わりはじめてるのかな。

 そして、それはきっと彼女のおかげ。


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