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気持ちが膨れあがると、不安も芽生えるものなのか

 予定の時間より早くインターフォンが鳴った。出てみるとやっぱり天寧だった。

「早かったね、どうぞ」

「ごめんなさい、予定より早く訪問するのが失礼なのは分かってたんだけど」

「それは構わないわよ、でもどうしたの、楽しみ過ぎて寝れなかったとか?」

 からかうつもりで言ったのに。

「……はい」

 素直に顔を赤らめるもんだから、聞いたこっちまで恥ずかしくなってくる。

「もう、、」

 可愛いんだからって、思わず抱きしめたら普段よりももっと甘い匂いがした。

「今年も作ってくれたの?」

「ふぇ?」

 私の腕の中で、ふにゃけた顔を覗き込んだ。

「あ、そうだった。冷蔵庫で少し冷やしてもいいですか?」

 スルッと抜け出したのが寂しくて腕をそっと撫でながら、私も冷蔵庫を覗く。

「それ、何?」

「ガトーショコラです」

「あ、絶対美味しいやつだ」

「え、そんなハードル上げないでくださいよ」

 そう言うけれど、去年のマフィンだってとっても美味しかったから、間違いないと思う。



※※※


 その日は朝から声をかけられる事が多くて、そうか今日はバレンタインデーだったかと気付いた。

「え、何個貰ってんの、氷室のファンの多さは相変わらずだな」

 たまたまチョコを受け取っていた場面に遭遇した友人は、そう言いながら明らかに落ち込んでいる。

「貰えてないの?」と聞けば。

「いーや、まだ今日は始まったばかりだ」

 と、強がっていた。


 サークルが終わった後に、下級生から先輩方にってチョコを配っていた。

「今年の1年は気が効くねぇ」

 少し離れた場所でも、喜んでいる例の友人の声が聞こえてきた。貰えて良かったね!


「先輩……これ、みんなからです。受け取って下さい」

 やってきたのは天寧だった。

 あら、私にも?

 一瞬躊躇した私に、「先輩方みんなに配ってて、担当はクジで決めたので」と説明してくれる。

「ありがとう」

 水色の、爽やかなラッピングだった。

「可愛いーーね」と言うと、やっぱり先輩は青が似合うとか何とか言いながら嬉しそうにしていた。

 一緒に帰ろうと思い支度をしていると、なぜか「ごめんなさい」と謝る声が聞こえて振り向けば、他の子に貰ったチョコの入ったエコバッグを見つめていて、チョコ以外のものにすれば良かったと呟いていた。

 そんなこと気にしなくても良いのに、まず相手のことを考えてしまう子だから。だから誰にでも好かれるんだろうな。


「いいよ、私甘いもの好きだから」


 もちろん、私も。






「どうする?」


 あの電話以降、私の考え方が変わっていったのは確か。

 元々口数が少なかった私は、くだらないお喋りが嫌いで、人との会話は必要最小限でいいと思っていた。過去の恋愛も相手ばかりが話していた気がするし、そして私は、それでいいと思っていたのだ。

 でもそれは違うんじゃないか、本当の恋愛関係ーーというか人間関係?ーーは、そういうもんじゃない。ような気がしてきた。

 だって、天寧とは色んな話をしたり、くだらないことで笑い合ったりしてみたいもの。

 だがしかし、そんなに容易く変われるわけでもない。

 今まで興味がなかった話題を振ったところで、話は続かないだろうし。どうすればいいんだろう。まずはこの後、私の部屋に来てくれるのだろうか?

 それで、冒頭の言葉となる。


「どうする?」

 来て欲しいな、との願いを込めて聞いてみたなら。

「今日は、話があるのでお邪魔したいです」と言う。

 この子は、私の思考が読めるのだろうか。いや待って、この子の言う話とは、私が期待する単なるお喋りではなく、ちゃんとした話なんだろう、改まって言われると何の話なのか少し不安になる。


 気持ちを落ち着けるため、紅茶を入れた。

 茶葉を入れ、沸騰したお湯を注ぎ、少し待って丁寧に濾す。とても良い匂いが立ち込めた。

 ふと天寧を見れば、本棚のそばに立ち一冊の本を持っていた。それは私のお気に入りの本だ。

 そうだ、共通の話題があるじゃないか。本の話なら、こんな私でも話せることがたくさんある。

 気になるなら貸してあげると提案したけれど、題名だけ知りたいのだと固辞された。

「そう……」

 一瞬浮かれた私は、また不安にかられた。

 これはもう、不安の元となっている話を聞いてしまおう。


「それで?」

 紅茶を飲む振りで不安を隠し、話を促した。

 するとハッとした感じで「あの、これを」と紙袋を差し出した。

 要らなかったら捨ててもらっても……とか何とか、赤い顔をしてモゴモゴ言っている。

 これって、バレンタインのプレゼントだよね?

 ホッとして中から取り出すと、美味しそうなお菓子が出てきたので、フォークを準備するのももどかしく、そのまま齧りついた。

 あ、甘さがちょうど良い。気付けばあっという間に完食していて自分でも驚いた。天寧も、そんな私を目を丸くして見ていた。


 そうだ、話を聞くんだったよね、少し落ち着こう。

「で、話って?」

「えっと、それはまた今度でいいです。帰りますね、紅茶ごちそうさまでした」


 あぁ、またやってしまった。






 玄関がパタンと閉まってから、しばらく放心していた。

 私はまた自分勝手な行動をしたんじゃないか? 呆れて帰ってしまったんじゃないか?

 思い返せば、プレゼントを貰ってお礼も言わず勝手にパクパク食べてしまったんだよね。

 最悪じゃないの、本当に自分自身が嫌になる。

 せめて美味しいの一言でも言っていれば……言ったっけ? いや、『甘い』とは言った気がする、私にとっては褒め言葉だけど通じただろうか。

 どうしよう、何か行動を起こさなければ……今までの自分を変えたいのだから。

 以前の私なら、失言しようが呆れられようが、これが私なんだからって開き直って何もしなかった、でも天寧相手にそんなことしたくない。嫌われたくない。


 スマホを手に取り考えた。今はまだ家には着いていないよね。通話では迷惑だろうからと、つい最近交換したIDのトーク画面を見つめる。

 何を書けばいいんだろう、文芸サークルに入っているくせに語彙力……

 えっと、そうだ。マフィン美味しかったよって伝えなきゃ、そういえば手作り感あったけど、そうなのかな。

 送信してすぐに返事が来た。

 え、本当に手作りなんだって凄いな。

 食べるのは大好きだけど、作ろうと思ったことなんてないもの、え、また作ってくれるって? なんだか催促しちゃったみたい。

 メッセージのやり取りを読み直して反省するが、最後は喜んでいるスタンプが返ってきているからこれでいいんだよね。

 嬉しい……私は、勝手に緩む頬の筋肉に手を当てた。

 その後はたまに、挨拶のメッセージやスタンプを送ってくれるようになって、そういうのは今までになかったからとても新鮮だった。会えない日でも存在を近くに感じられるから。



 その日はサークルの後にゼミの教授に呼ばれていた。幸い、大した用事でもなかったのですぐに解放され、急いだらなんとかバスに乗り込むことが出来た。

 あ、いたいた。良かった、間に合って。

 今日のサークルで読んだ天寧の作品の感想を伝えたかったから、追いつけてホッとした。 

 とても良く書けていたと思う、読めばすぐに映像がイメージ出来るような、そんな文章で。いつもの天寧の作品よりはシリアスだったけど、それでも温かみのある文章だった。

 頑張って書いたと思うから、メッセージじゃなくて直接労いたい。

 声をかけたら、とても驚いていた。


「なんで私の作品だと思ったんですか?」

 え、なんでって? そんなの分かる……よ?

 特に理由があるわけではないが、確信していた。

 私を見上げる天寧の目が潤んでいて、無性に抱きしめたいと思った。バスの中ではそんなこと出来ないけれど。



「今日はいいわよね」

 久しぶりに触れる、細い手首を引き抱き寄せる。

 嫌だと言われても、今日は止まれそうにない。いつからか天寧への気持ちが、私の中で大きく膨れ上がっていた。

 天寧も同じ気持ちだと思っていいんだよね。言葉はなくても、その熱い眼差しを信じていた。


 天寧の涙を見るまでは……



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