天寧の涙が気になりつつも深く追求することはしなかった。出来なかったと言った方がいいかもしれない。
それでも、泣いたのはあれ一度きりだったし、その後はいつも通り笑顔で接してくれていたし。
今日も、仲良し三人組でお喋りしている姿を少し離れて盗み見ていた。
基本は聞き役のようで、相手の言葉に素直に反応してコロコロ変わる表情を。
会話もところどころ聞こえてくる。
え、今日が誕生日?
誕生日は好きな人と?
知らなかったな、誕生日なんて。
よく考えたら、天寧のこと何も知らないかも……普段何をしてるのか誰と過ごしてるのか。
今になって、あの涙がまた気になってきた。もしかしたら今日は誰かと過ごすの?
そういえば、天寧に「好き」と言われた事はない。キスだって、いつも私からするばかりだし。誘えば応じてくれるけど、それは押しに弱いだけ?
帰り道一緒に歩いても、バスで隣に座っても聞けなかった。答えを聞くのが怖かった。自分がこんなに弱い人間だったなんて知らなかった。
「今日はいいよ」「好きな人と過ごして」
狡い言い方をしたと思う。
もしも、一緒にバスを降りてくれたならーー降りて欲しい。
「いいって言ったのに」
降りてくれて嬉しいくせに、そんなふうにしか言えない天の邪鬼な性格は昔からだ。
「迷惑ですか?」
「そんなことないけど」
「好きな人なんていませんから」
え、そう……なの。
その言葉に喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。
今日という日を他の誰かと過ごさず、一緒に私の家へ向かっているのだから嬉しいはずなのに。
私のことは好きではないの?
確かに一時期悩んでる感じはあったけど、私に向けてくれる笑顔や言葉、バレンタインには手作りのお菓子だってくれたじゃない。それはただ仲の良い先輩だから? わからない。人と深く付き合ってこなかった私には、他人の気持ちなんてわかるはずもない。
「なんで怒ってるんですか?」
「機嫌悪そうですよ?」
言葉を発しない私に絡んでくるが、なんで嬉しそうなの?
「なぁに?」
「何でもないです」
少しだけイラついた。
「先輩、私、今日が誕生日なんです」
「お願いがあります」
部屋に入るなり、そんなことを言う。天寧が自己主張するなんて珍しい。
さっき知ったばかりで何も用意出来ていないけど、私に出来ることなら何でもしてあげるつもりでいた。
意表をつかれた。
私が喋っている途中だった。
突然、キスをされた。
驚きすぎて、体が動かなかった。
「先輩に触れたいんです」
そう言って、押し倒された。
え、ちょっと待って……
待ってはくれなかった。
ぎこちない手つきだけど、触れられる場所からの熱量が凄い。
「先輩、好きですーー大好きなんです、先輩ーー」
何度も何度も囁かれ、私はーー
「今日は先にシャワー浴びてもいい?」
いつもとは逆だった。
火照った体と気持ちを鎮めようと、やや温めのシャワーで汗を流す。
良かった、私と同じように好きでいてくれて。さっきまでモヤモヤしていたからとにかくホッとした。
それにしても、天寧があんなに情熱的だったなんて。普段とのギャップが激しくて、思い出すとまた身体が疼きそうで、私は頭からシャワーを浴びた。
交代でシャワーを済ませた天寧は「ごめんなさい」と謝ってきた。何のことかと思ったら「強引だったから」と言う。
確かに、同意する前に押し倒されたし、あんなこと初めてだったから驚いたけど。嫌ではなかったし、むしろ嬉しかったし。
「それで、返事を頂きたくて」
え、返事って? 意味がわからなくて聞いた。
「さっき口走ってしまったこと、本気です。私は先輩のことを本気で好きになってしまって……それで先輩はどう思ってるのかなって」
あ……え?
私が天寧を好きなこと、伝わってない? 言ってなかったっけ。それでそんなに不安そうな顔をしてるの?
いくら私でも、好きじゃなきゃ押し倒したりしないのに。
「それって好きってことですか?」
そうだけどーー
「私たち付き合ってるってことになる……のか」
私はそう思ってたーー
天音は床に座り込んでしまった。
「大丈夫?」
「安心したら、なんか腰が抜けちゃって」
「なら、今日は泊まっていく?」
「いいんですか?」
「いいよ、誕生日だしね」
ころころと変わる表情は、ずっと見ていても飽きない。
「おもしろいかーー表情ね」
「今、面白い顔って言いました?」
「言ってないわよ、ふっ、それより立てる?」
天寧といると、この私も自然に笑みがこぼれる。
立ち上がったところを抱きしめた。
私が「好き」を言わなかったせいで、ずっと不安にさせていたのかもしれない。ちゃんと言葉で伝えるべきなのはわかってる。だけど面と向かうとやっぱり気恥ずかしい。
照れずに伝えられる方法があればいいのに。
そういえば。
「私、甘いもの好きって言ったよね」
「ん? うーん、言ってた気がしますけど」
ほら、バレンタインの時に言ったよね。
「私はチョコと同類ですか?」
「ううん、チョコより上よ」
「それは、喜んで良いんでしょうか」
「大好きってことだけど?」
どうやら、伝わったみたい。
私は真っ赤な顔の天寧にキスをした。
「先輩、何を食べて生きてるんですか?」
そんな大げさな言葉が、天寧の口から発せられた。
キスの後、天寧をそのまま押し倒し二回戦目に突入した。もちろん今度は私がリードをする。誕生日だから特別に甘く優しくしたつもりだけど、終わった後には二人して抱き合いながら眠ってしまっていた。
このまま微睡みながら朝を迎えるのもいいけど、さすがにお腹空いたよね。
私は冷蔵庫を開けて飲み物を取り出し、そこで空っぽの冷蔵庫を見た天寧の言葉だった。
「これ食べてる」
冷蔵庫の中は飲み物だけしか入っていないが、冷凍庫には品数豊富な食品が詰まっているんだよ、お勧めはパスタだ。
「美味しいから、一緒に食べよ」
レンジで温めてお皿に盛り付ければ完成。
「あ、ほんと美味しい」
「でしょ」
「でも先輩、野菜不足では?」
「そお?」
「私、作ってもいいですか?」
なんて? それって手料理ってこと?
「あぁ、迷惑じゃなければ……ですけど」
「うん、それは全然迷惑じゃないよ」
むしろ嬉しい。
「良かった、勝手にキッチン使われるの嫌な人もいるから」
確かに、私は誰かを家に泊めるのも天寧が初めてだし、もしも天寧以外の人がキッチン使うって言ったら断るかも。
「よし、明日は一緒に買い物行こうか」
「やった」
満面の笑みって、こういう顔のことを言うんだよね。
私は、バスの中で初めて天寧の笑顔を見た時から、心を奪われたんだと思う。
だって今、とっても幸せだもの。
※※※
「サトーちゃん、先輩のところ行かなくていいの?」
蘭ちゃんが声をかけてくれた。
相変わらず先輩は人気者で、大学最後の日もみんなに囲まれていた。
「うん」
「写真、撮ってあげるよ?」
「ありがと。でも私、この後先輩を独り占めするからさ、今は大丈夫」
「うわ、サトーちゃんも言うようになったねぇ、ふふ。じゃお先に帰るね」
「はーい、またね」
「天寧、お待たせ」
「あ、先輩卒業おめでとうございます」
「ありがとう、行こうか」
こうやって帰り道を一緒に歩くのも最後かぁ。
「先輩、袴姿すてきです」
半歩後ろを歩きながら見惚れていた。
「最初は恥ずかしかったけど、着て良かった」
「着てくれて良かったです」
最初はスーツで出席するって言ってた先輩だけど、袴姿が見たいと言った私の言葉に応えてくれた。
「似合ってます」
「そ?」
照れた顔も可愛い。
「そうだ先輩、今日何食べたいですか?」
「そうだなぁ、まずは卵焼き」
「どっちの?」
「だし巻きもいいけど、やっぱりあっちかな」
「甘いやつですね?」
「うん、だって好きなんだもん」