【栞菜side】
「あぁもう、なんでこんなに暑いの、ただいま」
「そりゃ、夏だからねぇ、おかえり」
部屋の中はエアコンが効いていて快適だ。
「お腹空いた」
「はぁ……あんたって子は全く」
そう言いながらもキッチンへ立つ姉。
私が唯一、自分をさらけ出し言いたいことを言える相手。家族だから当然と言う人もいるが、両親にはそれが出来なくてどうしても壁を作ってしまう私には、姉の存在は絶大だ。
それでも。
最近は天寧にも、自分を偽らず自分の気持ちを伝える事が出来るようになってきた。天寧に限っては、自分自身よりも信じられる、そんな存在だ。
「ねぇ、少しは手伝おうって思わないの?」
キッチンからの声に、少し考え行動を起こす。
「えっ、珍しい」
私が手を洗っていると、本気で驚く声がした。
「少しくらい出来ないとって思うから」
「ふぅん、だから?」
今度はニヤついた声だ。
「だから、教えて!」
「素直でいいねぇ、変われば変わるもんだね」
じゃアレ取って、コレ切ってなんて指示をされて、その通り動く。
「大根と人参は短冊切りでお願い」
短冊?
手が止まった私に気付いた姉は驚いていた。
「もしかして知らない?」
「誰も教えてくれなかったもの」
「そっかそっか」
何故か嬉しそうな姉。
はい、こんな感じだよって見本を見せてくれたから、真似をして切ってみる。
「おぉ、上手いじゃない、あんたは昔から手先が器用だからねぇ」
「そぉ?」
「そうだよ、何やらせてもそつなくこなしてさぁ、羨ましいって思ってたよ」
そんな風に思われてたなんて知らなかったな。
昔の思い出を話しながら手を動かして、そのうちに料理が出来ていく。
なんか、こういうのもいいなぁ。
「明日からお盆休みでしょ、帰らなくていいの?」
二人で作ったご飯を食べ、片付けをしながら聞いてきた。
「うん、天寧も実家に帰ってるし、実は少しだけ仕事持ち帰ってるんだ……あ、迷惑?」
出社する必要はないから自分の家でも仕事は出来るし、迷惑だったら帰った方がいいか。
「私は別にいいよ、家に誰かがいてくれた方が安心だしね」
姉はサービス業だから、夏休みは別の日に取るらしい。
「それでも……」
何か言いたげな姉は真顔になっていた。
「仕事忙しそうだから、そろそろこっちに引っ越した方がいいんじゃない? 最近疲れてるみたいだし、体力的にも経済的にもさぁ」
「あぁ……うん」
いろいろ心配してくれているのはよく分かっている。
入社当初より出社日数が大幅に増えており、今後もきっと増えることはあれど減ることはないだろう。
「あの子なら、大丈夫じゃない?」
「え、どういう意味?」
「遠距離でも平気でしょ」
「天寧だから?」
確かに天寧の性格なら、最初は寂しがっても案外大丈夫な気もするけど。
「違うよ、あんたがよ。あの子のおかげで栞菜が変わったのが分かるから、あの子のこと信頼してるのが分かるからよ」
やっぱり姉には敵わない。
「あれ、帰るの明後日じゃなかった?」
「ごめん、急だけど今日帰るね」
「あ、台風来るからか」
テレビを付け、姉は朝食を食べ始めた。
「うん、天寧も早めに帰ってくるって言うから」
「あぁ、なるほど。台風にお礼言わなきゃだね」
「えっ」
「早く会いたいって顔に書いてあったもんね」
「そんなこと……あるけど」
「素直でよろしい、出勤のついでに駅まで送ろうか?」
「ありがとう、お姉ちゃん」
「お邪魔しまーす」
荷物をいっぱい抱えた天寧がやってきた。
「荷物たくさんだね、ほぼ食料?」
手渡された袋を覗いて冷蔵庫へ入れる。
「台風当日は部屋から出ないと思って」
「きっとベッドから出ない」
そう言うと天寧はアハハと笑い「面白いね」と言った。
割と真面目にそう思ったのにな。
「栞菜ちゃん、ご飯食べた? 私、お昼に食べ過ぎちゃって軽めでもいいかな」
「実家に行くとあれこれ食べさせられるよね、私も軽くでいい」
「わかった、作るね」
「手伝えることある?」
「ん?」
「私に出来ることあればだけど」
「栞菜ちゃんにしか出来ないことがあるの」
そう言ってすり寄って「少しだけ」と見つめられた。
その顔が妙に艶っぽくてドキリとしたけれど、表情には出なかったと思う。
腕を広げると私の中に収まって腕が背中に回された。いつも天寧とのハグは安心して気分を落ち着けてくれるけれど、今日はドキドキが止まらない。バレちゃうな、これ。
「充電完了、さぁ作ります」
「あ、うん」
いつもよりやや長めのハグを終えてキッチンへ向かう天寧。私も後をついていく。やる事がなければ眺めているだけでもいい。
「見られてるとやりにくいから、栞菜ちゃんはサラダ用の野菜洗って!」
「はーい、喜んで」
「ふふ、居酒屋みたいだね」
「レタス入りまーす、あとはキュウリとトマトと……ねぇツナも入れていい?」
「いいよ」
「どこにあるの?」
「そこの棚に入ってない?」
「あ、あった」
取り出しながら、ふと天寧の方を向くと視線がぶつかったのでニヤけてしまった。私の家のキッチンなのに、天寧の方が把握してるってちょっと嬉しい。
でも天寧はすぐに視線を逸らしてしまって、なんだかぎこちない。
そんなにずっと天寧を見てる訳じゃないけど、やっぱりやりにくいんだろうか。チラチラ見るくらいにしておこう。
「明日の夜から雨が降り出すみたいだね、明後日は一日中雨かぁ」
お風呂から上がったら、天寧がお天気のアプリを開いて呟いていた。
「残念だったね」
「え?」
「実家の方で予定もあったんじゃないの? 台風のせいで早く帰ってくることになっちゃって」
「ううん、そうでもないよ」
「もしかして、私と会いたくて帰りを早めたとか?」
「え?」
「えっ」
なんだ、違うのか。天寧も私と同じかと思ったのにな。
「あっ」
なんともバツの悪い顔をする。
本当にこの子は正直だ、まぁそんなところも好きなんだけど。
なんかごめん、なんて言うから。
「謝られると振られたみたいでヤダな」と、珍しく笑いを取りにいく。
「栞菜ちゃん、好き」
「うん、知ってる」
スッとベッドに入り込んで、顔を近づける。
いつもの言葉と、いつもより長めの口づけで、心がぽかぽかになる。
「ねぇ天寧、なにかあった?」
どこがどうというわけではないけど、今日はいつもと違う感じがしてそっと聞いてみた。
寄り添っていたから、天音の体がビクリと動いたのを感じた。当たりか……
「もし悩みとかあるなら……あぁ、言いたくなったら言ってね」
いくら恋人でも踏み込んで欲しくない領域もあるだろう、でも心配してるってことは伝えたい。
顔は見えないけど、ギュッと腕に力が入ったからそれが返事かもしれない。
たまにはこうやって抱き合ったまま眠るのもいいね。
その日は雷の音で目が覚めた。
「けっこう降ってるね」
「台風、近づいてるね」
二人ベッドの中で微睡みたくて、天寧に手を伸ばすが、スルッと抜け出されてしまった。
「え、起きるの?」
「もちろん」
「こんな日に?」
「こんな日だから」
「うぅ、起きたくないな」
「栞菜ちゃんが起きたくなるように、美味しい朝ごはん作るから。目玉焼きと卵焼きどっちがいい?」
「ん〜、卵焼き」
「了解」
しまった、これで出来上がったら起きなきゃいけなくなっちゃったな。
まぁでも、天寧の卵焼き食べられるなら起きるかぁ。
これが幸せってやつなんだよね、きっと。
「少し風が強くなったね」
「そうだね」
「怖くない?」
さっきから雨が窓を叩きつけるような音がしている。
「栞菜ちゃんがそばにいるから、怖くないよ」
「なら、ずっとそばにいてあげる」
なんだか今の言葉、プロポーズみたいだななんて自分に突っ込みながら、食後のコーヒーを飲んでいた。きっと天寧は照れているに違いないなんて自惚れながらふと見ると、真面目な顔で何か考え込んでいた。あれ、想像した反応と違うじゃないかと心配になる。
「どうかした?」
【天寧side】
なんで分かるんだろう、普段通りに接していた自信あったのに。私が悩んでること言い当てられ、それを無理に聞き出そうとしない優しさ。
自惚れてもいいのかな、私のこと大切に思ってるって。
「あのね」
私も栞菜ちゃんのこと大切に思ってるから、きちんと話そうと思う。
「一個上の従姉妹がいるの」
「うん」
「実家へ帰省した時に会って少し話して、就活の大変さを切々と語られて、私に向かって今すぐ就活した方がいいよって言うの」
早い人は6月くらいから始めると言う。
「天寧の希望は決まってるの?」
栞菜ちゃんと出会った頃は、まだ先のことなんて何も考えていなかった。そんな話もしたから心配しているのだろう。
それでも今は、自分なりに何がしたいのか考えて答えは出ている。
「うん、それは決まってる。行けるかどうかはわからないけど」
「なら、その従姉妹の言う通り早めに準備する方がいいよね」
「そうなんだけど」
「実家で何か言われたの? 地元に戻って欲しいとか」
あ、まただ。なんで分かっちゃうんだろう。
大学三年の夏に帰省すれば、そりゃそういう話にもなるよね。
「あんたが一人で都会で暮らせると思ってるの? こっちで就職した方がいいんじゃない? 就職出来なければお見合いでもすればいいし」
悪気がないのは知っているけどその言い方はどうなの? 親にとってはいつまでも私は何にも出来ない子供なのだろうか。
「私は……」
心配そうな顔の栞菜ちゃんがこちらを見ていた。
「私は天寧が決めたことなら応援するよ。たとえば距離が離れたとしても、休みの日には会いに行くし。気持ちはずっと天寧のそばにいるから」
普段は言葉が少ない栞菜ちゃんだから、素直に信じられる。付き合い始めた当初は不安もあったけど、積み重ねてきた信頼関係もある。
素直に、嬉しい。
距離が離れてもーーその言葉が私の心に沁み渡る。
本当は私が栞菜ちゃんに言うべき言葉で、少し前から考えていたこと。
本人は否定していたけど、私のために引越しをしなかったのは明らかで、そのために無理をしていること、今まで私は気付かないふりをしていた。
「ありがとう、凄く嬉しい。私も同じだよ、どれだけ離れていても心は栞菜ちゃんと一緒にいるから」
安心したような、優しい笑みでウンウンと頷いている。
「私も夢に向かって就活頑張るから、栞菜ちゃんもお仕事頑張って! そのためには東京に引越しした方がいいと思うの」
「うんうん、って、えっ?」
「一度遠距離恋愛ってしてみたかったし、あ、引越し準備も手伝ってあげるからね」
「天寧?」
「私は栞菜ちゃんを信じてる。だから考えてみて」
「ん、わかった」
夏休みが終わると、栞菜ちゃんは引越し準備から手続き等々、私は情報収集からのインターンシップ申し込み等々、お互い更に忙しくなったけど、充実した日々を送っている。
二人の未来のために。