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心からの言葉をあなたに

 ふと目を開けると、目の前に大好きな人の寝顔があった。まつ毛長いなぁ、綺麗だなぁ。自分はめんくいだとは思わないけど、彼女の顔は好き。ずっと見ていられるし、こんな無防備な顔を見られる私は幸せ者だと思う。彼女が身じろぎをし始めた、そろそろ起きるのかもしれない。目を開けて私を見つけ微笑むのを想像しながらその時を待つ、この数分が私の至福のときだ。


 うん、こんな感じでいいかな。

 次の章の冒頭の文章を、頭の中で考えていた。順調に交際を続けている二人の物語、そろそろ何かすれ違いや問題を起こさないと面白くないかなぁ、小説って難しいなぁ。


「うわっ」

 いつの間にか、栞菜ちゃんの顔が間近にあった。

「こっちの方が驚くわよ、またぼんやりして。寝てたわけじゃないわよね?」

「えっと、ちょっと考え事」

「ふぅん、私のこと?」

「えっ、違っ」

 違うけど、違わない。

 小説だけど、栞菜ちゃんをモデルにしているのは確かだから。

「なんだ、そっか。朝ごはん出来たよ」

「わっ、ありがとう! え、いつのまに?」

 栞菜ちゃんが引越しをして、私たちは遠距離恋愛になったけれど、こうやって会いに来てくれる。以前の栞菜ちゃんの部屋に比べれば断然狭いのだけど、私の部屋で週末を過ごしている。

 栞菜ちゃんは、最近料理を始めたようで作ってくれることがある。まだ簡単なものしか作れないって言うけれど、なかなか美味しくて、とても嬉しい。

「天寧が誰かのことを考えている間にね」

 少し棘のある声が聞こえる。

「ん? いや、違う違う。ぼーっとしてたのは、小説の文章を考えてたんだよ」

 栞菜ちゃん以外の人のことを考えたなんて思われたくないよ。

「へぇ、今書いてるの? サークルの?」

「ううん、サークルのじゃなくて個人的に書いてみたくて」

「へぇ」

「あっ、このスクランブルエッグ美味しい」

「ふぅん」

「トーストの焼き加減も最高」

「読んでみたいな」

「えっ」


「あ、コーヒー入れようか?」

「まだ途中だから」

「ミルクたっぷりだよね?」

「ちょっと恥ずかしいんだよね」

 二人の、噛み合わない会話を止めるようにコトンとマグカップが置かれた。

 私は湯気の立つコーヒーを一口啜る。

 栞菜ちゃんは伏目がちにパンを齧る。


 いつか完結した日には、読んでもらって感想を聞きたいと思っている。

 私と彼女の物語だから。





「ふぁぁ、ちょっと寝てもいい?」

 片付けが終わったら、栞菜ちゃんは大きなあくびをしながらベッドへ横になった。

「じゃ、私は向こうでレポート書いちゃうね」

「ここでやれば?」

「音がうるさいよ? ノートパソコンだからキッチンでも出来るから」

 ワンルームの我が家でも、ゆっくり休んで欲しい。

「天寧の奏でる音なら気持ちよく眠れると思う。ふふっ」

 何故か嬉しそうに。

「ねぇ今のフレーズ良くない? 天寧の小説に使ってもいいよ」

 なんて言う、優しくて可愛らしい人。

「あ、うん。使ってみようかな」

 好きな人が立てる生活音は心地良い響きがある、それは私にもよくわかる。


 お言葉に甘えて、栞菜ちゃんの顔が見える位置にセッティングをして作業を始める。数分もしないうちにスゥスゥと寝息が聞こえてきた。

 普段から寝不足なんだと思う。先週も同じように眠そうにしていたので尋ねてみたら、平均睡眠時間は4時間程だと言い、アプリを見せてくれた。可愛いキャラクターがぐぅぐぅ眠っているものだった。

「4時間も眠れば大丈夫だよ」と言っていたけれど、無理して会いに来てくれているのかもしれないな、無防備なのに綺麗な寝顔を見ながらそう思った。


 レポート作成の目処が立って片付けている間に、栞菜ちゃんも起きたみたいでゴソゴソしていた。近づいていくと両手を差し出すから起こして欲しいのかと思って手を取ると「違う」と首を横に振る。そのまま手を引かれて栞菜ちゃんの胸へと飛び込んだ。寝起きの体温が私を包む。

「あったかいね」

「天寧も一緒に寝よ」

 そうしたいのは山々だけど。

「そろそろお昼だから何か作らないと」

「もうそんな時間か、結構寝ちゃってたね」

「疲れてるんじゃない? ねぇ、無理してない?」

「無理って?」

「毎週欠かさず会いに来てたら疲れが溜まるんじゃない? たまにはゆっくり休んで欲しい」

 栞菜ちゃんが真顔になって首を傾げる。

「ここで休んでるよ?」

「ん、でも……」

「あ、もしかして迷惑?」

「そんなことはないけど」

「ごめん気付かなくて、私がいたら天寧の自由がなくなっちゃうよね」

「そんなこと、ないってば」

「友達と遊んだりもしたいでしょ」

「それは……だったら、ここに呼ぶし」

「えっ?」

「だいたい遊ぶのは蘭ちゃんや紫穂ちゃんだし、なんなら2人とも先輩に会いたいって常々言ってるし、もちろん栞菜ちゃんが良ければだけど」

「いいじゃん、呼ぼうよ! 善は急げ、今日はどう?」

「そんな急に……」


 で、メッセージを飛ばしたら来るって言う、突然なのに凄いな。

 栞菜ちゃんにゆっくり休んで欲しいって思ってはずが、なんだか不思議な展開になった。でもまぁ、これはこれで嬉しいな、いつの間にか栞菜ちゃんは張り切って部屋を片付け始めていた。





「なんかそれって、週末婚みたいだね」


 蘭ちゃんと紫穂ちゃんがやってきて、私はパスタを作り、みんなで食べながら近況報告なんかをしていたら、私と先輩の関係について紫穂ちゃんの爆弾発言が飛び出した。

 週末……婚? 婚って婚姻・結婚・婚礼・求婚etc……の婚、だよね。

「え、待って。そんなんじゃないよ」

 とても驚いたから、いつもより大きな声が出ていた。

 一瞬の沈黙と、私を見る3人の目。え、なに?

 蘭ちゃんは純粋に驚いているみたい、紫穂ちゃんは面白がってるような、そして栞菜ちゃんは……

 でもそれは、すぐにいつものみんなに戻っていて、また別の話題へと移っていった。


「じゃあ私たちはそろそろ」

「え、もう?」

 程なくして、蘭ちゃんと紫穂ちゃんが帰り支度を始める。

 紫穂ちゃんは私の耳元で小さな声で囁いた。

「新婚さんのお邪魔はしないから」

 蘭ちゃんは口パクで、頑張れ! と言ったようだ。

 え、え?


「それでは先輩、お仕事頑張ってください」

「ありがとう、またいつでも遊びに来てね」

 手を振り合っている。

 私にはまた学校で会えるけど、先輩とは名残惜しいのだろう。


「さて、片付けようか」

「片付けは私がやるから栞菜ちゃんはお風呂入ってきて」

 明日にはもう帰ってしまうのだから、ゆっくりして欲しい。お風呂に入っている間に、片付けとベッドメイキングも済ませた。交代で私も入浴を済ませる。

「今日は私は下で寝るね」

 シングルベッドでは狭いので、時々は床にマットを敷いて寝ている。

「なんで?」

「今日はゆっくり眠って……って、え?」

 なんで?

 驚きすぎてフリーズ、体も言葉も固まってしまった。

 栞菜ちゃんが泣いている。


 フイっと泣き顔を見せないように枕に顔を伏せているが、細い肩が震えている。

「はっ」私は我に返って、慌ててベッドの上へ。

「どうして」

 なんで栞菜ちゃんが泣いているのかわからないけど、私のせいだということはわかる。

「ごめん」

 さっきから私の心がキュッと何かに掴まれているように苦しい。

「触っていい?」

 どうすればいいかもわからないけど、私がどうしたいかはわかる。

 背中にそっと触れる、呼吸に合わせて手を動かす、静かな時が流れる。

 少しだけ、締め付けられた心が緩む。

 もう少し近づきたくなって頬を背中へくっ付ける。触れている部分からじわりと温かさが伝わってきて、心地よい温度と好きな人の匂いで視界がぼんやりする。心の奥底から湧き上がる思いーー好き、大好きーーあぁ、なんだか力が抜けていく感覚。





 気付いたら、いつもの朝だった。

 狭いベッドで向かい合い、しっかり抱きついている。

「あぁ……」

 昨夜のことを思い出し、思わず声が漏れる。情けないーー傷ついて泣いていた恋人よりも先に、私寝落ちしたんだ。

「起きたの?」

 いつも通りの優しい声だった。

「ごめんなさい」

「ん、何が?」

「先に寝ちゃって……呆れてるよね」

「あぁ……ふっ、可愛い寝顔見られたから許してあげる」

 思い出し笑いみたいだ、私、寝ている間に何かした? あ、そんなことより。

「昨日、なんで泣いてたの? 私のせい? ちゃんと言ってね、私鈍感だから言ってくれないとわからないから」

 笑顔が少し真剣な表情に変わる。

「そういうところ……あぁ、天寧のせいじゃないから。ただちょっと、悲しくなっただけよ」

「なにが?」

「私は……そのつもりだったもの」

「ん?」

 言いにくそうに少しの間が空いたのは、私がわかってあげられなかったから呆れたのかも、えっと昨日は何があったっけ、もしかして。

「紫穂ちゃんが言ってたアレ」

「あ、週末婚ってやつ?」

 そういえば、あの時悲しい顔してたっけ、一瞬だったから気のせいだって思ってた、なんで気付けなかったんだろう。

「あんなにハッキリ否定されちゃったらね」

「いやあれは、だって、まだ学生の身分だし」

「そうだよね、天寧はまだまだ、これからいろんな出会いもあるだろうし、遊びたいだろうし、縛っちゃいけないよね」

「え、え? 違うよ、そういう意味じゃなくてーー」

 やだ、そんな風に思ってたの?

「私まだ、経済的にも自立してないし頼りないしーー」

 誤解だよ。

「だから、まだそんなんじゃないって言ったけど、いつかは栞菜ちゃんとって思ってるーー」

 分かってよ。

「他の誰かじゃなくて、栞菜ちゃんがいいの。私が栞菜ちゃんを幸せにするから」

 あれ、なんだかプロポーズみたいになっちゃった、しかも上から目線で恥ずかしい。でも私の本気度を伝えなきゃ。


 栞菜ちゃんは途中から、手で顔を覆ってしまっていた。やっぱり私の発言はイタかったかな?


「本当だったんだ」

 ようやく顔を見せてくれた栞菜ちゃんは笑顔だった、良かった。

「ん? 本当って?」

「昨夜、私に言ったこと覚えてないんでしょ?」

「え?」

「やっぱり! 寝ながら喋ってたもの」

「なんて?」



 私は寝ぼけながら、何を喋ったの?


「最初はね、好き大好きって言い続けていて」

 マジか、恥ずっ。

「本当に? って聞いたら、本気だよって言ってね」

 それは、本当のことだ。

「なら結婚してくれる? って聞いたらね、私が栞菜ちゃんを守ります、幸せにしますって言ったのよ」

 すでに寝ながらプロポーズしてたとは。

「なんてことを……穴があったら入りたい」

 思わず口にした言葉に、あぁコレってこういう時に使うのかと場違いな事を考えていた。一種の思考停止かな。


 栞菜ちゃんの手が私の頬に触れる。ひんやりしていて気持ちいい。

「真っ赤だよ」

 でしょうね、さっきから顔だけ異常に火照っている自覚はあります。


「寝ぼけていて、覚えていないのは不本意だけど、それは心からの言葉だから」

「じゃあ、もう一度言ってくれる?」

 よく見ると、栞菜ちゃんの頬も薄っすら赤みがかってる。やっぱり、まつ毛長いなぁなんて思いながら言葉を探す。

 私の心からの気持ちを言い表す。


「愛しています」



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