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第2話 ベルゼ叔父さま

 屋敷へ戻ると、妹のリーリエが泣きながら飛びついて来た。


「お兄さま! 良かった、お兄さまが無事で……!」


 ぎゅっと抱きしめると、改めてまだ小さいと感じる。5歳下の妹はわずか10歳で、両親を失ってしまったのだ。成人したばかりの僕に、両親の代わりができるだろうか。


「……リーリエ。父上と母上のことは聞いたか?」


「はい……。セバスから聞きました」


 リーリエの後ろで、家令のセバスが頷いた。片眼鏡をかけた彼の表情はいつもより硬い。僕と同じように、今後のことを案じているのだろうか。


「でも何だか悪い夢を見ているようで、信じられなかったのですが、傷だらけのお兄さまを見たら、すごく怖くなりました。お兄さまもいなくなっていたら、私……」


 僕と同じ、青空のようなブルーの目から、大粒の涙がこぼれ落ちて行く。


(今までは、実感が湧いてなかったみたいだな。でも、それで良い。リーリエを一人で泣かせたくはないからな)


「大丈夫。リーリエを一人残して死んだりなんかしないさ」


「本当に?」


「あぁ、本当だ。僕がずっとそばにいるから、何も心配しなくていい」


「はい、お兄さま。私も絶対に、お兄さまを一人にしたりなんかしません」


 リーリエは僕を抱きしめる腕に、力を入れた。


 もう父上も母上もいない。妹を守れるのは自分だけだ。本当は一緒に泣いてやれたら良かったのかもしれないが、これからのことで頭がいっぱいで、涙は出てこなかった——。




 両親の葬儀から数日後。執務室で、セバスに領地の状況を教えてもらっていると、誰かがドアをノックした。


「失礼致します……」


 ドアを開けたのは、侍女長のマーサだ。何やら戸惑っているような表情をしている。


「どうした?」


「あの……。何度もお断りしたのですが、ベルゼ様がどうしてもアルサス様にお会いしたいと……」


(なるほど。また騒いでいるんだろう)


 ベルゼ叔父さまは、父上の兄だ。弟である父上が家督を継いだことが気に入らないらしく、屋敷へ来る度に嫌味を言い、怒鳴り散らす。それでも温厚な父上は「気が済んだら帰るのだから、放っておけ」と言っていた。


(墓の場所も聞かなかったくせに、何の用だろう……)


 横にいるセバスが、ふぅっと息を吐いた。眉間には、先ほどまではなかった皺が寄っている。


「追い返してもすぐにまた来られるでしょうから、話を聞いておいた方が良いでしょう。私もお供します」


 僕よりもベルゼ叔父さまのことをよく知っているセバスが言うのだから、そうしておいた方が良いのだろう。


「分かった……行こう」


 マーサの案内で、僕とセバスはベルゼ叔父さまがいる客間へ向かった。




 客間に入ると、ソファーの真ん中にどっかりと腰掛け、ワインを飲んでいるベルゼ叔父さまが目に入った。


 前回会った時よりも大きくなった腹。ジャケットのボタンが、どこかに飛んで行きそうだ。


 壁際には、眉間に皺を寄せた侍女がいて、僕を見つめている。彼女の横にはワゴンとティーセットがあるので、おそらく、最初は紅茶を出したが「ワインを出せ」と言われてしまった、というようなことがあったのだろう。


 これは珍しいことではない。よくあることなので、ベルゼ叔父さまはこの屋敷の使用人たちに大層嫌われている。


「やっと来たか! 遅いぞ!」


「……申し訳ありません。執務中でしたので」


「ふんっ! 何が執務中だ! この間まで学生だったお前に、何ができるというのだ」


 ベルゼ叔父さまがワイン煽ったのと同時に、斜め後ろから、コホンと咳払いが聞こえた。


「アルサス様は亡き父上の跡を受け継ぎ、立派に執務をこなしていらっしゃいますので、ご心配なく」


 セバスがピシャリと返す。


 彼は、オーウェンベルグ伯爵家に長く仕えているので、周辺の領地を治める貴族や商人にも顔が利く。ベルゼ叔父さまも、あまり強くは出られないのだ。


 いつもならまた怒鳴るところだが、叔父さまは苦々しい表情を浮かべて、チッと舌打ちをするだけだった。


「今日は、何のご用ですか?」


 嫌味を言いに来ただけかもしれない、と思いながら尋ねた。


「あぁ、突然両親がいなくなって、お前は領地の管理について学んだり、リーリエの面倒を見たり、忙しいだろう?」


「そうですね……(わかっているなら、来ないで欲しいんだけど)」


「そこでお前の負担を減らすために、この領の広大な葡萄畑は、ワシが管理してやろうと思ってな」


「管理、ですか? 管理は任せている者がおりますので……」


「そうではない。葡萄畑を私が引き取れば、もうお前は何もしなくても良くなるだろう?」


「……どういう意味ですか?」


 引き取る、の意味がよくわからない。ベルゼ叔父様は子爵家に婿入りしているので、オーウェンベルグの人間ではないのだ。


 考えていると、後ろでセバスがため息をついたのが聞こえた。


「そのままの意味だ。葡萄畑をオーウェンベルグ領のものではなく、ワシのものにしてやると言ってるんだ」


「えっ、なんで……」


「お前の父親は毎年、葡萄の出来が気になって、仕事が手につかないと言っていたぞ? だからワシが、その不安をなくしてやろうと思うんだ。まぁ面倒だが、親戚だから助けてやろう」


「いやっ、それは——」


「あぁ、いいから早く権利書を持ってこい。お前は忙しいんだろう? あとはワシがやっておく」


 ベルゼ叔父さまは、ニヤリと笑う。とても善意で言っているとは思えない。


(何を言ってるんだ、この人は。渡せるわけがないだろ、葡萄はオーウェンベルグの大事な特産品だ)


「いいえ、その件はお断りします!」


「何ぃ⁉︎ 断るだと⁉︎」


「はい。葡萄畑は、我が領の大事な収入源です。それに、ベルゼ叔父さまが治める子爵家の領地とは、かなり離れていると思うのですが——」


「子爵家の領地など、他の者に任せれば良い! お前の負担を減らしてやると言っているのだから、早く権利書を持って来るんだ!」


 ベルゼ叔父さまは、顔を真っ赤にして怒鳴る。


(そういえば、父上とも葡萄畑の権利について話しているのを聞いたことがあるけど、なんか引っかかるんだよな……)

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