「奥さん役とか、もうどうでもいいんだ。そういうのを抜きにして、あさちゃんに似ているからとかでもなくて、ゆうくんじゃなきゃ駄目なんだよ。僕は、ゆうくん、僕は・・・ゆうくんのことが、好きなんだ」
恋愛とは斯くも難しいものなのか・・・言葉の伝え方、伝える順番、それらをミスれば意味合いさえ違ってくる。そして僕は、ゆうくんを前にすると情けないほどに失敗する。学業も仕事も恋愛も、難しいと思ったことなんてなかったのに、だ。
どうすれば伝わる?どう言えば伝わる?美しい言葉で伝えたかった想いは、随分と野暮ったいものになってしまった。それでも、僕なりに選んだものではあったのだ、けれど。
「嘘だぁ・・・俺のとは、違う・・・嗣にぃの好きは、俺のとは違う・・・幼馴染だから、家族みたいだから、好きなだけじゃん・・・」
ゆうくんはほろほろと涙を流しながら、駄々をこねるように首を振った。
あれ?しかし、この言葉は・・・うん?うん??
『俺がいらないとか、聞きたくない』
『嗣にぃの好きは、俺のとは違う』
『幼馴染だから、家族みたいだから、好きなだけ』
ゆうくんから言われたことを心の中で繰り返す。
それは要するに、僕に必要とされたく、幼馴染でも家族でもなく好かれたいと・・・そう言っていることにならないだろうか?
それはつまり・・・・・・。
「ゆうくんは、僕のことが好きだったり、する・・・?」
思わず、そう、思わず僕は口走っていた。
ゆうくんは涙を浮かべたまま一瞬、目を見張ってから、その次の瞬間、僕の胸をできる限りの力で押した。そうして身体を少し離してから、
「なんだよっ、それっ!馬鹿なの?!あんた、馬鹿なのかよ・・・っ!誰も、そんなこと・・・っ」
僕を睨みながら、叫んだ。僕はそんなゆうくんの身体に手を伸ばし、抱き寄せる。
「ゆうくん、教えてよ・・・」
ゆうくんは、離せ、と腕の中で暴れたが、僕がもう一度、教えて欲しい、と繰り返すと、俯いて押し黙った。そのまま、時間が二人の間に流れた。少しして、どん、とゆうくんが僕の胸を叩く。そして、顔をあげた。
「・・・ああ、ああ、そうですよっ。俺は、嗣にぃが好きだよっ!ずっとずっとずっとずっとずっと・・・!!それが何だよっ!嗣にぃは違うんだろ?!」
迸る激情をそのままに、ゆうくんは声を張り上げる。
「・・・ずっと?」
僕は言葉を拾い上げて、首を傾げた。
「ずっとだよ・・・!ずっと・・・なんだよ、一体・・・なんだよ・・・」
そうか。ゆうくんは、ずっと、僕を。
それはいつからだったのだろうか。ああ、そんなことよりも・・・。
「・・・嗣にぃ・・・な、なんで、泣いて・・・」
気がつけば、僕の目からは涙が落ちていた。ゆうくんに言われて気付く。
これは、僕は泣いているのか。
ああ、そうか・・・僕は嬉しいのだ。ゆうくんに好きだと言われて。
それに、不甲斐なくも安堵してしまった。思えば、ゆうくんが逃げてしまった時から、いや、その前から僕の中には後悔と不安が渦巻いていた。ここに来る前の電話もあるし、ここに来てから見たものは姫鷹くんに抱きつくゆうくんであったし。
それがなくなり、あまつさえ、ゆうくんの口から僕が好きだと聞けて・・・感極まり、涙が溢れた。
ゆうくんは驚いたように、僕の目元に指先を伸ばし涙を拭う。
本来であれば、泣いているゆうくんを宥めて抱きしめて涙を拭うのは僕であるべきだ。なのに、今、僕の涙を拭うのはゆうくんだった。
格好なんかついたもんじゃない。
「変なの・・・なんで、嗣にぃが泣くんだよ・・・」
「本当だねぇ・・・はは、格好悪いなぁ・・・ねえ、ゆうくん・・・」
僕は涙を拭ってくれるゆうくんの手を握る。その手に頬を寄せてから、口付けた。ゆうくんは、涙声で、しかし静かに、なに?と聞き返す。
もう一度その手に口付けた後に、もう一方の手でゆうくんの頬を撫でながら、濡れた頬を今度は僕が拭う。
「ゆうくんが、好きだよ。好きなんだ。・・・幼馴染でもなく、家族みたいだからでもなく・・・君が、春見ゆうが、好きなんだよ・・・」
ゆうくんは、瞳を一度伏せる。
「セフレって言った」
「ごめん・・・」
「幼馴染じゃない?」
「違うよ」
「家族だからじゃない?」
「違うよ」
「・・・俺はあさじゃ、ない」
「僕が好きなのはゆうくんだよ」
「・・・本当に?」
「本当だよ」
「捨てない?いらないって、言わない?俺だけ?」
「ゆうくんだけだよ。ずっと、一緒に居たいよ」
ずっと、と繰り返しながら、僕がもう一度手に口付けると、目を開けたゆうくんの瞳からは大粒の涙が落ちていく。まるで宝石みたいだな、と思った。その目元に唇を寄せる。涙を舐め取ってから、頬や鼻先にも口付けを落とした。
「嗣にぃの、ばーか・・・好き、嗣にぃ、大好き・・・」
子供のようにゆうくんが呟き、どちらともなく、お互いの唇に口付けた。触れるようにそっと、何度も。その合間に、好きだよ、と僕は繰り返しながらゆうくんを抱きしめる。ゆうくんの手も僕の身体に回る。
これが僕の都合の良い妄想だったら?夢だったら?と思うと怖くて、ゆうくんの存在を確かめるように、強く抱きしめる。
「・・・嗣にぃ、くるしーよ・・・」
涙声で、しかしゆうくんは、ふふ、と小さな笑い声を漏らしながら僕に言う。
妄想でもなく、夢でもなく、ゆうくんはそこに在った。
愛おしいとは、ただ一人をーーただ一人だけを愛おしいと思う気持ちは、こんな風なのだと僕は初めてその時に知った。
僕は昔から、双子が好きだった。小さな頃から二人の笑顔を見ると嬉しかったし、愛おしかったと思う。いつも一緒に居たいと思っていた。家族だって好きだ。昼乃さんにしろ笹之介さんにしろ好きだ。けれどそれらとは全く違う熱い想い。
暫くの間、僕達はそうして抱き合っていた。
お互いに落ち着いた頃、僕は一つ息を吐く。
「ゆうくんはね・・・僕の初恋だよ」
「・・・へ?」
腕の中にいるゆうくんへと視線を落としながら告げると、ゆうくんは呆気に取られたような顔つきになった。それがなんだか可笑しくて、僕は少し笑ってしまう。
「でも、え・・・嗣にぃ、彼女いた、よね・・・?」
「居たねぇ・・・」
「俺一度だけ見たことあるよ。小さい時に。凄く凄く綺麗な人で・・・え、え、え?」
「ああ・・・うーん・・・不義理な話だけれどね、本気でなかったと言うか・・・」
自分から告げたことではあるが、彼女たちのことを思い出すと申し訳なさしかない。母の息がかかっていることを思えば、きっと今頃は幸せに暮らしているだろうけれど・・・。
ゆうくんは、何とも複雑そうな表情を浮かべつつ、
「え、それって、ひっでぇ・・・クズ・・・」
ぼそっと呟いた。面目もなく、そうだね、と返すしかなかった。いやぁ、本当にね・・・酷い話だ。でも、とゆうくんは続ける。
「・・・・・・嬉しい・・・。俺も、だし。でも、俺は嗣にぃみたいなことないから!ぜーーーんぶ、嗣にぃが初めてだからな・・・!嗣にぃみたいにひっどいことしてないから!」
それは多分、ゆうくんからしてみれば僕を責める言葉だったとは思うのだが、僕には嬉しさしかなかった。こんなにも好きな子が、こんなにも愛しい子から『嗣にぃが全部初めて』などと言われたら・・・!ああ、動画で残しておきたい。いや、いっそ音声でもいい。
『ぜーーーんぶ、嗣にぃが初めてだからな』
目に、耳に、残しておかなければならない。僕はもう一度、ゆうくんを抱きしめなおす。
ゆうくんは、少しの間、腕の中で静かにしていたが、顔を上げて僕を見た。少しばかり迷ったように視線を彷徨わせてから、僕に戻す。
「・・・あさ、は?」
小さな声で問いかけてきた。元々の結婚相手はあーちゃんだった。ゆうくんが気にするのも無理はない話だ。
「あーちゃんは、ずっと妹みたいな気持ちだった。もちろん大事にしようとは思ってたよ?でも、そうだね・・・あーちゃんはわかっていたのかもね。だから僕の元からは居なくなってしまったのかもしれない。でも、ね。酷い話だけれど・・・あーちゃんが、そうしてくれたから、僕は気付けたんだよ。あーちゃんには一生、頭が上がらないなぁ・・・」
僕がそう言うと、ゆうくんはじっと僕を見つめる。そうして、
「・・・俺は、弟じゃ、ない・・・?」
か弱く、聞いてきた。僕は、ゆうくんの唇へと、再度触れるように口付ける。
「違うよ。ゆうくんは、僕が好きな・・・恋してる人だよ。そもそもね・・・」
弟とはキスもそれ以上もしないよ、と耳元で呟くと、ゆうくんの目元が涙のせいではない赤さに染まった。
「そっか・・・ん、なら、うん・・・いいよ。なら、いいよ・・・」
何度か頷きながら顔を上げると、僕の頬にキスをしてくれる。
「俺は、さ・・・あさならいいって思ってたんだ。だって、あさは俺とそっくりだから。あさなら、嗣にぃと結婚しても耐えられるかな、って。でも、あさが逃げて・・・そしたら、嗣にぃは他の人と一緒になるのかなって思ったら、嫌だった。そしたら、嗣にぃ、俺に奥さん役をしてって言うから・・・チャンスかな、って。一年で、好きになってもらえたらいいなって・・・」
思ったんだよ、と最後の方は消えそうなくらいに小さな声だったが、ポツリポツリとゆうくんは気持ちを吐露してくれた。じわじわと胸が熱くなって、愛おしさが込み上げて、僕は我慢できずにゆうくんの髪や額や頬に口付ける。擽ったい、と捩る身を抱き締めた。
「ゆうくん。一緒に帰って欲しい。もう一度、僕と・・・ちゃんと、暮らして欲しい。今までのやり直しをさせて欲しい」
欲しい、ばかりだな。もうちょっと上手く言えないものか・・・頭の片隅でそんな風に思ったけれど、ゆうくんは、僕を少しの間見つめた後、その額を僕の肩へとぽてんと置いた。
「・・・仕方ないから、帰ってあげるよ。嗣にぃが可哀想だから・・・」
その場所から、柔らかな声が響く。
ありがとう、と返しながらゆうくんを何度目かに抱き締めた時、こんこん、と外から障子を叩く音がして、
「そろそろ、丸くおさまったかい?」
姫鷹くんの声が、聞こえた。