ぎこちなさを極めたシャルを連れ歩いて、買い物を済ませたツコウは約束通りに昼食を取ることにした。できる限り目立たない……というか店内での会話は一切知らぬという特殊な店を選んだ。噂ではここで得た情報を洩らした者が次の日に首と胴体が泣き別れしていたとか……真実かはツコウも知らないが、客もほどほどの数だったので安心だろうと判断した。
「ツコウは落ち着いているよね……私はもう心臓が限界だよ」
「いや、お前は俺が王と会った時に事実上了承したの知ってただろうが。俺は知らなかったのに。こっちの方が心臓に悪かったぞ。まぁそんな策士様がなぜか俺より狼狽えているので落ち着いてしまったが」
陞爵はツコウをシャルグレーテに引き渡すための罠だったわけだ。面倒な話だと思いつつも、ツコウには疑問が残っている。
「男爵って降嫁するのに相応しい家格なのか?」
「いや……まぁそれほど見てきたわけではないが珍しい気がするね」
シャルグレーテは王族の中では若い。つまり王位継承権もその分低いのだ。
アイドルとしての側面から結婚適齢期を過ぎてしまっているが、身内に温かいケイラノス王家では時々あることだ。
だからといってただの騎士爵に王族出身者を送りこむはずもない。変な話だが値打ちが下がってしまう。王家という権威を保ったまま、娘を結婚させる好機と見たのなら。
「俺が婿入りするか、あるいは伯爵ぐらいまで上がれということか」
即結婚ではなく婚約なのもそのためだろう。
ケイラノスでも剛勇が受け継がれるという感覚は根強い。ケイラノス最強騎士であるツコウの血を王族に入れて、さらなる飛躍を図る……というのもあるはずだ。
そもそもツコウの父は取り立てて武に優れていたわけではないので、それを思うとこの説は怪しく思われた。
「婿入りねぇ……礼儀作法とか本気で無理だ。踊りの講師相手に無様を晒しっぱなしだぞ」
「私もあまり得意では無いが、武術と同じと思えば意外に楽なものだよ」
確かに踊りと武術は関連が深く、共通した面を持つ。ツコウ自体、見世物としての剣舞は3つほど持っている。なのに、なぜああも人の足を踏んでしまうのか。戦場や山野で罠に引っかかったことすら無い。
ともあれ、ツコウが一種の無頼漢であることはブレーズ王も承知のはずだ。ならば、降嫁させたいのが本音だろう。婿入りは周囲の反発なども呼ぶので出来得る限り避けたいはず……それは色っぽい話を塗りつぶして戦の匂いを感じさせた。
「北で問題が起き始めている。そこで戦功を上げろ、という話だろうな。他の方角は落ち着いている……というかケイラノスと真っ向からやりあえるだけの力が無い。連合して一気に攻め立てるのも難しいだろう」
大国に対応するため周辺国家が団結を図った例はいくらでもある。しかし、隣国と仲が悪いのが基本というのなら周辺国家も親しい間柄ではない。加えてケイラノスは消極的侵略をすることはあっても、積極的ではない。むしろ商売を通じて仲を深めたい国こそ多い。
その中で例外が北の国ボレアだ。ケイラノスとの間には山が隔たっているのだが、気候とは不思議なものである。ケイラノスが温暖で肥沃なのに対し山一つ超えた向こうは寒冷の地なのだ。他の国とは違い、南下する機会を虎視眈々と狙っていた。
「ボレアにとっては死活問題だからな。しかし、ケイラノスが負けた試しは無い。攻め込んでくるとは思えないけれど」
「死にかけた人間は何でもやる。そしてアルゴフの弟子は
“アルゴフの乱”……アルゴフは複雑な人物だったが、どこか自己犠牲的な面が見られた。そんな男が六大騎士団に正面から喧嘩を売って死ぬような者に後事を託すだろうか? ツコウにはそうは思えなかった。
ついでに言えばアルゴフ達ドラウグルの文化は元々北から来ている。過去では現在のケイラノス領内での戦いが行われたが、“雪熊の国”というほどなので源流は北方にあると考えても違和感はない。
「それで、寒冷地用の旅装を仕入れたのか」
「まぁなー、勝手が違うから準備は思いつく限りする。どこまで経費で通るかが問題だが……コリンの分も俺が出さないと駄目だろうなぁ。動きがあれば、“赤”と“黒”で現地の騎士団と共同で対応するはずだ」
「随分と予測に自信があるんだな」
「予測というか、勘だがね。外れても別に構いやしないさ」
真面目な話はこれで終わりとばかりに、ツコウは乾いた果実を口に運び始めた。甘いものは良い。例え旅に出ていなくとも、精神が一時の安寧を許してくれる。
……その後の話題は結婚したらどうするのか、などと果物よりも甘ったるい会話が続いていく。しかも、結局は細かい想像ができないという心底無駄な時間を過ごすことになる。
まぁこんな日があってもいいだろうと、ツコウの心は温かい光に包まれていった。
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王が言葉を発する玉座の間。そこでだぶだぶした以上に長いローブを着て、頭の上まで来る棒を携えた青年がいた。顔もいかにも芋っぽく実際に生まれは農村だ。それが端っこの方とはいえ居並ぶ高位貴族や高官とともに立っている。
なぜ、こうなったのだろうか。ボフミルがそう思わない日は無い。実際、現在も横が伯爵様という事実に吐き気がするほど緊張していた。
偉大なるブレーズ王がとうとうと語る言葉を懸命に理解しようとするが、高度すぎて半分も理解できない。これは致し方ないことだとボフミルも分かっている。ボフミルは若く、未だ成人の儀を終えて少ししか立っていない。そこから運命による謎の人選により、環境が変化した。話を戻すと勉学を初めて半年程度しか経っていないのだ。読み書きができるようになっただけ、褒めてもらいたいものだった。
ボフミルにとって不思議なことだが、騎士団長や一剣、それに王室の方々など傑物というような人はそれで良いと努力を称賛してくれる。一方、廷臣と役人からはバカにされっぱなしである。ケイラノス人としての気質から面と向かって言ってくるので、肝は冷えるが縛り上げられるような感覚がないことだけは幸いだった。
宮廷魔術師ボフミル。それが彼の称号と名だ。
もはや体質が変わり、生まれるはずのない魔術を使う素養のある人間。それはケイラノス全土を探索しても両手の指より少なかった。
村では
……本人としてはそれが一体どうしたというのか、という気分である。松明に火を付けて投げれば同じ結果ではないか。
「魔術師ボフミル。北へ赴き、その感覚を存分に発揮するがいい」
本当になんでこうなってしまうのだろうか?
考えながらも、気づけばうやうやしくお辞儀をしていた。