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第40話 昇進怖し

 新たな通達を受けて、ツコウは正直ホッとしていた。礼儀作法を学んでいるぐらいならば、戦いと謀略の方が性格的に向いていると自覚していた。黒悔こくかい騎士団の団長室で縫い物をしながら、指示を伝えるブラーギも幽霊のようで安心する。



「今回の任務なのですが……貴方と従者にはお守りをしてもらわなければなりません。宮廷魔術師、ボフミル殿が同行されます」

「宮廷魔術師を? 護衛、と考えて良いのでしょうが本人は戦えないので?」

「集中すれば火の玉が出せるそうですが……複数相手ならもう駄目でしょうね」



 ブラーギの口調をツコウは訝しく思う。そして自分も考える。

 宮廷魔術師といえば御大層な肩書に思えるが、ブラーギはどうも軽く見ている節があった。実際に大したことはできないとツコウも聞いてはいる。だが、ならばなぜ連れて行くのかという疑問がぶら下がる……が、優秀だが目の前のことをやればいい“黒の一剣”はどうでもいいと考察を打ち切る。



「そのボフミル殿……貴人としてでも扱えば良いので?」

「いえ、同格として扱ってください。違和感はつきまとうでしょうが……魔術師は手探りで復活させ始めた段階。つまりは宮廷魔術師をどう扱うかの法が定まっていないのです。なにせ彼が初代なのですからね」



 また面倒なことだったが、要は気楽に接すればいいのだ。ボフミルの性格が傲慢なら良い憂さ晴らしになる。謙虚ならありがたく思われる可能性もある。どちらにしろコリンは目上の者として待遇させる必要があることだけを、心に留めておく。

 ブラーギが縫い物をしている時は、遥か遠くまで思考を伸ばしている時だ。些事であれ大事であれ、こうした女性は中々に多いそうな。ブラーギはまとまってから指示を出すため、考え事をしている今は重要な案件を伝えるつもりはないようだ。つまりはいずれは重大事になるのだろうが、とりあえず今ではないことをツコウは喜ぶことにした。



「では準備にかかりますよっと。サルム卿の方は上手く行っているので?」



 その発言にじろりという風にブラーギの目玉が動いた。どうやら考え事というのはそのことに関してだったようだ。ツコウの側は北に魔物が出たとしか聞いていないので素朴な疑問と無理矢理に解釈させられる。



「そちらはこちらで対処します。貴方は当面の任務に集中なさい」



 追い払われるようにして、ツコウは騎士寮から放り出されることになった。

 まぁいいか、といつものように黒の騎士は準備を整える。準備は万全を期して、旅装を余分に持つ手配をした。コリンが取りに来るからと付け加えると、物資管理官は気の毒そうな顔をしていたがツコウに対してではないことだけは確かだった。


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 魔法使い……今までは敵であった存在がしばらくは味方。世の中良く分からないので、考えずに済ませておこう。そう思いつつもツコウとコリンは自身の馬に加えて、件の人物用の馬を借りるかも知れない旨を伝えて首都門の近くで待機していた。

 周囲の空気は平穏なれど落ち着いてはいない。門詰めの兵達は“一剣”が近くにいるので仕事を監視されている気分になってしまうのだ。しかも内部に対して力を発揮する“黒の一剣”だからなおさらだ。



「このところは、どこぞの領主を吊り上げたりはしてないんだがな」

「少し心得があれば、ツコウ様が近くにいるだけで首筋が寒いんですよ。まぁ僕も今頃分かってきたんですけれど……ツコウ様はそういうことありませんか?」

「無いなぁ……死ぬ時は死ぬし。いや待てよ……ああ、そういう感覚は修行途中で捨てたんだった。死ぬ気のフェイントとか相打ち狙いの時にかえって不便だから。こう、頭の中でハサミを出すように……分かるだろ?」

「全く分かりません」

「そっかぁ」



 コリンは時々体験するが、主人であるこの最強騎士は阿呆な時がある。基本的には有能過ぎるぐらいに有能なのだが、その反動なのか平時は大人しめの子供ぐらいに変化するのだ。ただその切替は余程親しくないと見分けられないため、コリンやシャルグレーテ以外は触らないようにする必要がある。

 天賦の才能もここまで来ると精神に何か影響を及ぼすのかもしれないと、コリンは思う。



「そういえば、今回はシャルグレーテ殿下は同行されないのですね」

「いや、している方がおかしいんだからな? 実際には俺への不満と猜疑のために、俺が死ぬ確率を高めたい廷臣でもいるんだろうさ。他人から見たら王室に食い込む虫か、象徴を奪う泥棒にでも見えるだろうからな」



 しかし少しだけ味気ないとツコウでも思うことがある。シャルグレーテとの恋人としての関係期間は短く、ブレーズ王との面通しを済ませていたのであっさりと次の段階へ移行したからだ。

 一連の流れを考えれば、シャルグレーテの側からは大層ロマンチックな展開なのだが、ツコウにはそのあたりは思い浮かべられないようだった。



「はぁ……恋人と身分差があると大変ですね」

「コリンもせいぜい気をつけろ。一段登る度に面倒臭さは倍になる」



 何か嫌な思い出でもあるのか。ツコウも顔をしかめるというのは相当嫌だったらしいとコリンにも伝わった。戦闘においては鬼神だが、黒の一剣は日常生活では落ち着き過ぎるほどにのんびりとしているただの青年なのだ。

 ただ、今の話はコリンにとっては苦笑するしかない。



「僕には縁がありませんよ」



 平民出身かつ田舎者。容姿が優れているわけでもない。取り柄といえば最高峰の剣士が師であり、主であるということしかない。結局はツコウの雑用係でしか無いのだ。そう思っていた。



「安心しろ。俺が従士から従騎士への昇格推薦書を出しているから、ばっちり関係あるぞ」

「……は?」



 従士と従騎士の違いは微妙だ。やることに変わりがあるわけではない。強いて言えば従騎士には領地を持つ権利が無くは無い・・・・・ということぐらいだ。しかし、ここで問題になるのは従騎士であるということは、騎士志願者であるという決意表明めいた印象があることである。

 もし黒悔こくかい騎士団にそれが通ってしまい従騎士になったとき。評判を気にしなければ連鎖的に発動可能な権限がツコウにはある。高位の騎士には、従騎士に対する騎士叙任が可能なのだ。つまりコリンは……黒の一剣ツコウが叙任した最初の騎士となる。



「ちょっーーー!?」

「まぁ間はできる限り空けるから気兼ねなく出世しろ。黒は成り手が少なくてなぁ……はっはー!」



 田舎者が一気に六大騎士団員になる。内部にいると解りづらいが、世間的には異常な出世になる。しかも主君であるツコウは現時点で男爵かつ王女殿下の婚約者にして一剣の一角。目立たないようにすることなど不可能だ。

 一般的な騎士からの嫉妬と怨嗟の嵐を想像すればコリンの胃がしくしくと痛みだす。コリンとて凡俗であるからこそ、出世に憧れていないはずもない。しかし、これはいきなりに過ぎるだろう。



「せ、せめて従騎士に一年はいさせてください……できれば三年ぐらい……」



 コリンはそう言うのが精一杯だった。変化は基本的に恐怖を伴う、というのは栄転であっても同じことであるらしい。古めかしくも長く続いてきた貴族制の国で田舎者が評価されること自体が恐ろしいというわけだ。

 そんな百面相を続けるコリンをいつものようにボーッと眺めていたツコウに声をかけてきた者があった。その人物は先程までのコリンと同じような表情をしていた。



「あの……ツコウ様でしょうか? 私が同行させてもらうことになってるボフミルです、はい」



 王宮に出入りするには厚かましさが全く足りない。というのがツコウが抱いた第一印象だった。

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