あの日以来、俺の中で何かが変わっただろうか?
それはうまく言えない。元々口数の多い
虚しさの残る景色は今も、頭の中に。世の中は何事も上手く行かない。敵の最後を決めることすら横合いから奪われる。
傲慢だが、要するに俺はただの“剣技の天才”でしか無いのだろう。顛末で聞いた〈銀狼〉や〈凶刃〉のような、屍山血河の上で笑えるような超越者では無い。
大義名分が嫌いだった。何かを掲げなければ戦うことすらできないのか、許されないのか。それさえも俺のワガママに過ぎなかった。優秀な只人としては、自分と近しい者の幸せを守り抜くことで、世界は少しずつ良くなるのだと理解する他無かった。
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数秒後には忘れるであろう仮眠から、
ボレア王国らしからぬ木製の内装の多い部屋で、扉を開く音がした。音の主はこれみよがしにため息をついてみせた。
「団長、今日の仕事は終わったんでしょうね?」
「終わった。終わったが、お前の権限でも処理できる案件は全部残しておいたぞ。頑張れ副団長」
「こちらに来てから、威厳とか諸々が成長するどころか退化している気がしますね……」
「馬鹿を言え。責任の回避や、お偉いさんへの嫌がらせは名人とさえ言える。まぁこっちの陛下は放っておいても無害だから、やりすぎはしないが」
なぜだか付いてきてしまったコリンだが、ツコウとしてはかなり重宝している。ツコウは騎士団長としては実戦の場で、精々が10人程度しか操れないという致命的な欠陥を抱えていたが、その点コリンは意外にも要領が良かった。本当は武芸をもっと注ぎ込み、ケイラノスの“一剣”の穴埋めになって欲しかったのだが……
「それはそうと、
コリンは何かやり返す機会を見つけたようだった。団員の指揮から書類仕事のおすそ分けまでさせている恨みつらみだろう。
「“赤の一剣”の後任は、ペグマ殿です」
「げぇ……」
「それとブレーズ王から孫の扱いについて、長々と」
「あの人は……」
ペグマはケイラノスに残って骨を埋めるというか、埋める場所を探しているようだ。その点、“一剣”になってしまえば同僚たちへと喧嘩も売れる。ボレアとケイラノスとの関係にヒビが入れば、ツコウやシャルグレーテと戦える。そうした脳筋心算が目に見える。
ブレーズ王の手紙は色々な意味でツコウに、ねっとりとした思いが込められている。我が子がすることになる政略結婚の話ですら嫌なのに、その後は乳の温度がどうだのと世話焼きが続き、落差から読んでて疲れる。
本国、という言葉が出たがボレアはケイラノスと属国一歩手前の関係にある。一剣であったツコウとシャルグレーテが籍を移したのも、ボレアに対する鈴であると同時に大きな意味が込められている。
ツコウとシャルグレーテの子どもによるケイラノス系譜の血をボレア王族に受け継がせること。そして純粋に脆弱化になったボレアの戦力を補充してやるということだ。
先の“アマドの災禍”においてボレア王国をユーノス王の手に戻した見返りとして、ケイラノスは両国を隔てていたディルザラン山脈一帯を手に入れた。既に砦が建設中であり、街道が完成すればもうボレア王国はケイラノスの敵とは言えなくなるほどの差が出る。
「嫌だが、実力は確かだ……良しとするしかあるまい。しかし、それでも“一剣”の半数は空位のまま。何事も無ければ良いが」
「言っては何ですが、そうした優れた個人に依存した組織が問題だったのでしょう。戦意高揚にしたって各騎士団長も“一剣”ほどでは無いにせよ腕が立つわけですし」
……あの日、無情な形で仇を討ったテーズは憑き物が落ちたようになった。そして、残ったヘリオと六大騎士団員をまとめ上げているらしい。人格の変化とは意外な形で訪れるものだ。あるいはコーディアの代わりのつもりか。
しかし、“一剣”がいつまで戦場の支配者でいられるかは分からない。
「これからは人造遺物……魔導具の時代が来るだろう。ボフミル殿のおかげで炎に関する装備が完成間近という噂も聞く」
ツコウの剣帯にある双剣は黒白でこそあるものの、ただ頑丈なだけの簡易遺物だ。情報流出を考えれば、政治の一環にしても他所に行った者の手に置いておくわけもない。発掘された物ではなく、造られた物は模造が可能なのだから。
「もうどこの味方か分かりませんね、私達」
「それが狙いだからな。各教会がなにを考えているのか、分からんままだ」
ブレーズ王の狙い通り、王都の決戦で各神殿は僧兵を供出した。しかし、終わってみれば被害は皆無のまま。それでも兵を出したことに変わりは無いため、借りができただけである。
「仮に聖都が危うくなった時に、こちらから駆けつける。あるいは迎え入れる下地作りだ。こういう迂遠なのは何年経っても好きになれそうに無いな」
足を上げ、装備を整えたツコウはコリンを伴って部屋を出る。
できるだけうろついて知名度を上げるのも仕事だ。早い話売られた喧嘩を買って、名を売るのだ。なにせボレアには今まで騎士自体がいなかったのだ。荒くれ者どもが健気に向かってくるのを、ツコウは容赦なく叩き潰してきた。おかげで、今はまぁまぁの敬意を払われている。
そうしていると向かい側から、白の甲冑がやってきた。
「あ、コリン……じゃない、ツコウ団長。まだうろついて良いのですか? 今日ぐらいは帰っても罰は当たりませんよ」
「そうだな。じゃあゆっくりコリンと話し合いでもしててくれ」
「普通、こういう時は殿方の方が慌てると聞いていたのですが……」
無視して、伝令兵に帰宅する旨を伝える。少し歩いて後ろを見れば、ベリムと遅れてやってきたであろうアルムがコリンを引っ張り合っている。何ともまぁ面白い光景だ。そう思いながらツコウは馬を借りて自邸へと走り出した。その動きはいつもより、軽やかだった。
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ツコウに与えられた大きな屋敷に主が帰ると、恰幅の良い中年女性の使用人が血相を変えて駆けつけてきた。何だってお前が落ち着いているんだと、非難するような視線を浴びながら関係者全員が緊迫した顔で取り囲む部屋へと突っ込まれる。
寝かされたシャルグレーテは相変わらずの金の短い髪に薄く汗が乗っていた。しかし、その笑みはいつもと同じでパートナーを落ち着かせるものだった。
「やぁ。お帰り、ツコウ。どうにも皆騒ぎすぎじゃないかな」
「こういうところでは意見が合うな。皆が騒ぐということは痛いのだろう?」
「それは痛いけどね……ああ、始まりそうだ。すまないが、また後で」
「ああ」
今度は逆に部屋から叩き出される。どうもツコウにとって、敬意を得るのは荒ぶる戦士よりも身近な者達の方が難しいようだった。これはこれで愛されていると気付かないまま、待つことしばし。周囲の者が正気を疑うような目で見てくるが、他に仕様もないので腕を組んで壁にもたれかかるしか無いのもまた確かだった。
どれほど時間が過ぎたか分からないが、突然高い声が聞こえた。流石のツコウも強いて取り乱さないようにしながら、部屋に再度入る。そこにあるのは美しい光景だった。ツコウはこの時初めて家庭を持った自覚が芽生える。
産声をあげる我が子。本当にこれが大人になるのかと、疑問に思ってしまう。そして自分にもこのようなときがあったのだ。
苦しみに耐えたシャルグレーテとツコウは穏やかに笑い合う。
「はは、男の子か。これは幸先が良いかも」
「そうだな。しかし、女の子も欲しい」
「そう急ぐな。騎士団に復帰できなくなるよ」
ああ、この子は周囲に愛されることでようやく守られる。
そして、皆が愛されるわけでも無いだろう。
ならば己が守ろう。妻との黒白、そして己一人の黒白閃で敵を一人たりとも立ち入らせない。ようやくツコウは納得できる大義を得たのだ。愛という偉大な大義。かつて一人の若者が望んでも得られなかったものを、せめてこの子達に与えよう。
我らが国の皆が胸に秘めた居場所こそ、真の聖都。それを守護する黒白閃こそ、我が本懐だったのだ。