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第61話 最終回 その後の世界

「勝ったか……」と劉備はつぶやいた。

 ゆっくりと歩いて、長安城の南門に向かった。

 門の周りには、たくさんの死体が横たわっていた。

 味方のものも敵のものもある。

 味方の兵がわあわあと騒ぎ、「殿、やりましたね」とか「おめでとうございます」などと言っていた。

「ついに曹操を殺しましたね」と言っている者もある。

 そうか、彼は死んだのか、と思った。

 うれしいようでもあり、残念なようでもある。


 城門から中に入った。

 味方が勝鬨をあげていて、敵兵の姿はどこにもなかった。

 李厳がやってきて、「殿、我々は勝ちました」と言った。

「ご苦労。おまえたちのおかげだ」と劉備は答えた。

「曹操を倒したのは、奥方様です」

「尚香が曹操を?」

「はい。ご案内します」


 李厳にともなわれて、劉備は長安城の中を進んだ。

 城の中も死体でいっぱいだった。

 埋めてやらねばならない、と劉備は思った。


 長安城の長い廊下の途中で曹操は死んでいた。

 そのそばで張飛は沈鬱な表情をし、魏王の死体を見下ろしていた。

 尚香も近くにいて、劉備を見て微笑んだ。

「玄徳様、この人を討ちました」と彼女は言った。

 劉備はごくりとつばを飲み込んた。

 妻がとてつもない化け物に見えた。

 歴史はわからない。この女と結婚したからおれは勝てた。こいつがいなかったら、天下は曹操のものだったかもしれない、という気がした。

 そんな一瞬の想いを振り切って、「よくやった。おまえは最高だ」と伝えた。


「兄貴、曹操が死んで、おれはなんとなくさびしいです」と張飛は言った。

「そうだな。その気持ちはよくわかる。おれも同じだ」と劉備は答えた。


 劉備軍は十日間、長安にとどまった。

 劉備は深い穴を掘らせ、死者を埋めた。

 塚をつくり、全軍で祈りを捧げた。

 それが終わってから、将軍や兵士たちをそれぞれの持ち場に返した。尚香には護衛をつけ、成都へ帰らせた。


 劉備は張飛と親衛隊だけを連れて許都へ行き、関羽に会った。

「曹操を討った」

「我々の戦いが終わったという気がします」

「まだ魏は滅んでいないぞ。曹操の息子は生き残っているし、いまだに大きな版図を有している。これからは孫権とも戦わねばならんだろう」

「そうですね。実際には戦争はまだまだつづく。三国時代は幕を開けたばかりなのかもしれません」

「三国時代か。それを終わらせるのはおれたちではなく、次の世代の仕事なのかもしれんな」

「兄貴、おれたちは戦乱を終わらせるのではなかったのか」

「そうだが、少し気が抜けた。酒でも飲もう、関羽、張飛」

「いいですね。許都にはうまい酒があります」

「趙雲はどうしている?」

「襄陽で戦っています。曹操が死んで、敵の士気は落ちています。勝てるでしょう」


 劉備は許都で献帝に拝謁した。

「魏王を討ちました」

「よくやってくれた、劉皇叔。そなたを許都に迎えたい」

 劉備はこれから肩にのしかかってくるであろう政務のことを想像し、憂鬱になった。孔明か龐統にやらせよう……。

 曹操はこの国の政治と軍事をその双肩でになっていた。

 彼はやはり偉大な人物だったのだ。曹操を倒すために戦ってきたのに、惜しい男を死なせてしまったという想いは消えることがなかった。


 関羽を許都に残して首都を守らせ、劉備は襄陽へ行った。到着したとき、城はすでに落ちていた。

「ご苦労だった、趙雲、黄忠」と将軍たちをねぎらった。

「殿、曹操は死んだのですか?」

「ああ」

「なんだか一時代が終わったという気がします」

「おまえもそう思うか、子龍」

 劉備は襄陽城の一室で、張飛、趙雲、黄忠とともに酒を飲んだ。

「祝杯ですな」と黄忠は言ったが、劉備はそうは思わなかった。むしろ弔い酒だ……。


 襄陽から公安へ向かった。

 龐統に会い、「おまえか孔明のどちらかに許都へ行ってもらい、政務をとりしきってもらいたいと思っている」と劉備は言った。

「その役目は諸葛亮殿がふさわしいと思います。私には荷が重いです」

「そうか。だが、龐統にも報いてやらねばならん。望みを言え」

「一州を治めてみたいですね」

「では荊州をやろう。いまでもおまえが治めているようなものだが……」

 龐統は笑った。それから声をひそめて言った。

「奥方様が曹操のとどめを刺したと聞きました」

「事実だ」

「実は雒城で死にかけたことがあるのです。ぼんやりしていて、矢に射られそうでした。奥方様に声をかけられて、救われたのです」

「あいつは不思議な女だ……」


 公安にしばらく滞在してから、劉備は成都へ帰った。

 成都城へ先に戻っていた魏延を呼び、「曹操を倒せたのは、おまえの功績が大だ。これからも軍師として働いてくれ」と告げた。

「はい」と彼はうれしそうに答えた。

「曹丕や孫権がこれからの敵か……」

「そうなるでしょうね。すでに作戦は練り始めています」

「よろしく頼む」

 魏延はうなずいた。彼はしばらく沈黙した後、おずおずと言った。

「あのう、妙なことを申し上げてもよろしいですか?」

「言ってみよ」

「奥方様を将軍にしてみてはいかがでしょうか?」

 劉備は首をひねった。

「あいつを将軍にして、おまえは使いこなせるのか?」

「無理かもしれません……」


 魏延に会ったすぐ後、孔明を呼び寄せた。

「曹操を殺したぞ」

 孔明はうやうやしく頭を下げた。

「宿願を果たされましたね」

「宿願と言えばそうなのかもしれんが、あまりうれしくはないのだ。なんとなく、友を亡くしたという感じもあってな……」

「殿にとっては、曹操はあるいは友だったのかもしれませんね。私には仇でしたが……」

 ふたりはしばらく沈黙した。

「なにはともあれ、大きな男を亡くしてしまった。これまでは曹操がこの国を支えてきたのだ。その穴を誰かが埋めねばならん。孔明、許都へ行け。丞相になってくれ」

「私が丞相ですか。殿がなるべきなのでは?」

「おれはそういう柄ではない」

「では王になってください」

「断る。おれは益州牧のままでよい」

「そうはいかないと思いますが……」


 孔明の次に、劉備は孫尚香に会った。

「魏延がおまえに将軍になってほしいと言っていたぞ」

 尚香は笑って首を振った。

「そんなことより、策兄さんの墓参りに行きたいです」

 曹操を殺した直後の尚香は化け物のように見えたが、いまは可愛い妻に戻っていた。

「おまえはいまの方がいい」と劉備は心から言った。


 孔明は許都へ行った。

 丞相となり、献帝を助けた。

 孔明の推薦で、劉備は漢中王になった。断りたかったが、周囲にも推されて、断ることができなかった。

 献帝は禅譲することまで真剣に考えていたが、劉備は固辞し、けっして受けなかった。


 その後、劉備軍は曹丕軍や孫権軍と戦い、これを撃破して、天下を統一した。

 劉備の死後、劉禅は皇帝となった。

 国号を蜀漢と称した。 


 完

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