「ちょっと、待って。同行って……あたしが?」
エリオードは静かに頷いた。真剣そのものの目つきで、じっとあたしを見ている。
「どういうこと? さっきあんた、自分が行きたいって言ってセラディスに断られてたでしょ。なのに今度はあたしに行けって? よくわかんない」
彼はあたしを嫌っているはずだ。そのあたしをセラディスに同行させていいの? 敵に塩? あたしはもちろん、許されるならセラディスに付いていきたいけど。
しばし黙って考え込んでいたが、あたしはふと我に返って言った。
「とりあえず、中入って。廊下に声が響くから」
司祭館はちょっとしたホテル並みに広い。セラディスの寝室はあたしの寝室と離れている――あたし的には気に食わないけど――とはいえ、同じ二階フロアにあるから、あまり騒いでいると聞きつけられてしまう。
エリオードの真意は見えないが、夕食の席で言わずにわざわざ部屋を訪ねてきたということは、セラディスにはあまり聞かれたくない話なのだろう。
扉を開けて身を引くと、エリオードは廊下の左右をちらりと見てから部屋に入ってきた。やはり、セラディスの目を気にしている。
あたしは彼に窓辺のテーブルセットを勧めて、向かいの席に腰かけた。
「で、どうしてあたしに出張への同行を頼むの?」
「俺は今回は行けない」
「それは……セラディスが断ってたから、知ってるけど」
あたしの言葉に、エリオードはわずかに顔をしかめた。
「違う。セディがどうこうじゃない。ユダリスク司教に目をつけられてるからだ」
「……どういう意味?」
「あのジジイは、俺がセディと親しくしてるのが気に入らないらしい」
「ジジイって……」
どんな人かは知らないが、ユダリスク司教の気持ちもわからなくはないとあたしは思った。エリオードのセラディスへの異常な距離の近さは、あたしだって気に食わない。
そうだ。この男はついこの間だって、セラディスのナイトシャツを剥いたじゃないか。あたしはまだアレ、許してないぞ! 男子同士の喧嘩にしても悪質すぎる。
「セディは、それがわかっているから俺を連れていけないと拒んだんだ」
「まっとうな理由じゃん。そりゃ反論できないね」
「うるさい!」
「ほらほら、そういうとこ。真面目なセラディスの近くに置いておくと悪影響だ、って司教様も思ってるんじゃないの?」
自業自得じゃないかとあたしは内心呆れる。
エリオードは皮肉っぽく笑った。
「ハッ、"司教様"か。お気楽だな」
「……何?」
「聖職者なんてクズばかりだ」
思いがけない発言にあたしが絶句していると、エリオードは目を逸らして「いや、セディは違う……」と呟いた。その表情が何かを思い詰めているように見えて、あたしは急に心配になってしまう。
「ねえ、あんた大丈夫? 何かあったの?」
いや、エリオードに関しては、"あった"というより継続的に"あり続けている"ようにも思えてしまう。だからこそのセラディスへの執着。そんなふうに感じる。
エリオードは黙ったままだった。だからあたしはどうしようかと考えて、ああそうだった、と彼がここに来た理由を思い出した。
「あたしがセラディスの出張に同行したら、何がどう変わる?」
エリオードのグレーの瞳があたしを見て、それからあちこちをさまよった。口を開きかけては閉じ、を繰り返し、何を発声すべきか悩んでいるようだった。
やがて再び彼の視線があたしへと戻ってきた。
「ユダリスクは、セディに執心している」
「……へ?」
あたしの反応の微妙さを見て、エリオードがはっきりと言い切った。
「抱きたがってるって意味だ」
瞬間、頭の中が真っ白になる。
「え、え、……抱くってつまり、エッチってことだよね!?」
エリオードは無言で頷いた。
あたしは、勢いよく立ち上がる。
「信じられない! 最低! セラディスはあたしのものなのにっ!」
ユダリスク司教とかいうジジイ……セラディスの貞操を狙うなんて信じられない。セラディスは、あたしが絶対守る!
「あっ、そういうこと? だからあたしに出張に同行してほしいって言いに来たの?」
「そうだ。不本意だが、お前しか頼れるヤツがいない」
「任せて! あたしがクソジジイからセラディスの貞操を守り切ってみせるッ!」
拳を突きあげて叫ぶと、エリオードは目を丸くしたが、やがて何かが吹っ切れたようにフッと笑った。
「お前ならそう言ってくれると思ったぜ。セディのこと、頼んだぞ」
「任せといて! セラディスの貞操は、あたしが命に代えても守るんだから!」
あたしは腕相撲を組むときのように片手を差し出した。エリオードがその手をガッシリと掴む。そして互いの意志を確かめ合うように強く握り合った。
大げさかもしれないが、
互いの想いに疑いはなかった。
二日後の朝。澄んだ空気の中、あたしとセラディスは出発の準備を整えて、司祭館の玄関先に立っていた。
手荷物は旅行鞄をひとつずつ。
それと今朝早く、再び寝室を訪ねてきたエリオードから渡された、隠しナイフ仕込みのバレッタ。貴族の令嬢が使う護身具だという。これをあたしはハーフアップの留め具として付けている。一見ただの髪留めだが、ボタンひとつで薄刃の短剣になる。
これで何が何でもセラディスを守れというわけだ。
「セディ、気をつけて行けよ」
「ありがとうございます、エル。留守を頼みますね」
セラディスに向けられていた熱い眼差しが、ふとあたしに移る。
頼むぞ、とその眼光が言っていたので、あたしも眼光でもちろん、と返す。
セラディスが、あたしとエリオードの様子に少し不思議そうな顔をしていたが、特に口は挟んでこない。
迎えの馬車はすでに到着していて、玄関アプローチの先で待っていた。
「では、マナシア。行きましょうか」
「うん」
あたしたちは馬車に乗り込んだ。
カーテンの開いた窓から外を覗くと、玄関先に立つエリオードと目が合った。あたしは小さく頷いた。彼も、神妙に頷き返す。
胸の中で改めて決意を固める。セラディスのことはあたしが守る。
あたしが、この人の盾になる。
御者が馬に合図を送り、車輪がゆっくりと回り始める。
旅が、静かに始まった。