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第11話 劉備玄徳

 董卓が死んだ。

 敵がいなくなれば、反董卓連合軍は解散せざるを得ない。

 将たちはその故郷、根拠地、あるいは頼るべき人のもとへと散っていった。


 そして群雄割拠時代が始まった。

 複雑怪奇で、実にわかりにくい対立がある。

 ひとつひとつの勢力の伸長と衰退を追っていると、切りがない。

 袁紹、袁術、公孫瓚、劉表の四勢力とその庇護下にいた曹操、孫堅、劉備に絞って、その動向を見たい。彼らを追っていれば、歴史の概略は把握できる。


 袁紹と公孫瓚は対立し、戦った。

 袁紹が勝利し、冀州を領有した。

 この頃曹操は、袁紹と行動をともにしている。


 公孫瓚は敗れたが、しぶとく生き残り、幽州に拠った。

 劉備は盧植門下という縁で公孫瓚とつながっており、彼のもとにいる。


 袁紹は袁術とも敵対している。

 袁紹は北の冀州にいて、袁術は南の荊州南陽郡にいる。名門袁氏の有力者が北と南に別れて、牽制し合っている。


 袁術は荊州牧の劉表とも不仲である。

 袁術は彼の勢力下にいた孫堅を使って、劉表を攻めた。

 ここで、孫堅が脱落する。彼は矢を受けて、戦死してしまうのである。


 孫堅は将として、この時期この国で、最優秀であったかもしれない。

 しかし弱点があった。常に危険な先陣に立って戦うのである。

 劉表配下の武将、黄祖との戦闘の最中、孫堅は頓死した。


 個人的な武勇で兵を引っ張り、敵を圧倒する将軍の代表格として、歴史の中に項羽がいる。彼は垓下の戦いで劉邦に敗れるまで、覇王の最有力候補だった。

 後漢末期に項羽型の勇将を求めるとしたら、呂布だろうかという先入観を持っていたが、調べてみると、孫堅の方がそれに近い。


 孫堅の死は、いかにも惜しい。

 しかし軍の先頭に立つ以上、避けられないことであった。

 偶然ではなく、必然として孫堅は死んだと見るべきであろう。

 192年、享年三十八。


 孫堅の遺体は、味方が確保して弔った。

 彼が洛陽の井戸で発見した伝国の玉璽は、形見として息子の孫策に受け継がれた。


 劉備について、ここまでほとんど書いていない。

 少し触れておこう。


 劉備玄徳は、明代に羅貫中によって書かれた小説、三国志演義の主人公のひとりである。

 三国志屈指の豪傑、関羽、張飛と義兄弟のちぎりを結んでいる。

 有名な桃園の誓いは創作であり、史実ではないようだ。

 関羽、張飛が呂布と戦う虎牢関の戦いも架空の戦闘である。

 彼らがどのように出会い、黄巾の乱や董卓専横時代にどこでどう戦っていたのか、判然としない。

 曹操と面識はあったのか。


 劉備は161年、幽州涿郡涿県で生まれた。曹操より六歳年下である。

 郡吏であった父劉弘が早世したため、家は貧しく、劉備は母とともに筵を織り、それを売って生計を立てていた。

 十五歳の頃、儒学者の盧植のもとで学んだ。公孫瓚と同窓であり、かなり親しかった。

 184年に黄巾の乱が起きると、関羽、張飛らとともに義勇軍を結成する。


 おそらく劉備は盧植軍に従い、北部戦線で戦ったのであろう。

 洛陽から南へ進軍した曹操とは出会わなかったと考えられる。


 袁紹と公孫瓚が争ったとき、曹操は劉備隊を初めて見た。

 関羽と張飛が暴れているのを目撃した。

「敵の中に、すごいやつらがいるな……」とつぶやいた。

 しかしそれだけのことで、曹操と劉備に直接の縁はまだなかった。両雄が会うのは、後のこととなる。


 劉備とは、何者であったのか。

 孫堅のようなわかりやすい名将ではなかった。曹操のような能吏でもなかった。

 劉備がそれなりに戦えたのは、彼のもとに関羽と張飛というとてつもない豪傑がいたからである。


 ふたりの生年は不詳だが、劉備よりは年下であった。

 関羽には、司隷河東郡で暴利をむさぼる塩商人を殺し、幽州涿郡に逃げたという逸話がある。

 張飛は劉備と同郷で、涿県の生まれ。

 たまたま縁あって、三人が中心となって義勇軍を結成した。

 しかし、明らかに強力な武芸を持つ関羽と張飛が、さして有能には見えない劉備に従いつづけた理由がわからない。

 なぜ関羽は、張飛を従えて自立しなかったのか?

 そこのところが、劉備自身にもよくわからなかった。


「関羽さんよ、なんであんたみたいな強い男が、いつまでもおれなんかに従ってるんだい?」

 焚き火を囲んで酒を飲みながら、劉備がたずねた。

「なんとなく、です」

「ははあ、なんとなくね」

 劉備には、鷹揚とした得も言われぬ魅力があった。

「張飛ちゃんよ、おまえなら、義勇軍じゃなくて、まっとうな軍の士官になれるぜ」

「堅苦しいのは嫌だよ」

「おまえら、馬鹿だなあ」

 劉備、関羽、張飛は、焚き火の周りで寄り添って眠った。

 関羽は、劉備に底知れぬ大器を見ていた。

 張飛は、ふたりの義兄になついていた。


 義勇軍時代に身を寄せ合って、危機を乗り越えながら築いた絆が、結局は並はずれた強固なつながりとなった。

 桃園の誓いのような劇的なものは特になかった。

 身近にあって人となりを知りながら、三人の絆は深まっていった。

 劉備には知謀も方針もなかったが、人徳だけは有り余るほどあったのだろう。

 一緒にいると、いつの間にか、抜き差しならないほど惹き込まれている……。


 劉備について語ろうとして、漠然とした言葉を重ねてしまった。やはりわかりにくい人である。

 彼を主人公にして、面白くわかりやすい物語を紡いだ羅貫中は天才。 

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