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第13話 青州黄巾賊

 兗州牧となった曹操のもとには、相当の人材が集まっていた。

 知謀の士としては、荀彧が馳せ参じ、その推薦で、鍾繇、戯志才、郭嘉が仕官した。

 兗州東郡出身の陳宮はすでに曹操の旗下にいて、同じく東郡生まれの程立も縁あって仕えることになった。


 武勇の士では、兗州陽平郡生まれの楽進が、対董卓戦の頃から従っている。

 兗州山陽郡出身の李典も曹操軍に加わった。


 曹洪、曹仁、夏侯惇、夏侯淵は引きつづき曹操の旗下にある。

 夏侯惇は、兗州牧に昇進した曹操の跡を受けて、東郡太守を務めた。

 陳留郡太守であった張邈は、曹操の盟友とでも言うべき立場にいた。


 ついでながら、陳留郡出身の豪傑、典韋が夏侯惇の配下になっていた。

 彼はいくたびか戦功をあげ、曹操の目にとまり、親衛隊長に就任した。

 昼はずっと曹操のそばに立って離れず、夜は門衛をして、そこで眠った。


 寡黙な人だった。

 大きな身体をすっくと立てて、鷹のように目を光らせ、主を守る。

「…………」

「典韋、ご苦労」

「こ、これが…………あっしの、仕事、なので……」

 朴訥な物言いを、曹操は愛した。

「おまえがいると、私は安心していられる」

「あ、ありがたき……おこと……ば……」

 典韋は感激屋で、曹操に褒められると、いかつい顔を真っ赤にした。


 さて、曹操にとっての難題は、青州黄巾賊対策である。

 青州黄巾賊は、青州で食えなくなって兗州へ流れてきた難民である。

 その数は百三十万人におよぶ。武装した者が三十万、非戦闘員が百万。

 前兗州刺史の劉岱は、これと戦って敗死した。

 青州難民たちはまだ兗州にいて、略奪によって生きている。


 曹操は東平国寿張県で、青州黄巾賊と戦うことにした。ここに多くの難民が流入し、被害が大きい。

 寿張城に入り、まずは守りをかためた。

「積極的に出撃して、賊を討ちましょう」と鮑信は主張した。

「やってくれますか」

 彼に兵を授けて、戦わせることにした。

「黄巾賊の主力とは戦わず、弱兵から討伐するのがよいでしょう」と曹操は策を与えた。


 弱兵だけ選んで戦うというようなことが、可能なのかどうか。

 鮑信は転戦し、黄巾賊を各地で破ったが、ついに敵主力とぶつかって戦死した。

 鮑信のもとにいた于禁は寿張城に生還し、以後、曹操の武将となった。


 曹操は彼を支えつづけてくれた鮑信の死を悲しみ、遺体を捜させたが、見つからなかった。

 息子の鮑卲を引き立てることにして、騎都尉に任じた。

 鮑信は清らかな人物で、兵たちに多くの施しをしていたため、遺産はまったくなかったという。


 鮑信の討ち死に後、曹操は方針を転換し、荀彧を黄巾軍のもとに派遣して、交渉を行わせた。

 荀彧を通じて、黄巾軍の指導者たちに条件付きの降伏を提案した。


 略奪や反乱を起こさない限り、太平道の信仰を認める。

 青州難民には、兗州内に耕す土地を与える。

 武装兵は屯田兵となり、我に仕えよ。


 荀彧は数か月間、黄巾軍の中を歩き回って、長老たち、将兵、信徒と語らった。

「兗州軍と黄巾軍が戦いつづけても、不毛です。消耗戦が長引き、いたずらに屍が増えるばかりで、両軍にとってよいことはありません」

「どうすればよいのだ」

「わが主は、あなたがたの信仰を認めます」

「それはありがたいが、信仰では食っていけないのだ。我々は生存の危機に直面している」

「当座の食糧は提供しましょう。土地も与えますから、耕してください」

「この地の農民となれるのか」

「兵は略奪をやめ、屯田兵となって、わが主に従ってください。難民は兗州に根づく無辜の民となって、平穏に暮らしていただきたい」


 荀彧の粘り強い交渉が実って、青州の黄巾の民は、降伏した。

 曹操は非戦闘員を兗州各地に分散させ、農地を与えた。

 黄巾兵の中から精鋭を選んで、東郡に駐屯させ、曹操軍に組み込んだ。

 平時は耕し、戦時は戦う屯田兵。

 曹操は、この元黄巾精鋭部隊を青州兵と名づけた。彼の主力軍として、戦いつづけることになる。


 荀彧は青州黄巾軍との交渉で、相当に消耗したらしい。

 瘦せ衰えて、寿張城に帰ってきた。

 曹操は荀彧を東郡の鄄県令に任命した。

「しばらく軍務はしなくてよい。ゆっくりと休養せよ」


 東郡は曹操の地盤である。

 州衙を東武陽県に置いて、曹操自らが駐屯した。

 郡衙は濮陽県にあり、夏侯惇が守っている。

 鄄県には荀彧。

 東阿県と范県に堅城があった。

 曹操は范県令に程立を指名した。

 東阿県令に任じられた棗祗は、豫州潁川郡出身で、天性の忠義を有すると評された人物である。屯田制を根づかせることにも尽くした。


 黄巾軍を降伏させ、兗州を平和にした曹操は、徐州琅邪郡にいた父曹嵩や弟曹徳たちを呼び寄せようとした。

 これが悲劇の幕開けとなった。

 徐州牧陶謙の配下の兵が、旅路にあった曹嵩、曹徳らの曹一族を皆殺しにしたのである。


 犯人は、陶謙の命令で曹嵩一行を護送していた二百騎ほどの騎兵隊。指揮官は張闓。

 目的は略奪。曹嵩の荷物を運ぶ車は、百台以上にもおよんだ。張闓たちは曹嵩一家を殺し、財産を奪って逃げた。


 曹操は激怒した。

「ゆ、許せん……! わが父を斬り、弟を、妹を、従者を惨殺するなど、絶対に許せない。殺す、皆殺しにしてやる!」

 陶謙を恨み、徐州そのものをも憎んだ。 

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