曹操軍に、疫病がじわりと広がっていた。
喉が痛み、咳と高熱が出て、悪化すると呼吸困難になって、死に至る。
恐るべき病気であった。
賈詡は江陵城内で、曹操に頭を下げた。
「実は、南方では疫病の流行に気をつけなさい、と華佗殿に言われていたのです」
「私もだ。この疫病はそなたの責任ではない。気にするな」
「しかし、疫病対策をしないと、戦に差し障ります」
「華佗を連れてくるべきであった……」
曹操は後悔した。
いまからでも華佗を呼び寄せようかと考えたが、これから戦場はどのように移動していくかわからない。おそらく追いつけない。
荊州の名医を呼んだ。
風邪の一種であるという。
長江流域の風土病で、このあたりに住んでいる者は、たいてい軽症で治るらしい。
だが、旅人などが命を落とすことがある。
根本的な治療方法はなく、安静にしているしかないという。
予防方法は、しっかりとした栄養と十分な睡眠を取ることで、きびしい水戦訓練などはもってのほかであるとのことだった。
どれも現在の曹操軍にとっては、望み得ないものであった。
食糧は不足している。戦陣にあって、ゆっくりと眠ることはできない。馬を船にかえて戦うためには、操船練習や水上戦闘訓練が欠かせない。
曹操は許都や襄陽に手紙を書いた。
兵糧を送れ。
しかし、その指示だけで食糧状況が改善されるわけもなく、かえって悪化していった。
疫病は急速に広がっていった。
死者は千を超え、万を超えた。
「病人は隔離してください。同じ空気を吸うと感染します」と医者は言った。
水戦訓練よりも疫病対策の方が急務になってきた。
曹操は一時的に訓練を中止した。
荊州中から医者を集め、江陵城外に大量の天幕を張り、野戦病院を設置した。
将軍や将校も無事では済まなかった。
楽進と臧覇が発病し、入院した。
さいわい将軍クラスは栄養状態がよく、体力もあるので、ふたりは軽症で済み、七日程度で回復した。
しかし、兵は重症化する者が多かった。
入院者の数は、五万を超えた。
そして、周瑜が三万の水軍を率い、建業から出発したという情報が届いてきた。
「大変なことになった。いかがすべきと思うか、賈詡」
「病人を江陵に置き、健康な者だけを選んで、ただちに烏林へ向かうべきです。もちろん医者も連れていくのです」
「それしかなかろうな」
健康な者を数えさせると、四十三万人となっていた。
曹操はそれをふたつにわけ、陸路と水路で、戦場予定地の烏林に向かわせた。
曹操と賈詡は陸路。
移動中も病人は発生した。
さらに二万人が脱落し、烏林にたどり着いたのは、四十一万ほどだった。
対岸は赤壁で、すでに揚州軍は陣を敷き、河岸に船を並べている。
曹操軍は疫病の流行を止められず、病人は増え、倒れつづけていた。
曹操は烏林で、戦陣と病院の整備を、同時進行させるしかなかった。
周瑜が赤壁から水軍を出発させた。
曹操は于禁、徐晃、張遼、張郃、李典に迎撃を命じた。
楽進と臧覇はいちおう治っていたが、まだ身体が怠いという後遺症があった。
彼らは戦うと言ったが、曹操は出撃を禁じた。無理をさせて、死なせたくなかった。
敵よりも疫病対策の方が大変というとてつもない状況で、曹操も出陣できない。
総大将不在の水戦。
それでも圧倒的な兵力を持っている。勝てるであろう、と彼は思っていた。
ところが、負けた。
揚州水軍の操船は巧みで、曹操水軍は練度不足。敵が全軍をもって味方の一部を討つという戦況がつづき、于禁らは翻弄され、一日で一万人もの損害を出してしまったのである。
将軍たちは無事だったのが、不幸中の幸い。
曹操は水戦には応じず、守備をかためよ、という命令を出した。
なんのためにここまで来たのか、わからなくなってきた。
赤壁の初戦が終わって、曹操軍の戦闘員の数は、約四十万となった。
病人九万、戦死傷者一万。
病人のうち死者は二万。
病気はさらに広がりつづけている。
兵士は敵よりも疫病を怖れるというありさまで、士気は下がりに下がっていた。
このままここにいたら死ぬと思う兵が増え、敵前逃亡者も出始めていた。
曹操軍にとっては、珍しいことだった。
「賈詡、なにか手はないか」
曹操は弱り切っていた。
「丞相、残念ですが、撤退をお考えください」
賈詡は断腸の想いで、言葉を絞り出した。
「ここまで来て退くのか? 目の前の敵を倒せば、天下が転がり込んでくるのだぞ?」
「このままでは、われらは疫病に滅ぼされます。万が一丞相が罹患し、亡くなられでもしたら、天下平定の事業は振り出しに戻り、群雄割拠の時代が再来してしまうでしょう。孫権や劉備は大笑いしますぞ」
「ぐぬ……」
「曹操様、ご決断を!」
「退かぬ! 賈詡、周瑜軍を倒す手を考えよ! 私に天下をくれ!」