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第13話 合宿スタート! ~中華丼と油淋鶏~

「いくぞ!」

「はい!」 


 瀬李部長の掛け声で二十余名の部員たちが、駆け足で学校まで向かう。

 昼食のお弁当を食べたあと、ほんのひと息、甲子園中継を頭空っぽでぼんやり眺めるくらいの休憩時間を経た後のことだった。


 夏合宿は、早朝起き抜けのランニングやウェイトトレーニングから始まり、朝食後はすぐに道場へ行って稽古。

 寮に戻って昼食を食べて、午後からは引き続き道場で個人練習、また帰って夕食。

 その後は入浴含めて自由時間となっているけど、基本的には個人練習の時間という認識で、軽く身体を動かしたり、座学をしたり、試合の動画を見たり、就寝時間までみっちりと剣道付けの二泊三日を過ごすのだという。


 そんな中で、マネージャーとしての私の役割はと言えば、それほど大きくは変わらない。

 稽古の合間に飲み物の準備をして、あとは、みんなが道場で稽古をやっている間に合宿所の受け入れ準備を行う。


 食事もお昼はお弁当を取っているので、朝夕の二食分を三日間。

 ただし、量はいつものほとんど倍必要だけど。


「冷蔵庫も整理しなきゃだしね」


 冷蔵庫から取り出した大量の食材を前にして、私はエプロンの紐をいつもよりもきつめに結ぶ。

 今夜のメニューは、中華丼と油淋鶏ユーリンチー、それに中華スープだ。


 合宿らしい食事と言えば、真っ先にカレーが思いついたけど、あれは案外野菜を消費できない。

 特に鮮度が長く持たない葉物野菜やキノコ類は、優先的に大量消費したいし。

 そうなると、カレーよりは中華丼――ようは、八宝菜がベストというわけ。


 ニンジン、玉ねぎ、小松菜、しいたけ、白菜、きくらげ、いんげんなどなど、サラダを兼ねるつもりで野菜を何でも刻んでいく。

 八宝菜のとは、という意味だ。

 一説では、食材を入れれば入れるだけ美味しいとも言われるけれど。

 この辺は、町中華出身のすずめちゃんの方が詳しいかな?


 一方で、八宝菜は中華式のでもある。

 筑前煮とは、いろんな食材を醤油味で煮つけたもの。

 簡単そうに見えるけど、実際は食材ひとつひとつを適切な火の通し方で別々に調理して、最後に味付けの段階で合わせるという超手間暇の掛かる料理だ。

 八宝菜も同じで、美味しく作りたいなら食材ひとつひとつを別々に調理して、最後にで絡めるようにひとつにまとめるのが、美味しく作る鉄則なんだ。


 中華の火入れと言えばがあるけれど、流石に数十人分をひとつひとつやるのは面倒なので全部

 茹でるお湯にちょっと油を浮かべるのが、私なりのポイントだ。


 根菜は長めに、葉物は堅さに合わせて時間を見ながら、さっとお湯の中で躍らせる。

 茹ですぎると旨味がお湯に逃げてしまうので、ここは細心の注意を払う。


 下茹でが終わったら、大きな中華鍋に油を布いて、豚肉とイカを油に潜らせるように炒める。

 八宝菜もダブルスープ理論で、お肉と魚介の両方が入ったほうが絶対に美味しい。

 本当はエビを入れたいけど、お値段が張るので今日はイカで我慢する。


 それと、ウズラの卵もね。

 最近は、茹で卵を剥き身で売ってるのがありがたいよ。


 火が通ったら一度皿にあげておいて、油の中にを投入。

 すぐに暴力的な香りが鼻先をかすめるけど、ここはお腹が鳴るのをぐっと我慢だ。

 焦げる前に醤油、お酒、少量のお湯に溶いた中華スープ、そしてコク出しに砂糖を少々。


 ぐつぐつと煮立ってきたら、準備しておいた具材を一気に投入する!

 ここからは私と鍋との戦いだ。

 タレと具材を絡めるように、頑張ってお玉と鍋を振る。


 あ、いや、鍋振るの無理っ!

 流石に重っ!

 でも明日、筋肉痛になっても――いや、なったら困るけど!

 そのくらいの心意気とスピード感が必要だ。


 食材たちが琥珀色のタレを纏ったら、水溶き片栗粉を回し入れて、とろみと艶が出るまで弱火で軽く煮詰める。

 これにて鍋との闘い、終了。

 あとは、炊きあがったホカホカのご飯にかけるだけだ。

 旨味たっぷりのが絡んだ白いご飯が、また美味しいんだよね。


 ひと息つきたいところだけど、今日はまだもうひと勝負。

 なづな飯・合宿スペシャルで、もう一品ガツンと油淋鶏を作ろう。


 油淋鶏を簡単に言ってしまえば、鶏もも一枚肉のから揚げを酢醤油で和えたものだ。

 から揚げ――つまり、私の得意料理。


 毎度おなじみに漬けておいた一枚肉を、ここが一番大事なポイントで、できるだけ厚さが均一になるように開く。

 コツは、中心から四隅に向かって包丁を入れること。

 ぱっと見で四角っぽくなるのが好ましい。

 厚みを平らにすることで、火の通りを均一にして、揚げ過ぎを防ぐことができるんだ。


 ほかに余計な味付けはしないで、片栗粉をまぶして、やや温度低めの油でじっくりと揚げていく。

 今回は、二度揚げはしない。

 小気味いい音に心を委ねながら、油揚げのようなこんがりキツネ色になるまでじっくりと油の海を泳がせる。

 から揚げがワイワイにぎやかな海水浴場なら、油淋鶏は優雅な大人のプライベートビーチだ。


 油から上がったお肉は、熱々のうちに包丁でザク、ザク、ザク。

 気持ちよく衣に刃を通すと、閉じ込められていた肉汁が、じわっとまな板の上に広がっていく。

 この段階で既に美味しそうだね。

 つまみ食いしたいところだけど……一枚肉のから揚げは、のがバレちゃうから我慢しよう。


 お皿に移したら、醤油、酢、砂糖、ショウガ、刻みネギにごま油を和えたシンプルなタレをかけて……完成っ!


 付け合わせのスープは、市販の鶏ガラスープに、油淋鶏の余りの刻みネギ、ショウガ、溶き卵、そして真っ赤な夏の味覚であるトマトを加える。

 うまみ成分があるスープにトマトを入れると、味が何倍にも爆発するってのはお父さんに教わったことだ。

 今回は鶏ガラにショウガで、美味しく元気になれるスープにしたい。


 そういえば、全部の料理にショウガが入っちゃった。

 まあ、夏バテ防止ってことで。


 あとは、作り置きのキュウリとミョウガの浅漬けを添えて、なづな飯・合宿スペシャルの完成っと。

 作り終わるころには、エアコンのない炊事場ですっかり汗だくになってしまった。

 食事の時間になる前に、一番風呂をもらっちゃおっかな。


「では、いただきます」

「いただきまーす!」


 いつもの部長の号令で、宴会場に集まった部員たちが一斉に食事を始める。

 こうして全員が集まってみると、ちょっとした修学旅行感もなくはない。

 けれど、日中の稽古でよっぽどお腹がすいているのか、和気あいあいとした食事風景というよりは、がっついて貪る山賊の宴会みたいな豪快なものだった。


「中華丼はまだあるので、足りない人は遠慮なくどうぞー!」

「マネージャー、麦茶なくなった」

「はーい!」

「そんくらい自分で取り行けや」

「えー?」


 これだけの人数になると、流石にのほほんと食卓に着いてるわけにもいかなくて、私はすっかり「炊き出しのおばちゃん」状態で宴会場を右へ左へと駆け回りっぱなしだ。

 実家のお店が満席になったくらいかなと思えば、そこまで大変でもなく慣れたものだけど。


「中華丼の卵って、ショートケーキの苺と同じくらいの価値あるよね」

「わかる。私、ウズラの卵を一番おいしく食べる方法だって思ってる。とろとろのをまとったプリッと食感がさぁ」

「私、汁ものにトマト入ってるの許せないんだけどなぁ。ウチのママも、たまに傷んだトマト味噌汁とかで消費するの」

「えー、甘くなって美味しくない? 鶏ガラスープにトマトの酸味と甘みが解けて、疲れた体に染みわたるぅ……」

「でも無理なものは無理。ね、トマトだけ食べて」

「はいダメー。お残しは許しまへんでー」

「あ! ひとの油淋鶏ひと切れ盗ったの誰!? ちょうど三切れずつだったじゃん!」

「おやおや、誰がそんなこと決めたんですぅ?」

「お前かー! 返せコノヤロー! もしくはコンビニでアイス奢れー!」


 なんて、賑やかな料理の感想を近くで聞けるのがいい。

 とりあえず、初日のご飯は満足して貰えたみたいかな?

 明日からもこの調子で頑張ろう。


「あの」

「はーい」


 声を掛けられて振り返ると、一年生のテーブルで歌音さんが手を挙げていた。

 背筋が伸びて、ピンと指先が天まで張った、実に堂々とした挙手だった。


「中華丼、ご飯半分でおかわりください」

「はいはい」

「それと――」


 そう言って、彼女はちょいちょいと手招きをする。

 不審に思いながら傍に寄ってみると、私の耳元でささやくように言った。


「この後、ちょっと相談したいことが」


 え……なんだろう。

 改まって言われると身構えてしまうけど、の相談なのかは、何となくイメージがついていた。

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