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第12話 もうひとつの試練 ~バナナパンケーキ~

 夏合宿の通知を受け取ってからしばらく、私は炊事場の業務用冷蔵庫を前にして、悩ましい声を上げていた。

 部員全員の面倒を見るとなると、二十数名分――ほとんど三十人分の食事の用意。

 もちろん、それに併せた食材の発注もするし、今の冷蔵庫の中身だって充実している。


 それが、問題なのだ。


「どう使い切ろう?」


 思わず声に出して独り言ちる。

 夏合宿が明けたら、すぐにお盆の連休だ。

 部活は一週間休みで、寮も基本的にその間は締めることになる。

 つまり、冷蔵庫の食材を


 そもそも、合宿の食事ってどういうものを出したらいいんだろう?

 いつもの食事だって宿のようなものだけど、まだ家庭料理の延長っていうか、定食屋のメニューを量だけ増やして提供しているようなものだ。


「去年まではどうだったんだろう」


 情報が欲しい。

 いわゆるベンチマークというやつ。


 炊事場を後にしようとして、私は思い出したように冷蔵庫の前に戻る。

 さすがに手ぶらでというのも不躾かなと思い、夕食の合間に作ったを手土産にすることにした。


「――去年の合宿で出た料理?」


 瀬李先輩の部屋に向かうと、彼女は、敷かれた布団の上でルームメイトと一緒に柔軟を行っているところだった。

 夏仕様の薄いルームウェアにドギマギしながら、私はキツツキのように頷く。


 部屋は、私が住んでいるそれと、大きな違いはない。

 和室に備え付けの家具。

 散らばっているスポーツ誌やファッション誌。

 机に無造作に置かれた化粧品の数々。


 明確に領域があるわけじゃないけど、どこを誰が使っているのかは、なんとなくわかった。


「あたし、出てようか?」


 瀬李先輩のルームメイト――名取なとり鈴奈すずな先輩が、むすっとした顔で私を見る。

 入部して初めて彼女に会った時の第一印象は、平たく言えばギャルだった。

 質実剛健な感じの部内でも、しゃららん大和撫子な九条先輩に対して、別の意味で異彩を放つきらきらのギャル。


 今こそ、寝る前で艶サラの髪は、朝にはで巻いてふわふわになっているし、汗とカビの匂いが強い部室でも彼女の周りだけ、なぜかいつもいい匂いがする。


 練習中でも、それ以外でも、外でひと様の目に触れる時は身だしなみを整える。

 それが彼女のポリシーだ。


 ちなみに、宮城県出身のコテコテの西川派。


「いや、そこまでする必要はないだろ。なあ?」

「はい……あ、もしよかったらこれどうぞ。作ったのは良いけど、部員全員分が無かったので、こっそり食べようと思ってたヤツなんで」


 気を遣われた気がして、私は慌てて持ってきたものを差し出した。

 ほとんど賄賂のようになってしまった皿――パンケーキを見ると、ふたりの目が明らかに変わった。


「わ、いいの?」

「はい、余りもので作ったやつなので」

「だってさ、瀬李。もらお」


 鈴奈先輩は、しっとりしたサラサラのストレートヘアをなびかせて、ご機嫌にパンケーキを頬張った。


「うま。これ、バナナ?」

「そうです。バナナと卵だけで作ったパンケーキで」

「だけ? そんなことできるのか?」


 せっかくだし味見だけでもといった様子で横から摘まむ瀬李先輩に、私は頷き返す。


「皮を剥いたバナナをフォークで滑らかになるまで潰して、バナナの本数と同じ数の卵を混ぜて、パンケーキみたいに焼くだけです。トッピングもお好みで……これは、簡単に粉砂糖だけですけど」

「ホットケーキミックスとか要らないの?」

「何も。実家でも、傷んだバナナの処理でよく作ってて」


 ちなみにこれは、お母さんのレシピ。

 小さい頃に食べようとしたバナナが真っ黒だったのでしょぼくれていたら、こうしてパンケーキにして出してくれたっけ。

 ふわふわの食感としっとりした甘みは、本当にケーキみたいで、ほぼバナナだけでできてるとは思えない。


 ふたりはすっかり気に入ってくれた様子で、お皿に盛ったバナナパンケーキをあっという間に平らげてくれた。


「それで、合宿のご飯だっけ?」


 鈴奈先輩が、指についた粉砂糖を舐めながら私を見た。


「別に、そんな凝ったものは出てなかったと思うけど。前のマネージャーは真帆先輩だったし、ねえ?」

「ん? ああ、そうだな。なづながいつも作ってくれてるようなのが、量だけ気持ち多めという感じだ」

「やっぱり、量はあったほうがいいですか?」

「身体づくりも兼ねてるからな。もちろん二日そこらで劇的に変わるわけじゃないが、量を食べることを身体に覚えさせる意味はある」

「なるほど」


 寮生は、普段からめちゃくちゃ食べるもんね。

 それもというわけか。

 通いの部員よりもガッチリ身体ができているのも、そのおかげなんだろう。


「じゃあ、カロリー面はむしろ気にしなくていいですね。揚げ物もたくさんあっても?」

「あー、去年、真帆先輩が作ってくれたアレが美味しかった。夏野菜の天ぷら」

「ああ、農産科のとれたての野菜で作ってくれたやつか。確かに旨かったな」


 天ぷらかぁ、美味しそう。

 とりあえず、そういうことならあまり気張ったものを準備する必要もなさそうだ。


「ありがとうございます。参考になりました」

「こんなのでよければ、いつでも相談してくれ」

「はい。じゃあ、失礼します」


 職員室を出る時みたいに礼をして、私は部長たちの部屋を後にした。


「ちょっと」


 かと思ったら、後を追うように部屋から出て来た鈴奈先輩に呼び止められる。

 彼女は、声を潜めて手招きすると、渡り廊下の隅の方へと私を誘った。


「あ、あの……何か?」


 このままシメられるんじゃないかっていうシチュエーションに、私はさっきと違った意味でドギマギしてしまう。

 対する先輩は、言葉を選ぶように目を泳がせた後に口を開いた。


「ありがとね。あの、はー子との試合の時」

「え?」

「差し入れで、瀬李のこと元気づけてくれたでしょ」

「ああ」


 キョドって一瞬何のことか分からなかったけど、ようやく会話のピントが合って頷き返す。


「瀬李、ああ見えて繊細だからさ。派閥争いみたいになってるのも、ずっと気にしてるし」

「鈴奈先輩は、瀬李部長ともう長いんですか?」

「えー? まあ、付き合いは小学校のころからかな。言っても、大会で顔を合わせるってくらいの距離感だったけど」


 昔を思い出すようにしながら、鈴奈先輩がキャラキャラと笑う。


「瀬李ってば、昔はこーんなちんちくりんだったの、知ってる? それが中学になる直前くらいからガツーンって伸びて、今じゃアレ。あたしは、逆に小学校で伸びきっちゃったって感じで。大会で会うたびに人が変わったように成長してくのを、ぽかんと眺めてるしかなかったわ」

「あー……私も、小学校でほぼ伸びきっちゃったタイプなので、気持ち解ります」

? 持ってる奴はずるいよねー」


 ひとしきり笑った先輩は、ふと息をつくように窓の外を見た。

 田舎町の街灯すらろくにない真っ暗な寮の外では、どこかの田んぼで蛙が大合唱を奏でている。


「ま、そうやって頑張って来たとこ見てるからさ。遠慮しないで、自信もって貰いたいんだよね。はー子の圧になんか負けないでさ」

「あの、鈴奈先輩って――」

「本音を言えば、あたしがはー子を越えなきゃなんだけどね。副部長の座取られたのくやしー! 部長の座をかけて勝負がアリなら、副部長の座をかけてもいいよね? ね?」

「え、あ、はい。いいと思います」

「そうと決まったら夏合宿で強くなんなきゃ。あ、ご飯期待してるから。ここ最近の生活は、それだけが楽しみだから」

「わ、わかりました」

「じゃあ、おやすみ」


 矢継ぎ早に押し切られるような形で、鈴奈先輩は部屋に戻っていってしまった。

 取り残された私は、口をあけてそれを見送るしかなかった。


「今、うちの話しとった?」

「ギャッ!」


 背中から声を掛けられて、思わず飛び上がる。

 はー子先輩だった。


「なんや、蛙が潰れたような鳴き声しよって」

「い、いつからそこにいたんですか?」

「つい今しがたやけど。お花積みにいったらあかんの?」

「そんなことは……」

「ほな、おやすみやす」


 はー子先輩も、ぬるりと脇を通り抜けて自分の部屋へと帰っていった。


 さっきの話……聞かれてたかな?

 鈴奈先輩は対抗心を燃やしてるかもしれないけど、私は別に、派閥争いに加担するつもりはないよ?

 瀬李部長には、頑張って欲しいけど……それは、個人的な応援だから。

 そこだけは、どうか勘違いしないで欲しい。

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