「それでは、いただきます」
「お……おねがいします」
夕食が終わって、とっくに部員たちが自室へと引っ込んだあと。
寮の炊事場で、私は、すずめちゃんが目の前の
お箸が、ほくほくのジャガイモを半分に割って、あーんと大きく開いた口に運ばれる。
芯まで熱々のそれを、彼女は
「……どう、かな」
居たたまれずに催促するように尋ねる。
すずめちゃんは、ゆっくりとこちらへ振り向いた。
「しょっぱいかも~」
「うわ~、やっぱりかぁ~!」
私は、顔を覆ってその場に崩れ落ちた。
癖、ワンチャン克服したんじゃないかって思ったんだけどなぁ!
この間、瀬李部長のために作った
結果は、見ての通りの大失敗。
「前と違って、見た目はすっごく美味しそうなのにねー。なんだろ、砂糖と塩間違えた?」
「ええ、そんな初歩的な間違いする?」
とは言い返すものの、まったくあり得ないとは言えない。
自信がない。
自分でも向き合わないとなと思い、私も肉じゃがを掴む。
う……ううん……しょっぱい。
塩抜きを忘れた
「ごめんね、すずめちゃん……マズい料理食べさせちゃって」
「そんなことないよっ。私、食べるの大好きだから。また、いつでも呼んでね!」
いい子過ぎるよ、すずめちゃん。
彼女と友達になれたことは、この高校に入って一番のファインプレーだと思う。
「あの」
「ふぇ?」
悔しさと感動で涙が溢れそうになっていたところで、珍しく炊事場にお客さんの姿があった。
思わず変な声で振り向いてしまった私だったが、その顔を見て「あ、えーっと」と言葉を濁す。
「中津さん……だっけ?」
「そう、
そうだ、中津歌音さん。
防具についたネームプレートのイメージが強くって、どうにも苗字でばっかり部員の名前を覚えてしまう。
私たちと同じ一年生で寮生の彼女は、部内では最南端の九州は大分からやって来た女の子だ。
短く切りそろえた黒いショートボブと、いつもツンと澄ました仏頂面は、どこか瀬李部長をも思わせる。
でも部長よりもひと回かふた回り
「すみません。お取込み中でしたか?」
「いや、そんな。半分、遊びみたいなものだったから」
「そうですか」
歌音さんは、先輩はもちろん、同い年の私たちに対しても常に敬語だ。
たぶん、何らかのポリシーがあるに違いない。
その分ちょっと距離があるというか……やや、とっつきづらいのが正直なところ。
「あの……何か?」
「いえ、用という程のことではないのですが……」
バツが悪そうに視線を泳がせた彼女は、そのまま廊下に人が居ないのを確認すると、入り口の引き戸に手をかける。
「ふっ……んん……っ!」
「あ、それ、ちょっとコツがあって。左側の方を持ち上げるようにしながらだと」
「あっ……こ、こうですね」
ガタつく引き戸をどうにか締め切った彼女は、
思わず、後ずさるように身を引く。
「あの、聞きたいことがあるんですが」
「な、なんでしょう?」
「なづなさんと部長は、お付き合いをしてるんでしょうか?」
「……はい?」
何を聞かれているのか分からず、思わず目をぱちくりさせる。
すずめちゃんも全く同じ顔をしながら、しょっぱい肉じゃがに砂糖をまぶして、もしゃもしゃと口に運んでいた。
「い……いやいやいや! ないないない! なんで!?」
「なづなさんは、瀬李部長が連れて来たマネージャーで。いつも何かと一緒に話しているし、なんか、距離が近い……というか、ただならぬ雰囲気……というか」
「そ、そんなことないと思うけどなぁ」
そこはいろいろ理由はあるけど……まだ剣道部内に、そんなに気の許せる部員が居ないっていうか。
ほとんど、瀬李部長とすずめちゃんだけみたいなものだし、話す機会も自然と増えるというか。
「あと、この間の部長と副部長の試合の時、部長にだけ特別に差し入れしてましたよね?」
「う゛っ!」
それは、言い逃れができない。
あれは完全なる依怙贔屓で、山辺なづなの個人的なエゴです。
でも、お付き合いだとか、そんな、考えたことも――
「……でも、違うから。そういうんじゃないから」
嘘偽りのない真実を告げる。
でも、なんだか少しだけ、胸の中がモヤモヤする。
対する彼女は、スッキリした様子でひと息つくと、安心したように頷いた。
「そうですか。よかった」
「あの……そんな質問をするってことは、もしかして」
「ええ、はい。私は、瀬李部長をお慕いしています」
彼女は、すんごいことを、まるで何でもないことみたいにさらりと言ってのけた。
いろんな意味で驚きではあるけれど、何より一番驚くべきことがひとつある。
「え……でも、歌音さんって九条派……だよね?」
「ええ、まあ、そうですね」
左沢産業高校剣道部の現役部員を取り巻く二大派閥。
東の西川派。
西の九条派。
つい先日も部長の座をかけて争った二者は、東北勢を中心とした西川派に対して、九条派はそれ以外の地方出身の部員で主に構成されている。
九州出身の彼女も、そのひとりのはずだった。
「部長のことが好き……なら、どうして九条派に? 西川派じゃなくて?」
「それじゃあ、対立できないじゃないですか」
「……うん?」
私の頭が悪いのかな?
彼女の言っていることが、イマイチ理解できない。
「部長の剣道は素晴らしいです。堂々として、真っすぐ正道で。小手先の技に頼らない、真実一路を行く、まさに光の剣です」
「あ、それわかる! なんか、『剣道のお手本!』みたいな剣道だよね、部長って」
「そう、なんだ?」
すずめちゃんも一緒に、部長の剣道についてやんややんやと語り始めるけど、剣道部歴二ヶ月の私は乗るに乗れない。
「じゃあ、歌音さんは、そんな部長の剣道に憧れて?」
思えば、見た目の雰囲気が似ているのも、部長を意識してのことなのかな。
そう思うと
「ある意味、そうとも言えますが違います。私は、部長の剣で、真っ向から
「ん?」
「入部して、初めて部長の太刀を受けたとき、震えました。ああ、こんなに純粋な剣道をする人が、世の中にまだ居たのかと。まさに、荒んだ心が光で浄化されたかのよう……その瞬間、私はすっかりあん剣の虜になってしもうたわけです!」
「んんんん?」
あれー、やっぱり理解できなかった。
歌音さんは、目をかっぴらきながら拳を握りしめて力説してくれたものの、ひとっつも頭の中に入ってこなかった。
興奮してるのか、ちょっと方言出てるし。
私、たぶん間違ったことは聞いてなかったよね?
それとも、私が防具すら付けたこと無い、剣道未経験者だから分からないってだけ?
判断を仰ぐように、すずめちゃんを振り返る。
「なるほどなー」
「すずめちゃん……言ってること分かるの?」
「確かに部長の太刀を浴びると、なんか気持ちいいよね!」
「そうなんだ……」
どうやら、この場で私だけが至っていない境地らしい。
剣道……怖い。
「ふたりがお付き合いしていないと聞いて、安心しました。ありがとうございました」
「どういたしまして……?」
「では、おやすみなさい」
彼女は丁寧なお辞儀をしてから、建付けの悪い戸をガタガタと根気強く開いて、炊事場を去っていった。
そんな歌音さんの背中を、すずめちゃんがうっとりとした顔で見送る。
「部内に恋の花が咲いてるねぇ」
「これは、そういうのなのかな?」
悪いけど、私には何か違うもののように見えたよ?
翌日。
とっくに夏休みに入った剣道部では、毎日朝から夕方まで練習の日々だ。
「お盆期間は一週間、部活も休みといたしますが、その前に二泊三日の全体合宿を行います」
練習の後、赤江そう言ってスケジュールの書かれたコピー用紙を部員に配る。
私も貰って目を通すけど、朝から晩までびっちりと書き込まれたスケジュールに、読み通すだけでも頭がくらくらしそうだった。
「今の部のレベルはおおむね把握しているつもりですが、夏合宿は、新人戦の前にそれぞれの個人技を集中的に伸ばす最後の機会です。その成果次第では、もちろんレギュラーの入れ替えも検討します」
彼女の言葉に、部員たちの気配が変わった。
皆、思い詰めたような顔で息を飲んで、周囲の他の部員たちの顔色を伺っている。
無言でけん制し合っているような、そんな気配。
それを知ってか知らずか、先生は朗らかな顔でパチンと手を打つ。
「まあ、半分は新チームの交流会のようなところもありますので。肩肘張らずに、三日間の稽古に打ち込んでください」
「はい!」
肩肘張らずに、と言われたものの部員たちはとっくに臨戦態勢だ。
早くも空気に飲まれそうになってしまっている私だったが、それ以上にもっと重大な問題に直面している。
合宿場所は、いつもの剣道部寮。
つまり、部員全員分の食事を用意しなきゃいけないってことだよね?
いつもの倍近い人数のメニューを一挙に引き受ける――それって流石に弱音吐いちゃう、かも。