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第10話 つなぎ、むすぶ ~弁慶めし~

「ごちそうさまでした」


 朝食が終わり、バッシングされたお皿が次々と炊事場のカウンターに積みあがる。

 のんびりと自室に戻って準備をはじめる部員たちを見送って、私は改めてエプロンを付けなおした。


 私も、できることをやろう。

 冷蔵庫から準備しておいた食材たちを調理台に並べて、自分を奮い立たせるように両手で頬を叩いた。


 そうして数時間後――私は再び、鬼気迫る稽古が繰り広げられる道場の隅で、縮こまるように正座をしていた。

 飛び交う猿叫えんきょうに、そのうち踏みつぶされるんじゃないかって勢いで、右に左に駆け回る部員たち。

 この環境に慣れるときは、果たして来るのかな?


「やめ、礼!」

「ありがとうございました!」


 やがて区切りがついて、部員たちが一斉に面を外す。

 滴る汗を手ぬぐいで拭きながら、ようやく柔らかい表情と声が道場に溢れた。

 それぞれ思い思いの場所でお昼休憩を取り始めようとしたところで、私はようやく重たい腰を上げる。


「あの――わっ!?」


 立ち上がろうとしたら、足が痺れてつんのめってしまった。

 声をあげて注目を集めたのもあってか、あっという間に別の意味での笑い声が道場を飛び交う。

 うう……恥ずかしい。


「あ、あの……差し入れ作って来たので、良かったらどうぞ」

「え、もしかして例のなづな飯?」


 真っ先に食いついてきたのは、寮生以外の部員たちだ。


「例の?」

「今度の料理長はすんごいって噂になってるから」

「な、なるほど」


 その言い草、真帆先輩にも聞かされたな。

 ついひと月ほど前のことが、遠い昔の記憶のように懐かしい。


「それで、何作ってきたの?」

「ユニフォーム汚しちゃいけないと思って、手軽にと、あと軽く摘まめそうなものを」


 クーラーボックスの中から取り出した重箱を開けた瞬間に、辺りにどよめきの声があがった。


「何これ、緑色?」

「おにぎりが葉っぱにくるんである!」


 詰まっているのは、海苔の代わりにモスグリーンの菜っ葉に包まれたおむすびだ。


「実家の大人気メニュー〝弁慶めし〟です。お父さんの地元の郷土料理で、表面に味噌を塗ったおむすびを、一枚葉っぱの青菜せいさい漬けでくるんで、焼きおにぎりにしたもの。香ばしく焦げた青菜と味噌が、真っ白のお米にすごく合うんですよ」

「具は入ってないの?」

「はい、基本的には入れません……けど、練習後で汗をたくさんかいてると思ったので、特別に梅干しを入れてます。種は取ってるのでがぶっと行っちゃってください」


 おむすびを回してもらっている間に、もうひとつの重箱も開けて紙皿におかずを取り分ける。

 付け合わせに用意したのは、蓮根のきんぴらと、胡瓜と茗荷みょうがのお漬物――そして、から揚げだ。


 これは、私の料理人としてのエゴ。

 ちょうど材料があったというのもあるけれど、味の感想を聞かないまま終わることなんてできないよね。


「うんまっ! 漬物焼いたのなんて初めて食べたけど、案外イケるわ。焼けてパリパリの部分と、しゃくっとしたお漬物感残ってる部分が、白飯に合う~!」

「名前からして戦闘糧食りょうしょく感すごいね。弁慶だって。めっちゃ力つきそう」

「一応、見た目が弁慶の頭巾とか、握り拳に似てるからって説が有力らしいです」

「あ、なんか弁慶にゆかりあるわけじゃないんだ。東北だからてっきりそういうのかと」


 そこはご期待に応えられずで申し訳ないけど、由来に関しては諸説あるし、もしかしたら本当に弁慶が食べた……なんてこともあるかもしれない。


「関西にはかつて〝楠公なんこうめし〟なんて言うて、お米をかさ増しして食べる方法が広がった言う話やけど……流石、食のみやこの東北さんは、同じ〝めし〟でも彩り豊かで素敵ですわぁ」

「す、すみません」

「褒めてるんよ?」


 裏の見えない笑顔を浮かべながら、はー子先輩がしゃくりとおむすびに食らいつく。

 小さな口でついばむような食べ方だったが、ゆっくり咀嚼して飲み込んだ末に、ほうと小さくため息をついた。


「お米はんの炊き方だけは、天地がひっくり返っても敵わんな」

「あ、ありがとうございます」

「今のは皮肉」

「ええー」


 やっぱり苦手だこの人。

 とてもじゃないが、私の手に負える相手じゃない。


「まあ、おくどさん任せるんなら、このくらいしてくれんと困ります」

「おくどさん……?」

「てか、から揚げうまっ!」

「あ、わかる。この間、夕飯に出たのも美味しかった」


 不意に先輩方の話す声が聞こえて、私は弾かれたように振り返った。


「なんか、その辺のと全然違う。これ? すごいみたいに、プリプリなんだが。噛めば噛むだけ味がじゅわってあふれ出すっていうか」

「あ、はい! わかった! マヨネーズでしょ? 漬けダレにマヨ入れるとぱさぱさにならないってママが言ってた」

「確かにマヨネーズでも似たような効果がありますけど。実家ではもっぱらです」

「ヨーグルトぉ?」

「ヨーグルトを入れると、お肉が柔らかくなるだけじゃなくエキスも閉じ込めてくれて、冷めてもぷりっとジューシーな鶏の旨味たっぷりのから揚げになるんです。酸味で後味サッパリ、しつこくなく食べれるのも特徴で」

「確かに、ナンボでもイケる。憎いわ~」

「まだありますから、お好きなだけどうぞ」


 良かった……ちゃんと、美味しいって思ってくれてたんだ。

 ここ数日のわだかまりがすとんとお腹の底まで落ちていった気分で、久しぶりに、なんだかスッキリした気分。


 というか――めっちゃ嬉しい。

 あの時は「うまい」って言わせられなかったけど、それを帳消しにしてしまえるくらい、今、すごく嬉しい。


「あ、そうだ……!」


 何十人との配膳でいっぱいいっぱいで、すっかり忘れてた。


 クーラーボックスの底に眠っていた銀紙の丸い包みを取り出して、辺りの様子を伺いながら瀬李部長の方へと駆け寄る。

 私に気づいた部長は、弁慶めしの最後のひとかけらを飲み込んで、しまいに指先についた塩っ気を唇でちゅっと吸い取った。


 汗で濡れてるのもあって、何か……エッチいな。


「あの、瀬李部長。もう、お腹いっぱいですか?」

「いや。この後、お昼用に買ってたパンを摘まもうと思っていたくらいだが」

「だったら、その、これも」


 そう言って、私は手に盛った包みをおずおずと差し出す。


「午後の試合が始まる前に、食べてください!」


 それだけ言い残して、私はそそくさともとの場所へ帰った。

 感想は気になる――けど、部長が食べているところを傍で見ている方が耐えられない。

 料理人として失格だとしても、こればっかりは無理だ。


 でも、午後の試合で頑張って欲しいから。

 私なりに精一杯の応援の気持ちを、あの中に詰め込んだ。




 そうして、休憩後一番にふたりの試合は始まる。


 しんと静まり返った空気が、ピリリと山椒みたいに張り詰めた。

 マネージャーとして一度だけ見た、全国大会をかけた大会の決勝戦のような気配だった。


「赤、西川。白、九条。はじめっ!」


 主審を務める赤江先生の号が響いた。


 正直なところ、剣道にふれて一か月かそこらの私では、試合場で何が起きているのかなんてサッパリ分からなかった。

 交わされる竹刀も、ふたりの動きも、速すぎて追い付かない。

 ただひとつ、ふたりともほとんど互角だってことだけが、一向に入らないポイントから理解できた。


 両者一歩も引かないまま、試合は延長戦へ。

 胸元で祈る世に合わせた手が、じっとりと汗ばむ。

 頑張って、部長。


 祈りが形になるように、決着は延長戦の開始直後についた。

 審判の「はじめ」の合図を徒競走のスターターみたいにして、ヨーイドンで同時に打ち込む。

 互いに示し合わせたわけでもなく、でも互いにんだろうなって分かってしまった。


 おおっ、とギャラリーに歓声とどよめきがあがる。


「メンあり! 勝負あり!」


 上がった旗は

 瀬李部長の勝利だった。


「やった! やったやった!」


 自分のことでもないのに、私は飛び上がってすずめちゃんに抱き着く。

 彼女が身に着けたままの防具が当たって痛かったけど、そんなの気にすることではない。


「ふぅ……ここ一番の勝負強さは、相変わらず恐れ入ります」

「いや、これほど緊張する試合は大会でもなかなかない。ありがとう、白蓮」


 面を外したふたりが、息を弾ませながら握手を交わす。

 そのまま、はー子先輩がくるりと周りのギャラリーを見渡すように視線を向けた。


「ということで……納得いってよろしい?」

「……うす」


 笑顔で尋ねる先輩に、九条派の面々はバツが悪そうに頭を下げる。

 満足げに見届けて、はー子先輩は瀬李部長へと向き直った。


「負けたままは悔しいさかい、またよろしゅう。それまで肩書は預けとくわ」

「うん。預からせて貰おう」


 ふたりを称えるように拍手があふれた。

 なんか……いいな。

 全力を出し切ったあとにすがすがしく笑い合うふたりの先輩たちを見ていると、あそこに立てるのがちょっぴりだけ羨ましいと思った。


「なづな」


 試合が終わって、それぞれ自主練の準備を始める中で、瀬李部長が私に声をかけた。


「ありがとう。おかげで、ここ一番の力が出たよ」

「そ、そうですか。なら、よかった」


 私は照れを隠すように視線を泳がせながら、それでも嬉しさを隠しきれずにはにかむ。


「しかし、まさかとはね」

「具材がそうだってだけで、親子丼とは全く違いますけど」


 瀬李部長に特別に用意したのは、具材に鶏の照り焼きと半熟の卵焼きを、炊き立てのご飯と海苔で挟んだ、おにぎりサンド――通称、というやつだ。

 最後に三つ葉をちょんと載せれば、材料だけなら立派な親子丼だ。


「部長に部長でいてほしかったから、その、ちょっとだけ贔屓しました。すみません」

「嬉しいよ。それにみんなも差し入れを喜んでいたようだし。なづなはもう立派な、だな」

「……はいっ」


 部長の言葉に、私は自信を持って頷く。

 今ならはっきりと、私がこの部の一員だって胸を張って言えるような気がした。


 あれ……そう言えば、なのに、失敗しなかったな。

 もしかして私、癖、克服してる……?


 いや、まさかね――

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