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第9話 敵を知り、己を知る

 翌日、私はヒジョーに不機嫌なまま一日を過ごすことになってしまった。

「なづなちゃん、大丈夫? 最近お通じ悪いとか?」

「すずめちゃん、ウチのお母さんと同じこと言ってる」


 教室で心配して声をかけてくれたすずめちゃんに、少しばかり肩の力が抜けた。


 うすうす感づいていると思うけど、ウチの部には、特に二年生を中心に大きく二つの派閥がある。

 瀬李部長を中心とした西と、はー子先輩を中心としただ。


 西川派は、地元出身である瀬李部長を推す、主に東北出身の部員たちの派閥。

 地区が近いこともあって、昔から大きな大会のたびに顔を合わせているそうで、信頼と結束が厚い。


 そしてもうひとつの九条派は、東北以外の越境勢を中心とした派閥。

 遠く山形の高校まで進学してきた中で、生まれた土地も文化も言葉方言も違う、ある種の肩身の狭さ。

 それを払拭するように、越境組の中では随一の実力を持つはー子先輩を持ち上げて固まった勢力だ。


 この二極派閥が、まあ、仲が悪い。

 まだ三年生の先輩方が居た頃には、顔を立てて大人しくしていたようだが、代替わりをしたことで遠慮がなくなったわけだ。

 現役ファーストの部活性は、世代ごとの特色にも表れると言うことだろう。


 事情は察する。察する、けど。

 わざわざ晩御飯の時にしなくてもよくない!?

 静かに食べなさいなんて、小学校の先生みたいなこと言うつもりは無いし、むしろワイワイ楽しんで料理に舌鼓を打ってくれるなら大歓迎だ。

 少なくとも、ウチの実家の定食屋は、そういうお店だから。


 なのに、ほとんど喧嘩みたいな派閥争いをご飯の時間にまで持ってきて、やんややんやと騒ぎ立てるなんて、動物園の猿か。

 いや、猿山の猿だってボスを中心にもう少し規律があるよ。

 つまり猿以下だよ。

 最低だよ。


 その日の晩は生姜焼きを作ったけれど、自分でもびっくりするくらいに気合が入らなくって、気が付いたら食後にぼーっとお皿を洗っていた。

 夕飯の様子がどうだったかも、よくわからない。

 また喧嘩でもしてたらと思うと、見ていられなくって、ずっと炊事場に引きこもってご飯やお味噌汁のおかわり対応に当たっていた。


「なづなさん、良いかな?」

「ふぇ……? わっ!?」


 ぼーっとして振り向いたら、炊事場の入り口に瀬李先輩が立っていて、思わずお皿を取り落としそうになってしまった。

 ぼんやり口を開けてて、よだれでも垂れていやしないかと、咄嗟に口元を拭う。


「は、はい。なんでしょう?」

「ああ、いや……マネージャーがひとりになってしまって、迷惑をかけて申し訳ない。手伝おう」

「あ、いえ、そんな」


 先輩は、予備の便所サンダルつっかけを履いて、私の隣で濯いだ食器をひとつずつ丁寧に拭いてくれる。

 数が数なので、正直ありがたいけど……先輩とふたりきりになってしまうと、なんか微妙に気まずいというか、ドギマギしてしまう。


「今日は、体調が悪いのか?」

「え? いえ……どうして?」

「あまり、料理に身が入っていないようだったから」

「ああ……分かりますか?」


 食べた人に見抜かれてしまうなんて……気合が入っていないのは事実だとしても、料理人として恥ずかしい。


「部の雰囲気を気に病んでいるなら、本当にすまないと思う。部長としての私の責任だ」

「い、いえ、そういうわけではなく!」


 私は慌てて首を横に振った。

 瀬李先輩は、自分も火中の人だっていうのに、私の方ばかりを心配して頭を下げる。

 それは違う。

 確かに原因自体はそうなんだけど、本当にモヤモヤしてるのはそこじゃないから。


「喧嘩は別に良いんです。女子高生十数名が集団生活してるんですから、むしろ無いほうがおかしいくらい……ただ、それを料理で黙らせられない自分が悔しくって。喧嘩なんか吹き飛ばして夢中になっちゃうような、そんな料理を出せない自分にイライラして、ムカムカするんです……!」


 仮に、どんなに口汚く罵り合っていていても、食べた瞬間「うまっ」の一言を引き出せるような、そんな料理を出せなかった。

 それが悔しい。


 いら立ちをぶつけるように、洗い物の手が進む。

 いつの間にか瀬李先輩の拭き作業のペースを大幅に超えてしまって、水切りに大量の食器が山積みになってしまった。

 私も布巾を手に、お皿拭きに移る。


「すみません。なんか、愚痴みたいになっちゃって」

「いや、良いんだ。むしろ、なづなさんを選んで良かったと改めて思った」

「あはは、買い被りすぎですよ」

「そんなことは無い」


 私の謙遜をさらりと否定しながら、先輩は、拭き終えたお皿を棚に戻していく。

 私の身長だと、ちょっと背伸びする必要がある棚の上の方に、軽々と上げていく姿は非常に頼もしい。


「親子丼」

「え?」

「前にした、親子丼の話。小さい頃によく行っていたお店の」

「あ……ええ、はい」


 入部試験の時に、そんな話を聞かされたっけ。

 先輩は、大事な思い出を紐解くように、ぽつりぽつりと話してくれる。


「当時、私は大会帰りでひどく落ち込んでいたんだ。私のせいでチームが試合に負けて、それで。でも、その日の夜に連れて行ってもらった店で食べた親子丼がすごく美味しくって、試合に負けたことなんて忘れてしまうくらい、夢中で食べた」


 へぇ……そんな料理が作れるなんて、素直に羨ましい。


「それを作ったのがね、なんと私とそう歳の変わらない少女だったんだ。それがさらに衝撃的でね」


 ……うん?


「大人顔負けの料理を、楽しそうに作る彼女の姿を見ていると、たった一度の試合に負けただけで落ち込んでる自分が馬鹿みたいで。また明日から稽古を頑張ろうって、そう思えたんだ」

「あの」

「何か?」

「先輩って、ご実家は市内の方ですよね?」


 市内とは、県庁所在地である山形市のことだ。

 山形県の内陸部に住む人は、どこに住んでてもなぜかそういう言い方をする。


「ああ。まあ……だからこの寮は助かってるよ。寮生活を支えてるマネージャーにも、感謝してしきれない……ああ、そうだ」


 先輩は、バツが悪そうに言葉を濁したのちに、不意に何か思いついた様子でポンと手を打つ。


「なづなは、稽古を見に来たことはあったか?」

「稽古……いえ、マネージャー業務の引継ぎで忙しかったので、全然」

「良かったら今度、見学してみるといい」

「それは、どういう?」

「戦うつもりなら、敵を知ることがまず大事だと思ってね」


 先輩がはにかんで笑うのを、私はぽかんとして見ていることしかできなかった。

 いつの間にか、がとれて呼び捨てになっていたことなんて、気付きもしないくらいに。




 それから数日後、私は、言われた通りに剣道部の放課後練習を見に来た。

 今日の夕飯はカレーにして、既に大鍋で大量に仕込んでおいてのことだ。

 その辺は、抜け目ない。


 夕暮れの剣道場に、鋭い竹刀の音と、選手たちの叫ぶような掛け声(気合というらしい)が、ギャンギャンに響き渡る。

 正直、慣れてない私からすると、耳栓が欲しいくらいに騒々しい。


 部員たちはみな、面の中で顔いっぱいに大粒の汗を流し、口からは絶え絶えの熱い呼気がこぼれている。

 何か会話をする余裕なんてない様子で、隅に設置された太鼓(お祭りとかで使うような大太鼓)の音を号令に、目の前の相手に挑みかかる。

 それを、相手を変えて何度も、何度も、気が遠くなるくらいに繰り返していた。


 いくら強豪の部だとしても、もう少し漫画やドラマで見るような、雑談や笑顔が混じる、爽やかで和気あいあいとした練習風景をイメージしていた。

 鬼気迫る練習風景にすっかり萎縮してしまった私は、道場の隅で小さく正座しているのがやっとだった。

 正直、今すぐこの場から離れて寮の炊事場に戻りたいくらい。


 思わず腰を上げかけたところで、目の前に部員のひとりが吹き飛ばされて来て、ぐったりと横たわる。

 私は腰を浮かしたまま、ぎょっとして彼女を見下ろす格好になる。


「疲れて手打ちになっています! 腰が入っていないから、それだけ簡単に跳ね返されるんです! 全身で打ちなさい! 全身で!」

「は……はい」

「声が小さい!」

「はいっ!」

「あの、だいじょうぶ――」


 私が声をかける間もなく、彼女はよろよろ立ち上がって「赤江」というネームをつけた剣士に立ち向かっていく。

 あれってもしかして、先生?

 そして今の選手がつけていたのは「黒石」のネーム――すずめちゃんだ。

 私よりも小さな身体で、見た目以上にその姿を大きく見せる気迫を纏った先生に、すずめちゃんは飛び込んでいく。

 苦しく、辛いのだろう、ほとんど泣きそうな声になりながら、それでも彼女は戦うことを止めない。


 見渡せば、目に映るすべての部員たちがそうだった。

 私だったら、まさにそうしようとしたように、すぐにでも逃げ出したくなりそうなほどの辛い稽古。

 しかし、誰一人として文句を言わず、逃げ出さず、一心不乱に竹刀を振るう。

 気合を上げる。

 ぶつかり合う。

 部長も、副部長も、派閥も関係ない。

 ただひとつ、壁に貼られた「全国制覇」の文字だけが、彼女たちの支えであり、ここにいる理由なのだと肌で感じた。


 本気なんだ。

 私が思っているよりも、ずっと上の次元の覚悟と願いで。

 誰に強制されたわけでもなく、彼女たちはみんな、自らあの四文字を背負って剣を手に取っている。


 今さらになって、引退式の光景がずしんと心にのしかかってきた気分だった。

 あの日流していた先輩方の涙は、目の前の彼女たちが流している大粒の汗よりも、ずっとずっと重い。


「明日は土曜日ですので、稽古は朝九時から。昼食を挟んで、午後は自主練とします」


 稽古を終えて、面を外した部員たちが、赤江先生の前に並んで座る。

 美しい髪が自慢のはー子先輩ですら、クセではねっ返った髪をとかす間もなく、真摯な表情で先生に向き合う。


「ただし、提案がありましたので明日の午後一番にひとつ、試合を組みたいと思います。西川と九条」

「はい」

「はい」

「個人戦ルールの四分三本勝負でいいですね? 延長の場合は、決着がつくまで」

「はい!」


 最後の返事は、ふたりとも声量も、タイミングも、バッチリと重なったユニゾンとなった。

 色めき立つのは、もちろん九条派の部員たちだ。

 西川派の部員たちは、大会の前の日みたいにピリピリした表情を浮かべている。

 そんな中で瀬李部長は、いつもと変わらない気丈な姿で、はー子先輩に手を差し出す。


「真剣勝負だ。よろしくな、白蓮」

「胸をお借りいたします。よろしゅう」


 はー子先輩が余裕の笑みで手を取り、握手を交わす。

 それは、避けられない戦いをふたりが承諾した証だった。


 もしも瀬李先輩が負けたら、彼女は部長でなくなってしまうのだろうか。

 私は――私も、この部の一員として、いったい何ができるんだろう。


 彼女たちに……いや、瀬李先輩に。

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