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第8話 不本意な食卓 ~から揚げ~

 最重労働の炊飯器をセットした私は、冷蔵庫から出して常温に戻しておいた食材に向かう。

 古ぼけた調理台は、民宿時代から使い込まれているんだろうけど、表面はニスか何かで綺麗に磨かれていて手触りが良い。


 から揚げのメインのお肉は、鶏のむね肉を使う。

 親子丼は旨味たっぷりのもも肉を使ったけれど、唐揚げは個人的にむね肉の方が油がしつこく無くて美味しいと思う。

 安いから、安価に量を沢山作れるしね。


 むね肉をひと口大に切ったら、醤油、酒、砂糖、にんにく、しょうがを混ぜた調味液に漬けて揉み込む。

 そしてここに、冷蔵庫から取り出したを投入して、味の微調整に塩をぱらぱらっと。

 お父さんから教わったことだが、漬け込みにを入れると、から揚げがすごく美味しくなる。


 もうひとつ、醤油を塩に変えてあっさり味付けしたものも用意しておこう。

 代わりに胡椒こしょうを振って、味にパンチをつけておく。

 もちろん、こっちにも入れる。

 これでから揚げの下処理はOKっと。


 付け合わせにツナサラダとニラ玉汁、あと作り置きのお漬物を出す。

 真帆先輩から引き継いだ、寮の食事のルールはただひとつ。


 ――一食に、必ず二種類以上のたんぱく源となる食材を使うこと。


 ようは、メイン食材を二つ以上使えということだ。

 たんぱく質って意識しないと取れないし、何より身体を作らなければならない運動部だもの。


 それに、朝と夜は寮で食べるけど、お昼は学校の購買や学食で好きにとることになっている。

 そこでありがちな、総菜パンやラーメン、カレーなどの炭水化物ばかりの食事になってしまうと、一日トータルでの栄養価が不足してしまう。

 だったら、寮の朝食と夕食で最低限は補っておこうという心遣いなんだろう。


 ツナサラダは、カットしたレタスとキュウリ、トマト。

 レタスは、使う前に五〇度くらいのお湯に一分ほど浸すと、とれたて新鮮みたいにシャキシャキになる。

 ただ五〇度のお湯を作るのが面倒なので、家では給湯器から出た熱めのお湯でも十分。

 そこに、みじん切りした玉ねぎとツナを缶のオイルごと和えて、塩、胡椒、お酢で味付けした具材ドレッシングを載せる。

 これだけで完成。

 ドレッシングも手作りだけど簡単でしょ?


 ニラ玉汁は、お鍋に煮干しで出汁をとって、そこにニラ、溶き卵を入れたシンプルなもの。

 煮干し出汁は、面倒でも頭と内臓を取るのが美味しく作るコツだ。

 溶き卵は、相変わらずの三原則で、混ぜない、とかない、触らない。

 固まったら、食べる前に味噌をといて完成。


 そうこうしてる間にお肉が漬かったので、いよいよ揚げに入ろう。

 衣の付け方にはいろいろあるけれど、私は素直に粉をはたいて付ける派だ。

 片栗粉多めに、その半分の量くらいの小麦粉を混ぜて使う。


 漬けダレがもったいないようにも見えるけど、味はお肉にしっかりついてる。

 だから、むしろ表面の余分なタレはキッチンペーパーでふき取って、粉にぎゅっ。


 まぶしたら、すぐに揚げないでタッパーにしばらく放置して、馴染ませる。

 粉を馴染ませると、お肉から衣が剥がれずにザクザクのから揚げが出来上がるから、ちょっとの我慢が大事。

 まあ、時間は適当に、他のお肉に衣をつけ終わるまでの間くらいでも。 


 そして満を持して揚げ油に投入……!

 ジュワジュワ、パチパチと、油の中で奏でるお肉たちの大合唱は、まさに至福の歌声だ。

 私にとっては、クリスマスの聖歌隊よりも美しく、心を清らかな天上へと導いてくれる。


 定番の二度揚げで仕上げるので、一度目は温度低めの油で茹でるように。

 二度目は、温度高めの油で一気にカラッと。


 揚がり具合は、揚げ物本人に聞くのが間違いない。

 油の中から菜箸でそっと持ち上げた時、「アガッタヨ!」と食材がプルプル震えて教えてくれる。

 ペットショップで、つぶらな瞳でこちらを見上げる子犬みたいに。

 可愛くてしょうがないその子を、今こそ抱き上げる時だって――


 揚げのタイミングに関しては、お父さんからお墨付きを貰っている、私の得意技だ。

 これだけは、プロの料理人にも負けない自信がある。


 あっと言う間に積みあがる、こんがり狐色のから揚げの山。

 抱き上げたのは、子犬じゃなくって子狐だったか……ゴン……。


 往年の名作に感傷を覚え始める前に、寮の玄関の方ががやがやと騒がしくなってきた。

 どうやら、稽古を終えた部員たちが帰ってきたらしい。

 私は、コンロの火を止めて玄関先までお迎えに行った。


「お帰りなさい。お風呂で汗を流したら、ごはん、できてますよ」

「今日からなづな飯か」

「おかずは?」

「から揚げです」

「やった、戦争だね」

「お風呂は二年から頂きます。一年は、三年の姉さん方を呼んで来たってな」

「はーい」


 玄関先でバタバタとやり取りを済ませて、制服姿の部員たちが、一旦それぞれの部屋に引っ込んでいく。

 それから順にお風呂に入って、みんなが上がってきたら食事だ。

 まあ、三〇分そこらってとこだろう。


 こっちも仕上げをして、臨戦態勢に臨まなければ。

 みんなは道場でたっぷり戦って来たかもしれないけど、ここからは私の闘いだ。




「それでは――いただきます」

「いただきます!」


 瀬李部長の号令で、食事が始まる。

 寮の宴会場は、全面畳張りの大広間に、座卓をずらりと並べた簡単な作りになっている。

 実家にも畳の部屋はあるけれど、ここまで広いと流石にちょっと興奮する。

 そのうち一度くらい、だだっ広い広間の真ん中でひとりでゴロゴロしてみたい。


 そこから調理場に向けて空いた、カウンターとも言えないような小窓。

 まだ、これからも大量に揚がるから揚げは、できた端から逐一、この窓から運んでいく。


「どうだったよ、新部長。代替わり一日目の感想は」


 料理を運んでいると、三年の先輩が瀬李部長に絡んでるのが見えた。

 部長はクールな笑みを浮かべて、頷き返す。


「おかげ様で、何の問題もなく過ごせました。先輩方が培って来た、部のまとまりのおかげです」

「そういうこと言ってんじゃないよ。アレ、やったの?」

「ああ、はは、ええ、まあ」


 アレってなんだろ?

 部長が苦笑いするところを見るに、あんまりいいことではなさそうだけど。


「すずめちゃん、アレって何?」

「ふぇ? ほへはへー、ふないはんつぺ、いっほんしょーぷ!」

「ごめん、食べ終わってからでいいよ」

「ごくん。えっとね、部内番付一本勝負! 代替わりしたら恒例なんだって。勝ち残りの一本勝負をひたすら繰り返して、その勝数で番付作るの」

「ふぅん……それは、なんの意味があるの?」

「まあ、ざっくり? 部内の自分のランクを知る……のかな?」

「ちなみにすずめちゃんは?」

「へへー、五位でした」


 聞いてみたところで、それがすごいのかそうじゃないのか私には判断できなかったけど。

 すずめちゃんが誇らしげに言うので、きっとすごいことなんだろう。

 私は笑顔で「おめでとう」と労いの言葉を返してあげた。


「番付かあ。じゃあ一位は瀬李部長かな」

「んーん、違うよ」

「え?」


 当たり前にそう思っていた私の予想を、すずめちゃんは首を横に振って否定する。


「今日の一位は、はー子先輩」


 言われて、視線がおのずとそちらを向く。

 部長のお向かいの席で食事を摂るはー子先輩は、無言ながらも、どこか誇らしげにしゅっと背筋が伸びていた。


「初日から番付取られちゃうなんて、部長面目丸つぶれじゃんね」


 二年の先輩の誰かが、冗談めかした声で言う。

 すると、同調するようにやいやいと言葉が飛び交い始める。


「もともと、実力ははー子のがあったもんねー。部長も、はー子がやったらよかったのに」

「部長は、実力だけで決めるもんじゃないでしょ?」

「でも、なあ? 締まりが悪いや、なあ?」

「うふふ、さあ、どないでしょうなあ? ウチは全然、部のためになるなら副部長で構いませんけど」

「瀬李が部長だってのは、先輩方が決めたんだよ? それに文句言うつもり?」

「女子剣道部は、現役ファーストですよね? 過去には部長が入れ替わった例もあるとか」


 議論の白熱するみんなの視線が、一斉に三年の先輩方を向く。

 先輩方はどこか愉しそうな顔で、煽るように手をひらひらと振った。


「まあ、そういうこともあったかもね。私らは瀬李を選んだ。でも、それをどうするかは、あんたたちで決めな?」

「よっしゃー! お墨付きー! これはもう、勝負っきゃないっしょ? 運任せ一本勝負じゃなくってさ。それ、しょ・う・ぶ! しょ・う・ぶ!」


 先輩の手拍子に合わせて、何人かの部員たちがシュプレヒコールをあげる。

 それに対して、いわゆる瀬李部長派と思われる部員たちが、苦い表情を浮かべていた。


 しょ・う・ぶ、しょ・う・ぶって――えー、何この空気?

 三年生たちが部に居た時は、まだって感じがあったのに、代替わりしたとたんにコレ?

 なんで?

 どうして?


 てか、そんなことよりみんな、今日のご飯どうなの?

 さっき言われた通り、初なづな飯なんだけど?


 から揚げは?

 美味しい?

 美味しくない?

 お米だって、丁寧にこだわって炊いてるんだけど?


 別に、強制はしないけど感想くらい聞かせて!?

 お願いだから、ご飯のときは食べることに集中して!!!

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