そうして、七月の初週。
代替わりをしてはじめての放課後練習は、いつもの稽古が始まる前に道場に全部員が集まって、簡単な決起集会を行うことになった。
「改めて、新部長を務める西川瀬李だ。今日から一年――いや、一年と
瀬李先輩、改め瀬李部長の挨拶を受けて、部員一同から拍手が送られる。
三年生が抜けた道場は、少しだけ広く感じるけれど、部員たちの熱気は変わらない。
「一年と
「全国まで行ったら、あと一ヶ月くらいは引退が伸びるからねー」
「なるほどね」
すずめちゃんの言葉に納得した私は、少しだけ拍手を強めた。
多くは語らない中に、来年は全国に行くぞって気持ちをしっかりと込める。
流石、瀬李部長だ。
部長に続いて、たおやかな雰囲気の女生徒がひとり、部員の前に立って一礼する。
まさしく
「副部長の
白蓮先輩――みんなからは「はー子さん」と呼ばれている彼女は、独特の訛りから察する通り、近畿地方は京都からの越境組だ。
雰囲気通りの柔らかい物腰と、剣道の実力も高く、副部長を任されるだけの人望を部内で得ている。
「なづなも、幹部なのだから挨拶を頼む」
「え……あ、はいっ」
私は、慌ててみんなの前に踊り出た。
話を振られると思って無くて、挨拶の内容なんて何も考えていない。
ひとまず、無難に済ませておこうか。
「マネージャー長を務める、山辺なづなです。よろしくお願いします」
「時間を無駄にせん、配慮ある挨拶やなぁ」
「え? す、すみません」
「いえいえ、誉めとるんよ?」
はー子先輩は、もちろん寮生で、私も何度かお話をしたことがある。
見ての通り、下級生相手でも丁寧で優しい口調の人だけど、性格はかなりキッチリしていて、マネージャーとしての仕事ぶりをの至らない部分を、よく指摘される。
その時、相変わらずの笑顔のまま口調も丁寧に言ってくるのが、いろんな意味で怖い。
まるで赤江先生がもうひとりいるみたいだ。
そうは言っても、本当に挨拶の中身なんて考えてなくて……あっ、そうだ。
挨拶っていうか、ひとつ、お願いしなきゃいけないことがあったんだ。
「これから先、剣道部寮の料理長も務めさせていただきます。それで、私が料理長になったら、ひとつだけお願いがあります」
まっすぐ私の言葉に耳を傾けてくれる部員たちに、私もまっすぐ勝負のつもりで宣言した。
「どうか、調理中は厨房に足を踏み入れないでください。私を、厨房でひとりにしてください。お願いします」
改めて頭を下げた私に、しばらくの間、道場のなかがしんと静まり返った。
あれ、何かマズったかな?
慌てて頭を上げたタイミングで、パチパチと小さな拍手がひとつ響く。
瀬李部長だった。
釣られるように、まばらに拍手が増えていって、やがて瀬李部長たちの時と同じくらまで膨れ上がった。
よかった、とりあえず大丈夫だったみたい。
「今後の方針だが、まずは秋の新人戦で新チームの可能性と課題を洗い出しつつ、三月に行われる〝魁星旗〟で結果を出すことに焦点を絞ろうと思う」
「ええと思います。ただ、欲を言えば八月の〝玉竜旗〟も手を付けたいところですが。出ない意味、あります?」
「先輩方が引退されたのに、我々だけ参加するのもな。それに八月は丁寧に調整と夏までの課題解決に力を注ぎたい。その点は赤江先生も了承済みだ」
「ほなら、異論ありまへん。今のチームの実力なら、他校の胸をお借りすることになってしまうでしょうし」
「みなさん、お疲れ様です」
部長と副部長を中心に、今後の活動目標のミーティングが行われている中で、道場に赤江先生がやってくる。
瀬李部長は、一瞬で話し合いを止めて、部員たちに号令をかけた。
「集合!」
「はい!」
「よろしくお願いします!」
「よろしくお願いします!」
駆け足で先生を囲むように集まった部員たちが、部長の号令で一斉に頭を下げる。
もう何度も目にしているのに、万年帰宅部だった私からすると、このノリはまだ慣れないな……少なくとも剣道部なら当たり前の光景らしいんだけど。
ただきっと、私が思う「先生」と、みんなが思う「先生」の価値が全然違うんだろうなってのは、なんとなく理解している。
「はい、よろしくお願いします。ミーティング中ですよね。どうぞ続けてください。終わりましたら、私の方から夏休みのスケジュールに関して連絡があります」
「はい。それじゃあみんな、元の場所に戻って」
「はい!」
「山辺さんは、ちょっと」
「え、はい」
みんながぞろぞろと道場の中心に戻っていく中で、私だけ赤江先生に手招きで呼ばれる。
「今日から、マネージャーはひとりですよね。ご苦労をおかけします」
「いえ、そんな」
「普段の活動で何かありましたら、いつでも私に相談してください。人間関係はもちろん。寮の設備が壊れたとか、そういうのも」
「分かりました」
「それと、マネージャーは選手たちを支えるのが仕事ではありますが、召使いではありません。逆に日常生活を監督するつもりで、自信とプライドをもって、選手たちに接してください」
「は……はい」
「ある意味、この部にとっては部長以上に大切な役職かもしれませんね」
そんなこと言われると、プレッシャーでしかないんだけど。
先生はにこやかな笑みのまま話を終えると、部長たちから一歩引いた位置に座って、ミーティングの様子を静かに眺めていた。
しかして、何を話しているのかサッパリ理解できないミーティングが終わり、選手たちはいつもの稽古をスタートした。
私はというと、寮にもどってさっそく今日の業務――料理長就任一日目の晩御飯づくりに取り掛かる。
寮生がこれだけいるのだから、それぞれ生まれた地域が違えば、味の好みも違う。
寮内では「好き嫌いはしないこと」と「お残しをしないこと」は、スポーツをやる人として当然のルールにはなっているようだけど、いざ作る側になってみると気を遣うものだ。
真帆先輩がいる間は、見習いとして厨房の手伝いをさせて貰った。
仕込みを手伝ったり、お皿を運んだり、まあやってることは実家のお店に居た頃と同じ。
農産科に通う彼女が作っていたのは、本当にどこのご家庭でもあるような定番家庭料理で、料理自体のハードルがそれほど高くないのには安心した。
先輩が卒業して、しんと静まり返った厨房。
寂しい思いもあるけれど、私にとってはこれが最良の職場環境なのも違いない。
「さて、やろう」
気合を入れるようにわざわざ口に出して、愛用のエプロンを身に着ける。
寮に戻るまでの道中で、何を作ろうかずっと考えていたけど、ここは誰もが好きなおかずの定番――鶏のから揚げで勝負をしよう。
好き嫌いもお残しもしないルールでも、美味しく食べて貰ってこその料理人だもの。
私がここに立つってことは、そういうことなのだ。