「商業科調理コースの一年、山辺なづなです。よろしくお願いします」
「おねがいします!」
自己紹介で頭を下げると、二十余名の集団の返礼が、ビリビリと道場の壁や床を揺らした。
誰かが音頭をとったわけでもないのに、一声も乱れることがない発声。
ほとんど軍隊だ。
瀬李先輩やすずめちゃんの様子から、もっとこう和気あいあいとした、日常アニメみたいなほんわかした部をイメージしていた私は、あっという間に飲まれてしまった。
「女子剣道部顧問の
「
「よろしくお願いします」
赤江先輩に紹介されて、寒河江と名乗る先輩と握手をする。
しゅっとしたポニーテール姿の彼女は、一見快活そうで。マネージャーというよりは、どこか別の運動部でレギュラーでも張ってそうなイメージに見えた。
「それでは、再開!」
「はいっ!」
部長らしき先輩の一声で、私の挨拶のために止まっていた練習が再開する。
竹刀の乾いた音がぶつかり合う音と、どたんばたんと床を踏み抜きそうな足音を横耳に、私は先輩に連れられて道場を後にした。
剣道部のマネージャーになるにあたって、一番厄介だと思っていたのが両親の説得だった。
部活に入れば家の手伝いだってできなくなるし、そもそも自転車で通えるところに住んでいるのにお金を出して寮に住む意味とは、という問題をどう説明したらいいのか見当もつかない。
しかし、とりあえず話をしてみないことには分からないと思って、事情を打ち明けてみると、思いのほかのリアクションだった。
「いいんじゃない? なづながやりたいなら」
あっけらかんとしたお母さんの一声に、お父さんは無言で頷く。
「え、でもお店の手伝いとかできなくなるよ? 忙しい土日だって、基本は帰ってこれないし」
「なんで、アンタの方からできない理由を探してんのよ? やりたいならやったらいいじゃない。それにお店の心配するなんて。あんたが生まれる前から、ずっとお父さんと二人三脚でやって来たんだから、何も心配いらないでしょう」
言われてしまえばその通りなんだけど、すっかり看板娘としてお店の戦力になっていると思っていた身としては、「居ても居なくても関係ない」みたいな返事をされてしまうと思うところがある。
「じゃあ、いいんだね?」
もう一度だけ、念を押すように尋ねる。
「しっかり経験積んできな」
そう語る両親に背中を押されて、私は入部届と入寮証にサインをした。
そうして今、私は真帆先輩に連れられて学校から自転車で十分ほどのところにある、剣道部寮へと案内された。
「なづなちゃんだっけ? 西川から聞いてるよ。すんごい子が来るって」
「なんですかその曖昧な評価。瀬李先輩そんなこと言ってるんですか?」
「いや、たぶん、もうちょっと詳しいこといろいろ話してた気がするけど」
いったい、何を話されたんだろう。
こっちは何もかも知らないド素人のつもりでやってきたのに、勝手にハードル上げないで欲しいな。
「というわけで、ここが我らの城、剣道部寮でーす」
じゃじゃーんと、口頭の効果音付きで紹介された寮は、一見するとというか、もう見たまんま古い民宿だった。
ガラス張りの玄関戸には『民宿ほにゃらら(掠れて読めない)』ってまんま残ってるし。
飲食業界で言う、居抜き物件ってやつだ。
「赤江先生の実家なんだって。もうずいぶん前に廃業したのを、そのまま剣道部寮として使わせて貰ってるの」
「ああ、だから剣道部だけ専用寮があったんですね」
持ち家か、それは強いね。
玄関で靴を脱いで、ざっと寮の中を案内してもらう。
部屋は基本的に二、三人でひと部屋。全部和室。
最低限の家具は、民宿時代のもの+αで揃っているので、住む分には着替えと学校に必要な道具さえあればOKという感じ。
「お風呂とトイレは共同ね。食事も基本は宴会場で一緒にとる」
「部員、思ったより沢山いてびっくりしました。中学の時の剣道部とか、全学年合わせて五、六人とか、そのくらいの印象だったので」
「あはは、ま~ウチ強豪だからね。最近はちょっと振るわないけど、昔は全国大会常連で、優勝だってしてるんだよ。だから地元だけに限らず、全国津々浦々の猛者が集まってるわけ。北は北海道、南は……うーん、一番遠い子って大分かな? 九州の」
なるほど、それですずめちゃんも青森からこんなところに。
「多いと言っても、剣道部寮に入ってるのは各学年五人ずつの十五人だから、さっき道場に居た全員の面倒を見る必要はないよ」
「入寮してるのって、やっぱり県外から来た人たちですか?」
「うーん、まあ、結局はそうなってるけど、ちょっと違う」
そう言って先輩は、ビシリと人差し指を立てて力説する。
「剣道部寮に入れるのは、各世代のレギュラー候補。つまり、各学年の一番強い五人ってこと。だからまあ、結局は、わざわざ強豪を選んでやってくるような県外の実力者が集うんだけどね」
それ以外の人は、地元なら実家から通ったり、遠方なら学校の寮に入ってたりすると先輩は教えてくれたけど、そんなことよりも、この部の
さっきの道場での挨拶といい、実家の廃業民宿を寮として提供する顧問といい、強者だけをふるいにかける入寮システムといい。
本気だ。
ここは、高校生活を剣道に賭けに来た人達が、集まるところなんだ。
ん……ってことは、入寮してるすずめちゃんって、世代トップレベルの逸材――ようは、めちゃくちゃ強いんだ。全然見えないけど。
普段教室では見られない、新しい一面を垣間見た気分。
「とりあえず普段の基本的な仕事は、みんなが稽古を終えて帰ってくるまでに、もろもろの受け入れ準備を済ませておくこと。ひとつひとつ教えるから、頑張ってついてきてね」
「はい」
それから数週間は、本当に目まぐるしい日々だった。
マネージャーと言いながらも、やってることはほとんど旅館の従業員だ。
選手陣も空き時間で積極的に手伝ってくれるけど、確かにこれは専門で請け負うマネージャーが居ないと回らないだろうな。
真帆先輩が引退したあとのことを、瀬李先輩たちが危惧する理由がよく分かった。
気づけばあっという間に季節はめぐり、六月の末。
珍しく剣道部寮の宴会場に、入寮生以外も含んだ全部員が集まって、盛大な引退式が行われていた。
座卓にケータリングのオードブルやピザなんかが並ぶ中で、誰も食事には手を付けず、上座に並んだ三年生の言葉に耳を傾ける。
「今年もまた、県予選突破ならずという、ふがいない結果を残してしまいました。近年の県内事情は、有力選手の分散や、他校の台頭が著しく、
三年の現部長が口上の途中で泣き出してしまい、つられて他の先輩方も、後輩の部員たちも、みんな目じりに涙を浮かべる。
中にはとっくに堪えきれなくなって、隣の子と抱き合いながら背中をさすって慰めあうような姿も目にできた。
部長は、ジャージの袖で強引に涙を拭うと、赤く腫れた目で精一杯の笑顔を浮かべて、後輩たちに向き直る。
「次の部長は――瀬李、やってくれるよね? 私たちの無念を晴らす必要はない。あなたたちの世代が作る、新しく、強い、左沢産業高校女子剣道部を目指してください」
「はい」
指名された瀬李先輩が立ち上がり、先輩たちに礼をする。同時に、会場いっぱいに拍手が鳴り響いた。
瀬李先輩、部長になるんだ。
なんだか嬉しいような、誇らしいような……代替わりした部は、明日から新しい一歩を踏み出すんだ。
「そして、真帆。三年間、マネージャーとして支えてくれてありがとう。みんな、真帆にも拍手を」
再び鳴り響く拍手を受けて、真帆先輩は感極まってボロボロと涙を流していた。
ほんの二か月ほどの短い時間だったけど、一番お世話になったのが彼女なのは間違いなくって、ついに私も、貰い涙をこぼしてしまった。
「私っ、受験組だから……今月をもって、剣道部寮を退寮して実家通いに戻ります。三年間……本当に、ありがとうございましたっ」
みんなと、そしてこの寮という空間に礼をした彼女は、頭をあげるなり、一番の下座に座る私に視線を投げかける。
「なづなちゃん。あと、よろしくねっ!」
涙ながらに懇願するような先輩の頼みを、無下に断ることはできないし、するつもりはない。
私は明日から、ひとりでこの寮と、剣道部を陰から支えていくことになるのだ。
泣いてなんていられない。
こぼれた涙をのみ込んで、私は、部員たちの道場での挨拶に負けないように、お腹の底から声を張り上げた。
「はい!」
山辺なづな、十六歳。
ただ今より女子剣道部のマネージャー長、そして剣道部寮の料理長に就任しました。