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第5話 最初の気持ち ~親子丼リベンジ~

 あくる日、私は瀬李先輩と、あと一応すずめちゃんも、放課後の調理室に呼び出した。


「もう一度、入部試験やってくれませんか?」

「それって、マネージャーのこと、考えてくれたってことかな?」

「あ、いえ、そういう意味じゃないんですけど」


 言われてみればそうだ。

 わざわざ再試験したいなんて、マネージャーやりたいって言ってるようなもんじゃない。


「とにかく、もう一度だけ作らせてください。親子丼。ただし、条件がひとつ!」


 これでがどうにかなるのか分からない……けど、やらないよりはマシだと思うし、このままじゃ私自身が納得できない。


「料理中は、部屋の外に出ててください!」


 そう言って、私はふたりを調理室の外へと叩き出した。


 目の前に居られると、どうしても「食べさせる」という気持ちが先行してしまう。

 だからお客の顔がちらつかないような環境で、自分と、料理と、ふたりきりになる。

 これだったらいつもと同じ感じで料理ができる……んじゃ、ないかな。


 初めての試みだし、自信はない。

 でも、これでダメだったら諦めもつくつもりで、私はエプロンを身に着けた。


 材料は変わらない。

 鶏もも肉に、玉ねぎ、卵、そして三つ葉。

 ごはんも、ふたりが来る前に浸水まで済ませておいたものを炊きたてで使う。


 食材を前に、小さく深呼吸をする。

 大丈夫。いける。

 今の私の使命は、この子たちを美味しく料理すること。


 ……この間、失敗するって分かってて料理された子たちは、ごめん。


 今日こそ、若くてフレッシュな卵たちを、うっとりセクシーな大人の親子丼に変えてあげるからね。




 まずは鶏もも肉。

 削ぎ切りにすることで、味が染み込みやすくする。

 それをジップロックに入れて、水、塩、砂糖の混合液で浸して十五分ほど放置。

 こうするとスーパーのお肉でもプリッと美味しく仕上がるって、お父さんに教わった。

 ほんとは一晩ぐらい置いたほうがいいけど、そこも削ぎ切りにすることで短時間でも十分馴染む。


 玉ねぎは、細めの串切りに。

 親子丼に玉ねぎは必須――だけど、鶏肉よりは主張していてほしくない。

 例えるなら「カワイイあの子に、こんな一面もあったの?」って思わせるように。

 気づかないけど、確かに居る。それがベストサイズ。


 もも肉がいい感じになってきたら、清潔なキッチンペーパーで表面の水分だけ取って、小パンに投入。

 もも肉は皮の方からじっくりと火を通す。


 片面が焼けたらひっくり返して、玉ねぎを投入。

 カレーを作る時の感覚で、ついつい玉ねぎを先に炒めてしまいそうになるけど、親子丼なら後から炒めた方が程よい食感が残ってくれる。

 染みだした鶏の油で玉ねぎを炒める感じ。

 鼻先を香ばしい香りがかすめて、これだけで塩コショウで食べたいくらいだ。


 程よく火が通ったら、出汁と醤油、みりん、砂糖を混ぜたつゆを入れて煮立たせる。

 この煮込み時間もあるから、炒める時には最後まで火を入れすぎない。


 味は……うん、バッチリ。

 最後の仕上げに入ろう。


 卵をボウルに割入れてとく。

 コツは、白身を切るようにとくこと。

 黄身は「その途中でつぶれちゃった」くらいでいい。

 ざっと見て、黄身と白身がまだらに見えるのがベストな状態だ。


 これを、煮たてた小パンにまず半分ほど注ぐ。

 混ざり切ってない白身がどろんと落ちていくと思うけど、それでいい。

 注いだ卵は、決して混ぜない、とかない、触らない。

 これ、卵とじ三原則ね。


 ふつふつと固まって半熟くらいになったら、残りの卵液を投入。

 蓋をして待つ。

 ここからはタイミング勝負だ。

 頭に思い描く、うっとりセクシーな親子丼。

 つやつやの卵が湖面に浮かぶ月のように輝いて、立ち上る甘い匂いに誘われる、傾国の美女。


 その姿を夢見て――今っ!


 意を決して蓋を開く。

 湯気の向こうに、桃源郷あらば――




 調理室の扉を開けると、外の廊下で瀬李先輩とすずめちゃんが楽しそうに談笑をしていた。

 気配に気づいて、ふたりの視線がこちらに向く。


「お待たせしました」

「自信がありそうだな?」

「え?」

「強敵に挑む前の剣士のような顔をしている」


 それって、どんな顔?

 思わず頬に手を当ててしまうけど、鏡も無ければどんな顔をしているかなんて分からない。

 なんか……ちょっと恥ずかしいな。

 とにもかくにも、ふたりを調理室の中へと誘う。


「というわけで……どうぞ」

「おお」

「わあっ」


 出来上がった丼を前にして、ふたりが目を輝かせた。

 お椀の中で、美しい黄金色の親子丼が笑っている。

 ボロボロの天津飯みたいな親子丼もどきの前回とは違う、美しく、完璧な親子丼。


「食べても?」

「もちろん、冷める前にどうぞ」


 頷き返しながら、妙に胸がドキドキする。

 匙で掬った親子丼が、先輩たちの口に運ばれていくのを、子供の発表会を見守る親の気分で見届ける。

 子供いたこと無いけど、なんか、すごく、そういう気分だ。


「美味しい」


 咀嚼した料理を飲み込んだ先輩が、こちらを振り向いて笑った。

 瞬間、喉の奥からじんわり温かいものが胸に落ちていく。


「本当に美味しいよ。この間のがウソみたいだ」

「いや、それは……あはは」

「なづなちゃん、美味しい! おかわり!」

「え、すずめちゃん、もう食べたの? てか、おかわりの用意なんてないし」

「えー、じゃあもう一個作って!」

「そしたらまた、外に出ててもらわなきゃいけないけど」


 すずめちゃんと漫才みたいなやり取りをしている横で、瀬李先輩も美味しそうに料理を食べ進めていた。


 まっすぐに伸びた背は天井から糸で吊られているようで、お椀を持つ手も、匙を口元に運ぶ一連の動きも、よどみがない。

 まるで精巧な仏像か何かのようで、この人、すごく食べ方が綺麗だな。

 見とれていたら、視線に気づいた彼女の目があった。

 思わず、こちらから目を反らしてしまう。


「うん。これなら申し分ないだろう。なづなさん」

「は……ひゃい?」

「マネージャーの件、改めて考えてくれないかな」


 声が裏返ってしまった私に、先輩は何事も無かったかのようにそう告げた。


「これで首を縦に振ってくれないなら、もう諦めるよ。いろいろ、迷惑をかけてすまなかった」

「迷惑なんてことは。それに、根本的な問題は何も解決していなくって……今日だって、ふたりに外に出ててもらったから、意識しないでできたって言うか」

「なら、いっそのこと他の部員たちは料理に関して一切口を出さないし、手も出さない。それならどうだろう?」

「そんなこと……」


 できるの?

 なんて思ったけど、瀬李先輩の表情は真剣そのもので。

 この人がそう言うなら、ほんとにそうできてしまいそうな説得力がある。


「あの……ひとつだけ、いいですか?」

「何かな?」

「なんでそんなに、私に目をかけてくれるんですか? すずめちゃんの紹介っていうのは抜きにして」


 私の問いに、彼女は初めて目を泳がせるように視線を外した。

 それから何かを思い出すように、ちょっとだけ笑って、ぽつりと言葉をこぼす。


「昔、家族で通っていたお店で食べた親子丼が美味しくて。これが、その味に似ていたから……かな」

「それ、私の答えになってないですけど……?」

「いや、私にとっては十分な答えだよ」


 先輩が笑った。

 いつも浮かべている爽やかで自信にあふれた笑顔じゃなくって、年相応の子供のような、温かい笑顔だった。


 ――みてみて! 親子丼、上手にできたの!


 ――おおー、すごいな、なづなちゃん。もう家のお手伝いできるな。


 ――大将と俺らの老後も、安泰だなぁ。


 ――うん! お父さんみたいに美味しい料理作って、お客さんに喜んでもらうの!

 ――ね、食べて! 感想聞かせて?


 ――え……いいの?


 ――いいから、ほら! ね、美味しい!?


 ――う、うん。すっごく美味しい。本当に。


 ――だよね!? 私もそう思う!


 先輩の笑顔を見ていたら、ふと、初めて綺麗な親子丼を作れた日の記憶が、頭の中を駆け巡った。

 この間は、思い出そうとしても思い出せなかったのに、記憶の引き出しを掘り起こしたか、ひっくり返したみたいに、ぶわっと。


 あの時は、本当に嬉しかったんだ。

 美味しく料理できたことも、美味しいって食べて貰えたことも。

 あの子の笑顔も――って、あれ、誰だっけ?


 そういえば、小さい頃によく家族で来てた女……の子?

 あれ、男の子だっけ?

 とにかく、年の近い子が居たな。

 名前も知らないけど、よく私の練習料理食べてくれた、笑顔が素敵な子。


「あの、瀬李先輩」


 懐かしい気持ちを胸に、私は改めて先輩に向き合う。


「マネージャーの件……寮とか、私の一存じゃ決められないところもあるから、その、すぐに答えは出せないですけど。考えさせて貰ってもいいですか?」

「え!? なづなちゃん、それって――」


 今日、ふたりに料理を食べて貰えて、美味しいって言ってくれて、本当に嬉しかった。

 それが、私の初心でもあって、将来料理人になりたいなら乗り越えなきゃいけないこと。


「うん……やってみたいなって。みんなに料理、作ってみたい」


 瀬李先輩は、驚きよりは喜びと興奮が弾けそうな様子で、それを理性でクールに抑えて、優しく微笑んでくれた。


「待ってるよ、なづなさん」

「はい」


 これだけ目を掛けてくれた先輩と、すずめちゃんと一緒の場所でなら、何かきっかけが見つかりそうな気がしたんだ。

 寮――合宿所で、部員たちのために料理を作るっていうのも、将来お店をやる時のいい練習になる気がしたし。


 何より、私の料理を食べて貰いたい。

 それが私の根っこのところにある、いちばんの願いなんだ。

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