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第15話 籠の中の鳥

「お、お願いしまーす」


 道場の敷居を跨ぐときに、思い出したように声をあげて、お辞儀をする。


 剣道では、道場や試合場から出入りする時に必ず、その空間に対して挨拶をする。

 未だにその精神が慣れない剣道歴二ヶ月(決してではない)の私は、慌しい時につい忘れてしまいそうになる。


「山辺さん、お疲れ様です」

「先生、お疲れ様です。飲み物持ってきました」

「ありがとうございます。いつものところに置いておいてください」

「はい」


 重いドリンクピッチャーを道場隅の定位置に置いて、隣に塩キャラメルを添える。

 休憩時間にちょっと摘まんでもらう用だ。


 ちらっと稽古風景を見ると、十名ほどの選手がひとりの選手をその真ん中に、みたいに取り囲む、異様な光景が広がっていた。

 囲んだ十数名が互い違いに中央の選手に攻撃を仕掛け、中央の選手は休む間もなく彼女たちと竹刀を交える。

 当然ながら疲れ切って、へろへろになってしまっているけど、取り囲む十数名からの攻撃は止まない。

 ほとんど、いじめみたいな光景。


「あの、先生、これって?」

「ああ、『囲い稽古』ですね。呼び方はいろいろあるようですが。主に集中力と精神力を鍛える……まあ、ですね」


 先生は、笑顔でさらりと今時のコンプライアンスに引っ掛かりそうな発言をした。


「基本的には、ただ辛く厳しいだけの稽古です。私も現役時代、大嫌いでした」

「え……それを、なぜ?」

「意味があると言えばありますし、無いと言えばない。強いて言えば……ここ一番の底時力、ですかね」

「ここ一番って言うと……?」

「例えば……県大会の団体戦決勝。ポイントはイーブンでの延長戦。先制した方が勝利でチームは全国出場。そんな時の底力です」

「なる……ほど」


 分かるような、分からないような。


「剣道という競技には団体戦が存在しますが、行われていることは結局のところ、個人戦の連続です。試合場では誰も助けてはくれない。仲間からの声援だって、コートの中ではほとんど聞こえません。選手は、常にひとりで戦っているのです」

「ひとり……?」

「最後に信用できるのは自分だけ。だからこそ最後の一瞬まで、自分を信じ続けるための稽古です」


 私には、コートで戦う選手の気持ちは分からない。

 けれども、先生の言葉にはを経験してきた人生の重みがあるように感じた。

 それでもどこか寂しく、突き放すような言葉に聞こえてしまうのは、やっぱり私が剣道というものを深く理解していないからなんだろうか。

 最後はひとりだっていうのなら、チームは何のためにあるんだろう。


「やめ! 次!」

「はいっ!」


 先生の号で輪が動いて、籠の中の鳥が入れ替わる。

 今度のネームプレートは名取――鈴奈先輩だ。


 はじめは余裕しゃくしゃくで取り囲む選手たちに打ち込んでいく鈴奈先輩だったが、四人も五人もこなしたころにはすっかり疲労が見え始める。

 それでも既定の人数が終わるまでか、それとも先生の裁量ひとつなのか、終わりの見えないメリーゴーランド。

 なんて、とっくに分からなくなっていることだろう。


「どうした、声出せ!」

「剣先下がってんぞ!」

「気持ちで負けんな、オラ!」


 周囲からは、ほとんど野次やじとしか思えないげきが飛ぶ。

 鈴奈先輩は、聞こえているのかいないのか、動きこそ機敏に見えるが息も絶え絶えだ。

 そのうち、正面からのぶつかり合いに抗えなくなって、力任せに突き飛ばされては、周りの選手たちに乱暴に輪の中央に押し戻されるのを繰り返すようになる。


 やっぱり、いじめかなんかにしか感じられなくって、見ていてあまり気分のいいものじゃない。


「あの、じゃあ私、寮に戻ります」

「はい、ご苦労様です」


 先生に会釈をして、次いで道場に会釈をして、私は逃げるようにその場を後にした。

 稽古風景で気分が悪くなるなんて、マネージャー失格かな……?


 モヤモヤする気持ちを押し殺しながら、炎天下の田舎道を寮へと帰った。




 ストレスを発散するように、その夜のご飯はガッツリとスタミナ定食を作った。


 豚バラと玉ねぎをニンニクたっぷりで甘辛く炒めた定食屋スタイルの焼肉定食に、ごろっと食感を残したポテトサラダ、豚汁。

 それだけじゃ腹の虫が収まらなくって、いつものから揚げに加えて、鶏のささみで紫蘇しそとチーズを巻いてフライにしたものも用意してしまった。


 揚げ物は、心が落ち着く。

 油の中でパチパチ弾ける水泡と共に、ストレスも弾け飛んでいくみたいだ。

 勢いでちょっと作りすぎたかななんて思ったころには、だいぶ平常心を取り戻していた。


 ほとんど同じくらいのタイミングで、玄関口がガヤガヤと騒がしくなる。

 部員たちが戻って来たようだ。


「お帰りなさい。夕飯の準備はできてるので、お風呂で汗を流して――」


 出迎えて声をかけるが、部員たちはみんな聞いているのかいないのか、上の空で自分たちの部屋へ戻っていく。

 なんか、ピリピリしてる?


 妙な空気を感じ取った私は、最後の方にやってきたすずめちゃんを呼び止める。


「あの、何かあった?」

「あ……んー、えーっとね」


 彼女は、困ったような笑顔を浮かべた。


「明日の稽古で、また勝ち抜き戦をすることになってね」

「ああ、部内番付決まるっていう。この間、代替わりの時にやったばっかりじゃなかったっけ? そんな頻繁にやるんだ?」

「ううん、先輩たちも前代未聞だって。先生は、新人戦のレギュラーの参考にするって言ってたけど」

「それであのピリピリ具合ってわけか」


 剣道部の公式戦レギュラーは、スタメンに補欠がの計しかエントリーができない。

 しかも、野球みたいに代打だなんだとメンバーが気軽に入れ替わることはなく、基本的にはスタメン五人が地方大会から全国まで出ずっぱりになるという。

 補欠は、怪我や病気でスタメンが出場できなくなった時のの意味が強いのだそう。


 何十人部員がいたところで、たったの五人だ。

 全国から剣道の猛者が集まった沢産剣道部だもの、レギュラー争いだって熾烈を極めることになる。


 ピリついた空気は、当然ながら夕飯の時間まで響いた。

 うわべはいつもの和気あいあいとした食事風景と変わらないけど、どこか互いにけん制し合うみたいに、言葉の端にちょっとトゲが見える。


「寮生だからって慢心もできねーよな」

「うちらの代は、全体的にみんな力をつけてきてるもんね」


 そう意気揚々と語るのは、西方・九条派の部員たちだ。

 派閥に巻き込まれているのは寮生ばかりではない。

 それ以外の部員もみんな、ざっくりとどちらかの側に分かれている。


「寮生の地位だって不動ってわけじゃねーんだ。レギュラー落ちなんてしたらカッコつかねーぞ、鈴奈」

「何……馬鹿なこと言ってんのよ」


 突然、やり玉にあげられた鈴奈先輩が、眉をひそめて諫めるように言い放つ。


「実は私、ずっと寮生狙ってんだよね」

「あ、実は私も!」

「狙わない方がおかしいでしょ。寮生=レギュラーみたいなもんなんだからさ」

「一年だって、遠慮しなくっていいんだからね。ウチは、完全実力主義なんだから」

「はい、先輩」


 はた目には、すごく前向きな意見が飛び交う中で、鈴奈先輩は針のむしろにさらされたみたいに、座りを悪くする。

 私は、相変わらずすずめちゃんの傍に寄って、こそこそと耳打った。


「すずめちゃん、あの」

「うーん……なんていうか、部内番付を単純に上から順にレギュラー候補って考えたら、微妙なラインに居るのが鈴奈先輩なの」

「ああ、そういう」


 つまり、鈴奈先輩のポジションが争いの焦点ってわけね。


 あれ、そういえばすずめちゃんって、前の番付で五位だか言ってなかった?

 それってつまり……現時点ですでにレギュラー候補?

 というか、いっそ鈴奈先輩を蹴落とす側のひとり?


 驚いて振り返ると、すずめちゃんは、きょとんとした顔で大盛りのご飯をもっしゃもっしゃと頬張っていた。

 この同級生、実は部内でも侮れない存在なのかもしれない。


「おーい、やってるか現役生」

「あ、先輩、お疲れ様です!」


 突然、宴会場にひとりの先輩がやってきて、部員一同その場に起立し、会釈をする。

 確か、引退した三年生の先輩だ。

 寮生ではないので、面識はほとんどないけれど。


「メシ食ったら、表に集合な。レクリエーションの組み分けするから」

「はい!」

「んじゃ、ごゆっくりー」


 それだけ言い残して、先輩は手をひらひら振りながら去っていった。

 レクリエーション、そうだ、それがあった。


 私は、ちらりと歌音ちゃんの方を見やる。

 視線に気づいた彼女は、無言で小さく頷き返した。

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