寮の玄関先に、ジャージ姿の部員たちがぞろぞろと集合する。
さっき連絡に来てくれた先輩が、指折り人数を数えて点呼を取ると、注目を集めるように手を叩いた。
「はーい、それじゃあ説明しまーす。道場の神棚の下にクーラーボックスに詰めたアイスを準備したので、二人一組で取りに行ってください。アイスは帰りに食べていいけど、そのゴミを行って来た証とします。コースは、校舎裏通る方のランニングコースね。以上」
実に簡素な説明だった。
部員たちからも「それだけかよ!」と突っ込みが飛ぶ。
「ゴミを証にするって言うけど、途中のコンビニとかで買ったらどうするんですか?」
「人数分ぴったり用意してるから、余りが出たら不正があったと認めます。全員、サーキットトレーニングね」
「げぇー!」
罰ゲームの発表に、みんなの顔つきが変わる。
真面目にやらないとキツイ罰ゲームがあるのは分かったけど、それは私もなんだろうか。
「はい、じゃあクジ引いて。番号同じ人がペアかつ、出発の順番ね。ペア決まったら速やかにスタートすること! ぶっちゃけ、真っ暗闇で待ってる脅かし役の方が怖い!」
「だったら肝試しなんてやらないでくださいよー」
「うるせー! 剣道できないぶん、ストレス発散させろ!」
列を作って、順番にレジ袋に雑に詰め込まれたクジを引く。
なんとなく先輩方から先に引いて、一年生が後になったので、私が引くころには残り数枚だけとなっていた。
「ちょっと、四番だれー?」
「げ、あたしなんだけど。てか四って縁起悪くない? 誰か代わってよ!」
「いいけど、あたし九番だよ」
「ウチは十三番!」
「どれも嫌だ!」
引き終わった人たちは、さっそくペアづくりに励んでいた。
なるほど、確かに番号の交換自体は認められているっぽい。
そうなると、どうやって瀬李部長の番号を知るのかだけど。
「八番。八番いないか?」
心配は
「あの、何番でした?」
「え? あ、うん、今から見るとこ。そっちは?」
「十一番なので、残念ながら」
いつの間にか、歌音さんが顔色を伺うように傍に寄っていた。
私は、ドキドキしながらクジを開く。
「……あ」
そこに書かれていた数字は――八。
みごとに、瀬李部長のペアナンバーだった。
「あの、それ……!」
「う、うん。もちろん。約束だから」
「ありがとうございます……その、神です。どうも」
歌音さんは受け取ったクジで口元を隠して、いつもの仏頂面からは珍しく、もじもじと顔を赤らめながら足早に去っていった。
視線の向こうで、歌音さんが三歩ぐらい離れた位置から瀬李部長に声をかける。
気づいた部長が笑みを浮かべて手招きすると、彼女は嬉しそうにして残り三歩を跳ねるように詰め寄った。
あー、もう……こういう時に、運が向いてこなくってもさ。
ところで、十一番って誰なんだろ。
ひとりひとり聞いて回るよりも、部長みたいに声を上げたほうが早そうなものだけど――
「なんだ。マネちゃんと一緒か」
「あ……鈴奈先輩、それ」
「そ。あたしも十一番。よろしく」
私の手元を覗き見ていた鈴奈先輩が、自分のクジをひらひらと振る。
そっか、こっちは鈴奈先輩だったのかぁ。
ほとんど面識のない先輩よりはマシだけど……どうしよう。
出発は五分おき、小一時間ほどで順番がやってきて、私と先輩は夜の町へと繰り出した。
町と言っても学校の裏口周辺は、ほとんど裏山と言っていい場所で、舗装されていない真っ暗な田舎道をスマホのライトを頼りにひた歩く。
その間、会話はほとんどなかった。
「ねえ」
「は、はい?」
突然声を掛けられて、私は半分上ずった声で返す。
「何か喋ってよ。怖いじゃん」
「え……あ、すみません」
思わず平謝り。
気づかなかったけど、鈴奈先輩は不安そうな顔でしきりに周囲を警戒していた。
「そんなに怖いですか? いつもの道じゃないですか……?」
「ええー? 怖くないの? マネちゃん、心臓に毛生えてんじゃない?」
そこまで言われるほどでは。
お化け屋敷とかは、怖いことは怖いし。
でも、この辺は歩きなれた道だから、そんな不安になるほど怖いなんてことは――あっ、そうか。
私にとっては地元の歩きなれた道だけど、鈴奈先輩にとってはほんの一年通っただけの見知らぬ町なんだ。
そんなことに気づいてしまうと、気まずいからって遠慮していたのが申し訳なく感じてしまう。
かといって、話題があるわけでもなく……どうしよう。
「あの……鈴奈先輩って、いつもお化粧してますよね?」
「え? うん。だってすっぴん人前にさらすとか、無理じゃん。稽古や試合中だってしてるよ」
「え!? それ、汗とかで落ちません?」
「うーん、もちろん落ちるは落ちるけど、使う化粧品選べばある程度はコントロールできるし」
言いながら先輩は、自分の顔にライトを当てて、目元や頬、口元などを指さす。
「あたしの尊敬してる選手がさ、『試合中こそメイクをしろ』ってインタビューで答えてたの。メイクも防具のひとつだから、人前に出て恥ずかしくない勇気を纏えって」
「はあ……そういう考え方もあるんですね」
「興味あるなら教えたげよっか?」
「私は剣道はしないので……普通のメイクなら、興味はあります」
「そ、んじゃそのうちね」
鈴奈先輩は、それっきりまたライトを通りの向こうへ向ける。
満足に街灯もない道は、ライトの明かりが無ければ漆黒の闇の中だ。
「マネちゃんってさ、瀬李と仲いいよね」
「そう、見えますかね?」
「うーん、まあ、瀬李ってもともと後輩の面倒見がいいけど。マネちゃんは、とりわけ目をかけてるように見える」
「そんなこと無いと思いますけど」
ついこの間も、歌音さんに似たようなことを尋ねられたな。
みんなからそんな風に見えてるのかな……なんか、恥ずかしい。
「鈴奈先輩って、瀬李先輩と長いんですよね? 昔からその、強かったんですか?」
「瀬李? うーん、小学校のころはそこそこ……って感じかな。上位大会までは上がってくるクラブに居たから、県内レベルで言えば強い方なんだろうけど。でも、中学になってから覚醒したって感じ。身体も大きくなったしね」
「それ、この間も言ってましたね」
「正直な話、小学校のころは格下に見てたんだ。瀬李のこと。それが身長も抜かれて、そのうち試合で会っても勝てなくなった。ウケるよね?」
先輩が、ケラケラと笑う。
まるで遠い昔の思い出を語るように、あっけらかんとした口ぶりだった。
「唖然とするけど、受け入れるしかない。あたしだって、真面目に稽古してたつもりだけど、それでも追い抜かれてくんだもん。だからこそ、この子スゲーって思ったんだ。どんだけ稽古したんだろう。どんだけ努力したんだろう。それ考えたら……素直に尊敬した、かな」
「瀬李先輩だって、はじめから今みたいに強いわけじゃなかったんですね」
「だから、この子と一緒に剣道できたら、あたしももっと強くなれるかなって思って沢産に来たの。ここ受験するって話は聞いてたから。まー、蓋開けてみたら、ついていくのでやっとって感じで、身の程知ったけどね」
「それでも寮生――レギュラー候補じゃないですか。他にもあんなに、なりたくても寮生になれない部員たちが居る中で」
「ありがと。あたしも気張らなきゃーっては思うんだけど。マネちゃんも、うすうす気づいてるでしょ、派閥のこと」
「まあ……西川派と九条派で」
「今は、瀬李とあたし、あとすずめちゃんでどうにかレギュラー候補の半数を占めて拮抗してるけど、もしあたしがレギュラー落ちしたら、西川派は大ピンチなわけ。瀬李の立場だって、また危うくなるかも」
「それは嫌ですね……」
「
それまでとうって変わって、鈴奈先輩はちょっとだけ寂しそうに笑った。
このまま、自分がレギュラー落ちするだろうっていうのを暗に確信しているかのような笑顔だった。
諦めた人の笑顔。
この顔、どっかで見たことがある気がする。
「マネちゃん、学校つくよ?」
「え? あ、はい!」
気づくと、学校の前まで到着していた。
私たちは裏門から中に入って、真っ暗な道場へと足を踏み入れると、神棚の下にあったクーラーボックスからアイスを一本ずつ取り出す。
「これでOKっと。先輩たち、全然脅かして来なかったな」
「そういえば……帰り道で脅かすつもりなんですかね?」
そんな心構えも杞憂で、結局、寮に帰るまで誰とも出会うことはなかった。
あれ、こんなんで良いのかな肝試し。
「名取組おっそーい!」
「ぎゃはは、どっかフけたんじゃねって噂してたとこ」
先輩と一緒に、宴会場でたむろしていた部員たちのもとに帰る。
もともと後ろの方の番号だったのもあるけれど、広間には既にほぼ全員……あれ、ひい、ふう、みい……ほんとに全員集まってる?
「あ、こいつらこれ見よがしにアイス食ってる! さてはコンビニで買ったな!?」
「えー、マジ!? サーキットじゃん!」
「え、まって。ちゃんと取って来たし。ねぇ?」
「は、はい。ちゃんと行きましたよ……ね?」
「だって、二本余ってんぞ。あとの番号みんな来てるのに、お前らなかなか来ないからって、引き揚げて来たんだから」
よく見れば、脅かし役だったらしい三年生の先輩たちも、みんな居る。
あれ?
彼女たちが見せつけるように開いた、見覚えのあるクーラーボックスの中には、アイスが二本、若干溶けかけの状態で残っていた。
あれ?
鈴奈先輩が、青ざめた顔で振り向く。
「あたしら、ちゃんと行ったよね?」
「行きました! 行きました!」
行った!
絶対に!
だ……誰にも会わなかったけど!
「とりあえず、ルール通りサーキットだな」
「げぇー、ふざけんなよ!」
「ちょっとー、マネージャーも連帯責任! サーキット!」
「え、ええ……!?」
訳がわからない。
けど、深く考えたくもない。
いや、まさか……ねぇ?
その後、部員たちの不平不満を背中に受けながら参加することになったサーキットトレーニングで、私はその日の体力をすべて使い尽くすのだった。