翌朝――私は、いつも通りに大量のお米を炊飯器にセットしてご飯を炊く。
今日は、合宿最終日。
大人数で泊まりはしないが、今日の打ち上げの夕飯までで二泊三日の日程はすべて終了だ。
道場では、新人戦のレギュラーをかけた勝ち抜き戦が行われる。
上位陣がレギュラー候補となり、その結果は寮生の入れ替わりに発展することもあるという。
「鈴奈先輩……頑張って欲しいなあ」
どう頑張ったって、実力の差は覆せないことはあるだろう。
だけど、あんな話を聞かされたら応援したくなるのが人間だ。
それに鈴奈先輩は、瀬李部長のルームメイトでもある。
いきなりルームメイトが変わったりしたら、それはそれで寂しいだろうな――なんて。
「……よし、やるか」
私はエプロンを締めて、重い冷蔵庫の扉を開いた。
今朝は、本当はお茶漬けバイキングにする予定だった。
ほぐし鮭や梅干し、昨日の山形だしの残り、薬味、お漬物なんかの
だけど予定変更。
まず真っ先に、お味噌汁に使う予定だったカブを取り出す。
カブは、葉っぱの部分を落として、皮を厚めに剥く。
それから、葉っぱを含めておよそ1センチ角くらいに粗みじんにする。
カブは、白い部分が根菜で、葉っぱは緑黄色野菜という、捨てるところのない畑の王様だ。
剥いた皮は繊維質で固いけど、これもあとで
ちなみに、白い部分も根っこでなくて茎だという話。
これは豆知識としてね。
カブの次は、今夜のお鍋で使う予定だったセリ。
旬は冬から春にかけての野菜だけど、今や年中手に入る定番野菜になって新しい。
これは、ザクザクと食べやすい大きさに切っていく。
それから、梅干し。
半分に割って種を取り出してから、全体をほぐすように荒く叩く。
以上で、食材の準備は完了だ。
業務用コンロで中華鍋を火にかけ、チンチンに熱する。
合宿期間中、この子には本当にお世話になったね。ありがとう。
おかげで、腕と背中がすっかり筋肉痛になってしまった。
半分は、昨夜のサーキットトレーニングのせいでもあるけど。
鍋を熱したら、鶏ひき肉を放り込んで、軽く
本当は、つみれにしてお鍋に入れる予定だったけど、ここもメニュー変更だ。
全体かポロポロとしてきたら、醤油、お酒、砂糖、白だしを加えて煮絡める。
んん……この時点で既に美味しそう。
ご飯に乗っけて、刻みのりをふりかけて食べたい。
だけど、今日はここに先ほど切ったカブを投入する。
透明になるくらいに火が通ったら、カブの葉とセリ、そして叩いた梅干しを入れて、サクッと混ぜ合わせる。
シャキッと食感が好きなら軽く。
くたっとしたのが好きならしっかりと。
今回は、前者で。
鍋いっぱいの
しゃもじを通すと、甘く立ち上る湯気と一緒に、つやつやの白米が桶の中でさらりとほぐれる。
いい炊きあがりだ。
しゃもじ越しに、粒ひとつひとつの立ち上がりが、指先に伝わってくるみたい。
ここに、さきほど作った
あとは、力いっぱい、混ぜ合わせる……!
なんか、今回の合宿中、こんなんばっかりだな。
人数が人数だから、あきれるほどに力技だ。
意図せず、私自身のトレーニングにもなっていたかも……?
あとは、茶碗に盛り付けた後に上からゴマを散らせば――『カブとセリの混ぜご飯』の完成。
付け合わせに卵焼きと、カブの皮に人参を加えた
これが合宿最終日、最後の朝ごはんだ。
「じゃあ、いただこう」
「いただきまーす!」
早朝のランニングを終えた部員たちが、一斉に箸をとる。
「今朝は、炊き込みご飯? 朝から豪勢じゃん」
「いえ、今日のは混ぜご飯です。葉野菜を焚き込むと、
「ほんとだ~。葉っぱシャキシャキ。カブもめっちゃ甘いし」
「真夏の朝に、梅干しが染みるよね。はぁ……このご飯が、もうしばらく食べられなくなるなんて」
「だよねー。この卵焼きも、じゅわっとお出汁が利いてるし。寮生、ズルすぎ」
「ズルいと思うなら、奪えばいいんよ。今日は、そのチャンスなわけなんだからさ」
一瞬、会場にピリッとした緊張が走る――が、それはそれとしてお腹が空いているのか、みんな最低一杯ずつはお代わりをしてくれて、桶いっぱいの混ぜご飯も米粒ひとつ残らず綺麗に完売となった。
「やー、食った食った。お腹いっぱい」
「三〇分後に道場に移動だ。そのまま寝るなよ?」
「はーい」
瀬李部長に締められて、それぞれもぞもぞと稽古の支度を始める。
それを横目に、私は洗い物を抱えて炊事場へと引っ込んでいくのだった。
「それじゃ、こっちも洗い物しますか……あー、あと、夜のメニュー考え直さなくっちゃ。でも、その前に……!」
寒くはない、むしろ蒸し暑いくらいなのに、小さく身震いする。
実は、さっきからずっとトイレを我慢していた。
食事中は、給仕係で動きっぱなしだからなかなかタイミングが無いんだよね。
「あっ」
寮の共同トイレへ向かうと、鏡に向かってメイク道具を広げる鈴奈先輩の姿があった。
「ん? 誰も入ってないよ」
「あ……はい、ありがとうございます」
声をかけてくれた先輩の横をすごすごと通って、私は個室で用を足す。
まさかこのタイミングで会うなんて……昨日までとは、また違った意味で気まずい。
ほんの二、三分でメイクが済むはずもなく、トイレを出てからも鈴奈先輩はそこにいた。
仕方なく、彼女の隣で手を洗う。
「朝ごはん、美味しかったよー」
「ありがとうございます」
「あれってさー、あたしに向けたメッセージのつもり?」
「うっ」
ギクリとして肩をすくめる。
「
「それはどうも……」
「農産科の子たちは気付いてんじゃないかな。意図までは気付かないにしても、言葉遊びとしては」
「あはは、ちょっと恥ずかしい、かも」
アイラインを引いた先輩が、瞼をパチパチさせてから、私を見る。
それから、ニッと歯を見せて笑った。
「まー、元気出たよ。ありがと。乗せられたみたいなのは
「え、それじゃあ?」
「やれるだけ頑張ってみる。ぶっちゃけ、諦めモードではあったけど、別に勝負を棒に振るつもりではなかったし」
「そうなんですね?」
「そうなんですね――って、そうだと思ってたの? そっちの方が心外なんだけど! これはお仕置きが必要だなぁ」
「お、お仕置き!?」
ぎょっとして後ずさる私だったが、すぐに先輩から「動かずに目を閉じる!」と強めに命令されてしまう。
仕方なくその場で棒立ちになるけど、いったい何をされるんだろう。
不安と緊張で心臓がバクバク言い始めたところで、唇に何かひんやりとした感覚が乗った。
「いいよ。目開けて、鏡見てみ?」
「あ……わぁっ」
鏡を見ると、自分の唇が艶っぽい桃色に照り輝いていた。
「鈴奈先生のメイク講座
「すごい。唇がちょっと明るくなっただけなのに、全体が鮮やかになったみたいで――」
これってつまり、アレだ。
「サラダのトマト、煮物のニンジン、炒め物のパプリカですね!?」
「例え方ぁ。でもまあ、メイクと料理って似てるとこあるかもね」
「そっかぁ。なるほどなぁ」
「つまり、料理のセンスがあるなづなちゃんは、メイクのセンスもあるかもってこと」
メイク道具をポーチに仕舞い終えた先輩は、パチンと指を鳴らして私を指さす。
「本気で習う気があるなら、いつでも部屋に遊び来な。瀬李だっているし――あ、授業料で何かおやつを持ってくること!」
「あはは、わかりました。用意していきますね」
「絶対だよ? 楽しみにしてるから」
そう言い残して、先輩は化粧室を去っていった。
その背中には昨日までのような重苦しさはなく、溌溂とした前向きな元気に包まれていたような気がした。