目次
ブックマーク
応援する
8
コメント
シェア
通報

第17話 桃色リップ ~カブとセリの混ぜご飯~

 翌朝――私は、いつも通りに大量のお米を炊飯器にセットしてご飯を炊く。


 今日は、合宿最終日。

 大人数で泊まりはしないが、今日の打ち上げの夕飯までで二泊三日の日程はすべて終了だ。


 道場では、新人戦のレギュラーをかけた勝ち抜き戦が行われる。

 上位陣がレギュラー候補となり、その結果は寮生の入れ替わりに発展することもあるという。


「鈴奈先輩……頑張って欲しいなあ」


 どう頑張ったって、実力の差は覆せないことはあるだろう。

 だけど、あんな話を聞かされたら応援したくなるのが人間だ。


 それに鈴奈先輩は、瀬李部長のルームメイトでもある。

 いきなりルームメイトが変わったりしたら、それはそれで寂しいだろうな――なんて。


「……よし、やるか」


 私はエプロンを締めて、重い冷蔵庫の扉を開いた。


 今朝は、本当はお茶漬けバイキングにする予定だった。

 ほぐし鮭や梅干し、昨日の山形だしの残り、薬味、お漬物なんかのを沢山用意して、好きにご飯に盛り付け、お茶漬けにして食べて貰うというものだ。

 だけど予定変更。

 まず真っ先に、お味噌汁に使う予定だったカブを取り出す。


 カブは、葉っぱの部分を落として、皮を厚めに剥く。

 それから、葉っぱを含めておよそ1センチ角くらいに粗みじんにする。

 カブは、白い部分が根菜で、葉っぱは緑黄色野菜という、捨てるところのない畑の王様だ。

 剥いた皮は繊維質で固いけど、これもあとでにしていただく。


 ちなみに、白い部分も根っこでなくて茎だという話。

 これは豆知識としてね。


 カブの次は、今夜のお鍋で使う予定だったセリ。

 旬は冬から春にかけての野菜だけど、今や年中手に入る定番野菜になって新しい。

 これは、ザクザクと食べやすい大きさに切っていく。


 それから、梅干し。

 半分に割って種を取り出してから、全体をほぐすように荒く叩く。

 以上で、食材の準備は完了だ。


 業務用コンロで中華鍋を火にかけ、チンチンに熱する。

 合宿期間中、この子には本当にお世話になったね。ありがとう。

 おかげで、腕と背中がすっかり筋肉痛になってしまった。

 半分は、昨夜のサーキットトレーニングのせいでもあるけど。


 鍋を熱したら、鶏ひき肉を放り込んで、軽くに炒る。

 本当は、つみれにしてお鍋に入れる予定だったけど、ここもメニュー変更だ。

 全体かポロポロとしてきたら、醤油、お酒、砂糖、白だしを加えて煮絡める。


 んん……この時点で既に美味しそう。

 ご飯に乗っけて、刻みのりをふりかけて食べたい。


 だけど、今日はここに先ほど切ったカブを投入する。

 透明になるくらいに火が通ったら、カブの葉とセリ、そして叩いた梅干しを入れて、サクッと混ぜ合わせる。


 シャキッと食感が好きなら軽く。

 くたっとしたのが好きならしっかりと。

 今回は、前者で。


 鍋いっぱいのができあがったら、炊き立てのご飯を桶に取り出す。

 しゃもじを通すと、甘く立ち上る湯気と一緒に、つやつやの白米が桶の中でさらりとほぐれる。

 いい炊きあがりだ。

 しゃもじ越しに、粒ひとつひとつの立ち上がりが、指先に伝わってくるみたい。


 ここに、さきほど作ったを投入。

 あとは、力いっぱい、混ぜ合わせる……!


 なんか、今回の合宿中、こんなんばっかりだな。

 人数が人数だから、あきれるほどに力技だ。

 意図せず、私自身のトレーニングにもなっていたかも……?


 あとは、茶碗に盛り付けた後に上からゴマを散らせば――『カブとセリの混ぜご飯』の完成。


 付け合わせに卵焼きと、カブの皮に人参を加えた、お漬物、そしてお豆腐の味噌汁を添える。

 これが合宿最終日、最後の朝ごはんだ。




「じゃあ、いただこう」

「いただきまーす!」


 早朝のランニングを終えた部員たちが、一斉に箸をとる。


「今朝は、炊き込みご飯? 朝から豪勢じゃん」

「いえ、今日のは混ぜご飯です。葉野菜を焚き込むと、になってしまうので、別にして後から混ぜたほうが食感が良いんです」

「ほんとだ~。葉っぱシャキシャキ。カブもめっちゃ甘いし」

「真夏の朝に、梅干しが染みるよね。はぁ……このご飯が、もうしばらく食べられなくなるなんて」

「だよねー。この卵焼きも、じゅわっとお出汁が利いてるし。寮生、ズルすぎ」

「ズルいと思うなら、奪えばいいんよ。今日は、そのチャンスなわけなんだからさ」


 一瞬、会場にピリッとした緊張が走る――が、それはそれとしてお腹が空いているのか、みんな最低一杯ずつはお代わりをしてくれて、桶いっぱいの混ぜご飯も米粒ひとつ残らず綺麗に完売となった。


「やー、食った食った。お腹いっぱい」

「三〇分後に道場に移動だ。そのまま寝るなよ?」

「はーい」


 瀬李部長に締められて、それぞれもぞもぞと稽古の支度を始める。

 それを横目に、私は洗い物を抱えて炊事場へと引っ込んでいくのだった。


「それじゃ、こっちも洗い物しますか……あー、あと、夜のメニュー考え直さなくっちゃ。でも、その前に……!」


 寒くはない、むしろ蒸し暑いくらいなのに、小さく身震いする。

 実は、さっきからずっとトイレを我慢していた。

 食事中は、給仕係で動きっぱなしだからなかなかタイミングが無いんだよね。


「あっ」


 寮の共同トイレへ向かうと、鏡に向かってメイク道具を広げる鈴奈先輩の姿があった。


「ん? 誰も入ってないよ」

「あ……はい、ありがとうございます」


 声をかけてくれた先輩の横をすごすごと通って、私は個室で用を足す。

 まさかこのタイミングで会うなんて……昨日までとは、また違った意味で気まずい。


 ほんの二、三分でメイクが済むはずもなく、トイレを出てからも鈴奈先輩はそこにいた。

 仕方なく、彼女の隣で手を洗う。


「朝ごはん、美味しかったよー」

「ありがとうございます」

「あれってさー、あたしに向けたメッセージのつもり?」

「うっ」


 ギクリとして肩をすくめる。


……。あからさますぎ。食べながら笑っちゃったもん」

「それはどうも……」

「農産科の子たちは気付いてんじゃないかな。意図までは気付かないにしても、言葉遊びとしては」

「あはは、ちょっと恥ずかしい、かも」


 アイラインを引いた先輩が、瞼をパチパチさせてから、私を見る。

 それから、ニッと歯を見せて笑った。


「まー、元気出たよ。ありがと。乗せられたみたいなのはしゃくだけど」

「え、それじゃあ?」

「やれるだけ頑張ってみる。ぶっちゃけ、諦めモードではあったけど、別に勝負を棒に振るつもりではなかったし」

「そうなんですね?」

「そうなんですね――って、そうだと思ってたの? そっちの方が心外なんだけど! これはお仕置きが必要だなぁ」

「お、お仕置き!?」


 ぎょっとして後ずさる私だったが、すぐに先輩から「動かずに目を閉じる!」と強めに命令されてしまう。

 仕方なくその場で棒立ちになるけど、いったい何をされるんだろう。

 不安と緊張で心臓がバクバク言い始めたところで、唇に何かひんやりとした感覚が乗った。


「いいよ。目開けて、鏡見てみ?」

「あ……わぁっ」


 鏡を見ると、自分の唇が艶っぽい桃色に照り輝いていた。


「鈴奈先生のメイク講座編、桃色リップ。どう? 表情もぱっと明るくなった気がしない?」

「すごい。唇がちょっと明るくなっただけなのに、全体が鮮やかになったみたいで――」


 これってつまり、アレだ。


「サラダのトマト、煮物のニンジン、炒め物のパプリカですね!?」

「例え方ぁ。でもまあ、メイクと料理って似てるとこあるかもね」

「そっかぁ。なるほどなぁ」

「つまり、料理のセンスがあるなづなちゃんは、メイクのセンスもあるかもってこと」


 メイク道具をポーチに仕舞い終えた先輩は、パチンと指を鳴らして私を指さす。


「本気で習う気があるなら、いつでも部屋に遊び来な。瀬李だっているし――あ、授業料で何かおやつを持ってくること!」

「あはは、わかりました。用意していきますね」

「絶対だよ? 楽しみにしてるから」


 そう言い残して、先輩は化粧室を去っていった。

 その背中には昨日までのような重苦しさはなく、溌溂とした前向きな元気に包まれていたような気がした。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?