しばらくして、道場は異様な熱気に包まれていた。
沢産剣道部の道場は、試合場二面ほどの広さがあるが、それを縦に細かく区切って、五つの列ができている。
上座には現在勝ち残っている五人。
下座には挑戦者の列。
勝負は、場外の反則ポイントなしの一本勝負で、負けた選手は壁に貼られた『勝ち星表』のうち、勝った方の選手の欄に
これを時間いっぱい、ぐるぐると繰り返して最終的な勝ち星の数を競うのが『部内番付一本勝負』の基本的なルールだ。
「メンありッ! 勝負あり!」
審判役の生徒の手が上がって、瀬李部長が小さく息を吐き捨てた。
彼女は肩をほぐすように何度がぐるぐる回すと、息を整えて、コートの中央で次の挑戦者を待つ。
か、かっこいい~。
こうして試合をするところをじっくり見るのは県予選の時以来だけど、やっぱり生で見ると迫力が全然違う。
なんていうか、すごくキラキラして見える。
現在勝ち残っているのは、まず瀬李部長と
このふたりは、勝ち星もダントツでツートップだ。
他の選手の星と比べると、ダブルスコア以上の差を見せつけている。
かといって、ふたりとも全くの無敗というわけじゃない。
勝ち残った選手は休憩なく、次々と挑戦者と戦っていくわけで、ふとした瞬間に
ただ、その
ほかに、はー子先輩の側近みたいな九条派の選手がひとり。
その隣にすずめちゃんが、さっきまで勝ち残っていたけど、たった今
試合表を見れば、勝ち星自体は結構稼いでいるようで、やっぱり彼女強いんだなって、友人の意外な一面に感嘆の溜息をこぼす。
そして最後のひと枠に――
「コテあり! 勝負あり!」
「ふぅ……!」
鈴奈先輩が勝利を収め、勝ち残りの権利を獲得していた。
「鈴奈のやつ、気合入ってんじゃん」
「だけど落ち着いてる。アイツ、案外ああいう剣道するんだよな。躍起になった方が負けなの」
待機列の選手の、そんな会話が耳に入った。
ただ、瀬李部長に比べればもっと繊細っていうか。
部長の剣道が一撃必殺の
そういえば、もう一人の瀬李フォロワーである歌音ちゃんはというと――
「メンあり! 勝負あり!」
「ありがとうございました!」
瀬李先輩に綺麗な一本を決められて、半ば小躍りしながら待機列に戻っていった。
こっからでも、充実していた良い笑顔をしているんだろうなってのが、手に取るようにわかる。
負けは負けなんだけど……まあ、本人が楽しそうならいっか。
結果、勝ち抜き戦は前回五位だったすずめちゃんが四位に躍進し、その空いた五位の座に鈴奈先輩が収まるという快挙を成し遂げた。
下の順位にもずらりと寮生の名前が並び、レギュラー候補である自覚と威厳を見せつけた結果になった。
労うように背中を叩いた瀬李部長に、鈴奈先輩は汗だくの顔でニッと笑みを返す。
その表情は、どんな化粧を施した状態よりも、キラキラと輝いて見えた。
「みなさん、三日間の合宿お疲れ様でした」
「ありがとうございました!」
勝ち抜き戦が終わって、赤江先生が選手たちの前で統括する。
「とても充足した三日間だったと思います。それぞれの課題も解決し、また新たな課題も見えて来たことでしょう。新人戦まで残りの期間はそう長くありませんが、この調子でひとつひとつ、積み重ねていきましょう」
「はい!」
「それでは、部長。締めてください」
「はい。一同! 先生に礼!」
「ありがとうございました!」
「正面に、礼!」
「ありがとうございました!」
部長の一声で、深々と頭を下げる部員たち。
やがて面を上げた瞬間、緊張の糸が切れたみたいに溜息交じりの声があちこちからこぼれた。
「あー、終わったー! くたびれたー!」
「夏休みだー! 海! 絶対に海いく!」
「えー、いいなー。ウチ、おばあちゃん家に行って終わりだわ」
「ゆっくりできるだけいいじゃん。明日から塾の夏期講習なんだけど」
「げー、塾とか行ってんの? 意識高杉晋作じゃん」
ピリついた空気も、不穏な派閥争いも、こうして部活が終わってみれば年相応の話題に花が咲く。
そんな光景が微笑ましく感じてしまうくらいに、辛く厳しい三日間だった。
みんな、本当にお疲れ様でした。
「おねがいしまーす」
不意に、道場の入り口で溌溂とした声があがる。
みんなの視線が一斉に向くと同時に、きゃーと黄色い声があがった。
もれなく、私もそのひとりとして。
「真帆せんぱーい!」
「あ、ちょうど稽古終わったとこ? タイミング良かったなー」
真帆先輩は、ついこの間まで剣道部のマネージャー長をやっていた三年生だ。
引退してからは受験勉強に明け暮れているという話だったが、今日はどういうわけか土のついた作業着姿だった。
「真帆先輩、どうしたんですか? その恰好は……」
「これ? 今日、畑の当番の日でさ。もー、暑いしくたくた」
「ああ……農産科の方々って、夏休みないって聞きますもんね」
「まあねー。でも、だからこそこうやって差し入れもできるんだけどね」
「差し入れ?」
言われてみれば、彼女の後ろに大きな段ボール箱がひとつ鎮座している。
先輩は「よいしょ」と軽々それを持ち上げると、集まった部員たちの前に誇らしげに差し出した。
「左沢産業農園のとれたて夏野菜でーす! なんなら生でも食べれる鮮度抜群の品々!」
「わー!」
部員一同の目が輝く。
つやつやで、身の詰まったハリのある色とりどりの野菜がぎっしり詰まったそれは、まさにキラキラの宝石箱のようだ。
ついつい目の前で直視してしまった私は、威光にあてられてその場にへたり込む。
「あ、あわわわわ……」
「なづなちゃん、大丈夫!?」
「だ、大丈夫……ありがとう、すずめちゃん」
すずめちゃんに支えられて、私はよろよろと立ち上がった。
目の前では、真帆先輩がきょとんとした顔で首をかしげている。
とれたて夏野菜の差し入れは、とても嬉しい。
いや、すっごく嬉しい。
見ただけで美味しそうだし、調理のし甲斐もありそうだ。
ただ……ただ!
私にとっても試練の三日間を経て、やっと剣道部寮の冷蔵庫は、きれいにすっからかんになろうとしていたのに!
というか、今夜ですっからかんになる予定だった!
そ、そこに箱いっぱいのお野菜が追加だなんて……!
また膝から崩れ落ちそうになったけど、そこはズシンと足元を踏み鳴らすようにして気合で耐える。
そうだよ、選手たちも三日間頑張ったんだから、私だってここでへこたれていられない。
突然のイレギュラーにだって、対応してみせてこそプロの料理人だ。
「本当は今夜、残った鮭で石狩鍋
踏みしめた足元から力が沸き上がってきて、全身をかけめぐる。
なんだろう、心なしかお腹と背中が、めらめらと燃えるように熱くなってきた。
「こんな夏野菜を見せつけられたら、合宿最後のご飯は
「
ゴクリと喉を鳴らす部員たちに向かって、力いっぱい拳を振り上げた。
「
「う……うおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!」
その日、どんな稽古や試合の時よりも強く、激しく、道場に女子高生の雄たけびが響き渡った。