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第19話 夏、燃えつきるまでヒート! ~BBQ~

 さて……言ってしまったものは仕方ない。

 キリキリと仕込みを始めよう。

 大半は食べやすい大きさに切るだけとはいえ、ちょっとひと手間加えたいよね。


「なづな」

「わっ、瀬李部長」


 気づくと、炊事場の入り口に瀬李部長が立っていた。

 お風呂で汗を流した後なのか、学校指定のハーパン姿で髪の毛がまだしっとりと濡れていた。


「料理中か、悪かった」

「い、いえ、まだ仕込み中なので居て貰っても大丈夫です」

「そうか? なら、手短に確認だけ」


 そう言って、部長は一段低くなった入り口の淵に腰掛ける。


「肉類は、一年が商店街に買いに走っている。コンロと炭も、工業科の部員が学科にあるモノを借りて来てくれるそうだ」

「ありがとうございます。明日からの夏休みに向けて、生鮮食品はギリギリまで絞ってたので、助かります」

「飲み物は、赤江先生が差し入れとして提供してくれるらしい。それも、今、買いに行って頂いてる」

「分かりました。それで、あの――」


 私はひとつだけ、念を押すように言い添える。


「仕込みは全部済ませます。ただ、実際に焼くのは、その」

「ああ、分かってる。BBQなら、みんなそれぞれ好き勝手に焼いて食えばいいだろう」

「ありがとうございます。その代わり、できるだけ美味しいものを準備するので」


 これで後顧の憂いは断った。

 あとは、灼熱の宴に身も心も捧げるだけだ。




「それではー! 炭ー!」

「よーし!」

「肉ー!」

「よーし!」

「野菜ー!」

「よーし!」

「飲み物はー?」

「なみなみ~!」


 謎の内輪ノリをかました部員たちが、寮の前庭に広げたBBQセットを指さし確認する。


「それでは部長、ひと言どうぞ」

「ん……みんな、三日間の合宿お疲れ様。打ち上げを兼ねてになるな。盆休みの後は、新人戦に向けて本格的な追い込みが始まる。その前に英気を養って欲しい。ということで――乾杯!」

「かーんぱーい!!!」


 色とりどりの飲み物が注がれたグラスが、あちこちで打ち合わされる。

 私も近くの部員と乾杯を済ませてから、口をつけるのもそこそこに焼きの準備に入った。


「とりあえず野菜! 野菜優先的にお願いしまーす!」

「えー! 肉食わせて、肉!」

「お肉もいっぱいありますけど! せっかくの真帆先輩からの差し入れなので、美味しいうちに! あと、箸休めにもあるので!」


 のワードが効いたのか、みんな渋々と野菜を焼き始めてくれる。

 こればっかりは、余らせるわけにもいかないしね。


「あれ、ジャーマネ。なんか、野菜つるつるしない?」

「あ、表面に油塗ってあるので。水分が逃げにくなって、美味しいまま食べれますよ。トウモロコシは、皮のまま焼いちゃってください。焦げてきたら食べごろです」

「いいねー、豪快」

「ねー、やっぱ肉欲しいわ。にーく!」

「うー、わかりました……じゃあ、先にこれやっちゃいましょう!」


 言いながら、私はクーラーボックスから仕込み済みのトレーを取り出す。


「はい! の肉詰め! これで文句ないですよね?」

「ひゃっほー! 肉ー!」


 まさしく山賊の酒盛りみたいに、トレーをかっぱらった先輩たちが小躍りしながら各コンロに肉詰めを配っていく。

 うーん、すっかり理性が外れている。

 炭火の熱に当てられたかな?


「野菜! 食ってよーし!」

「おー!」


 謎の号令の後、部員たちは一斉に網のうえの野菜をつつき始めた。


「うーわ、野菜うっま! 左沢産業農園、流石だわ~」

「私、ナス苦手なんだけどさ。焼きナスだけは別なん。トロトロに焼けたところに、ちょっと醤油垂らしてね、もうダメになっちゃうのよ~」

「あ、玉ねぎまだ焼けてなかった~! から~い!」

「バカ! 口付けたの網に戻すなよ!」

「だって~」

「肉詰め焼けたー? 早く食べたーい」


 催促された肉詰めは、野菜の面はしっかり網焼きの焦げ目がついて、お肉の面は染み出した肉汁がぶくぶくと小さな泡を発している。


「そろそろ大丈夫じゃね?」

「よっしゃ、貰い――って、あっつ! やっば! あっつ!」

「がっつくから~。ほら、痛いの痛いのとんでけ~」

「飛んでったぁ~! 肉詰めうんま! 噛みしめるほどに肉汁が」

「ピーマンは家でもよく出るけど、ナスめちゃくちゃ旨いね? こう、野菜に肉汁が染みてるっていうか」

「ナスの方は、詰めるためにちょっと身をくり抜くんですけど、それも刻んで肉ダネに混ぜてます。味がまとまりやすくなるので」

「なるほどなー」

「それじゃあ、そろそろお待ちかねのこっちも行きますか」


 タイミングを見計らって、クーラーボックスの中身第二弾。


「牛カルビにサガリ! 豚バラ! ピートロ!」

「出た! 焼肉定番コース! タンは!?」

「モーちゃん高いので、それもブーちゃんです! 焼き加減はお好みでお願いしまーす!」


 牛はお値段が張るので、豚が多めなのはご愛敬。

 お肉が網の上に載せられ始めると、肉と油の弾ける音と共に、モウモウと煙が上がり始める。


「肉! 食ってよーし!」

「おー!」


 そういうルールでもあるのか、再びの号令の後に続いて、網の上の肉が一斉に突かれる。

 いや、突かれるなんてもんじゃない。

 これは、争奪戦だ。


「めっちゃ柔らか! うまっ! マネージャー、これ、結構いいお肉なんじゃないの?」

「そんなことないですよ。予算内で、質より量で買ってきて貰いましたし」


 と言いつつ、お肉は全部、伝家の宝刀・に小一時間ほど漬けた後だけどね。

 安いお肉を柔らかく、美味しく感じてくれるなら、全部このひと手間のおかげだ。


「ねえ、これ白米ないの? ご飯ないのが拷問すぎる!」

「あー、おにぎりならありますけど……何も味ついてないですよ?」

「欲しい、頂戴!」

「ずるい! こっちも!」


 あっという間に、おむすびの配給列ができてしまった。

 あとで焼きおにぎりにしようと思っていた、具もなければ塩すら振ってないやつなんだけど……まあ、いっか。


 網の上で熱いステップを踏む肉を見ていたら、タレに絡めてご飯と一緒に頬張りたい衝動に駆られる気持ちはわかる。

 育ち盛りの女子高生にとっては、焼肉の主役はむしろ炊き立てツヤツヤのお米だ。


「うまー! 焼肉と米……なぜ、ここまで合ってしまうのか。たっぷりタレ漬けしたカルビを白米おにぎりに乗っけて、そのままガブリッ――くぅー、たまらん!」

「あたし、米なら断然、豚肉だと思うんよ。プリプリのピートロをかじって、じゅわっとクドいくらいの油が染み出したところにさ、おにぎりで追っかけてくの。幸せすぎる」

「あ、そうだ……おにぎり食べちゃってるなら、これも行っときます?」


 私は、クーラーボックスの底からトレーではなく、底の深いタッパーを取り出す。


「圧力鍋で作った即席角煮」

「え? え? それを、どうしちゃうの? ねえ、どうしちゃうの?」

「炭火で炙り焼きにして……食べたくないですか?」

「そんなん、旨いに決まっとるやろがーい!」


 既に中まで火が通った角煮は、表面に焼き色がつく程度に温まればすぐ食べられる。

 炭火のチカラで熱を取り戻した肉塊が、摘まんだお箸の上でずっしりとした存在感を訴えながらも、ぷるりと軽やかに震える。


「はあー、やっば。これ、焼きチャーシューの進化系みたい」

「柔らかいのに噛み応えもしっかり。ほんのり炭火の香りが……ふぅ」

「なに、ほぼイきかけてんの。残り食っちゃうぞ」

「ダメー! あたし、今日は角煮とゴールインするんだもん♪」

「もん♪ じゃねーわ。キメーわ」

「あの……まだこういうのもあるんですけど」


 もしかしてもう満足しちゃった?

 なんて不安を抱えながら、もうひとつクーラーボックスの底に眠っていたものを取り出す。

 トレーに積まれているのは、十個ほどのアルミホイルの包みだ。


「とりあえず網に載せとくので、五、六分くらいしたら開けて様子見てくださいね」


 これは、角煮と違って特別に用意したものではなく、今朝からずっとタライ回しにされていた食材の――いわば消費。

 しばらくの後、お箸でホイルを突き破るように開けたとこから、湯気と共に甘ーい鮭の香りが立ち上る。


「これ、ホイル焼きだ! 鮭の!」

「石狩鍋にしようと思ってたヤツが残っちゃったので。えっと、味は二種類あって、です。焼き加減足りなかったら、各自で調整してください」

「ここでバターはダメでしょー。人間辞めちゃうよー?」

「や、辞めないでください」

「味噌マヨおいしー! お味噌が香ばしいのに、マヨでサッパリで――これ、今、こういう味を求めてた気がする!」

「それじゃあ、あとは……仕上げのじゃがバターと、デザートも行っときますか」


 じゃがいもは、濡れ新聞紙とアルミホイルで巻いて、とっくに炭火の中に放り込んである。

 取り出して包丁でぱっくりと割ると、ほくほくの断面が湯気の中に御開帳する。


「今日はここに、実家の人気メニューのひと手間を」


 まずはバターをひとかけら。

 すぐに熱で溶けだして、トロリとじゃがの断面を包み、染み込む。

 そこにもう一品、手のひらサイズの小瓶を取り出す。


「塩辛を……ドーンで、『函館風じゃがバター』です!」

「えー、じゃがバターに塩辛? そんなん合うの?」

「まあ、ちょっとやってみてください」


 言われるがまま、半信半疑になって塩辛じゃがバターをつつく部員たち。

 まるでゲテモノ料理でも食べるように、震えるお箸を口元に運ぶが、二、三度咀嚼した後にパッと表情を明るくする。


「うまー! なにこれ、クセうま!」

「塩辛のが、じゃがバターにめっちゃ合う! 新種発見マリアージュ?」

「じゃが明太ってありますよね? じゃがと魚介の臭みって合うんですよ」

「ああ、スナック菓子でよくあるやつ」

「これはいけませんね。どう考えても日本酒ですね」

「わっ、先生!?」


 いつの間にか、遠巻きにパーティーを見守っていた赤江先生が、コップ片手に塩辛じゃがバターをつついていた。


「え、先生、飲んでます?」

「私も、もうオフですから。あ、皆さんはダメですよ。アルコールなんて、一発で停学ですからね」

「はーい、分かってまーす!」


 声の揃った返事が闇夜に響く。


「よろしい。それにしても、美味しいですねぇ。今度、実家でもやってみます」


 生徒たちに釘を刺しながら、先生は美味しそうに一献傾ける。

 確かに、実家でもお酒飲み中心に人気のメニューかもしれない。

 酒飲みホイホイ……。


 塩辛の持つ魚介の旨味が、バターと一緒にほくほくのじゃが芋に染み込んで、この世のものとは思えない悪魔のメニューと化すのだ。

 この美味しさばかりは、食べた人にしか分からない。

 だからこその


「ねー、デザートは?」

「あー、はいはい」


 催促されて、もうひとつ炭火に放っていた包みを取り上げた。

 アルミホイルを丁寧に破いていくと、中にはジュワジュワと沸騰するように泡を吹き上げる、真っ赤な果実が詰まっていた。


「なにこれ、トマト?」

「そうです。焼きトマト。ここに、オリーブオイルとはちみつ……それと、胡椒をたっぷり! これでもかって!」


 これにて、左沢産業農園の夏の味覚のひと品――『焼きトマトのはちみつ和え』の完成!


「こ……これは、デザート! 確かにデザート!」

「これ、トマト、はちみつなくってもめっちゃ甘いんじゃないの?」

「胡椒のピリッと感も、甘みを引き立ててる気がする。スイカのお塩みたいな」

「あ! そういえばスイカもあったんだ」


 誰かの言葉で、私はすっからかんになった冷蔵庫の中で冷やしている、特大スイカの存在を思い出す。

 真帆先輩の差し入れの中で、ひときわ異彩を放っていた巨大な尺玉だ。


「マジで? よーし、割ろうぜ! 木刀持って来いよ木刀! あと目隠しの手ぬぐい!」

「昇段審査用の木刀持ってくんなよ? 先輩の修学旅行土産の持ってこいよ?」

「ひとっ走り行ってくるー!」


 BBQは、そのまま夜中のスイカ割り大会に転じた。

 三日間、あれだけヘトヘトになるまで練習して、いったいみんなのどこにそれだけの体力が残っているんだろう。

 驚きもひとしおに、なにより、そんな今を心の底から楽しんでいる自分がいた。

 剣道部のマネージャーを引き受けていなかったら、こんな夏は訪れることが無かったかもしれない。




 炭火が、か細い残り火に変わって来たころ、ようやく会はお開きの空気になった。

 今日は、寮生以外は解散で家に帰らなければならないので、それほど夜中まで引っ張ることもできない。

 ようやく、長かった夏合宿が終わるんだ。


「まあ、片付けに入るわけだが。その前に、みんな」


 瀬李部長の言葉で、部員たちが遊びや片付けの手を止める。

 何事かと驚いていると、部長が背筋をピンと伸ばして声を張った。


「山辺なづな! 三日間、食事の準備と合宿のサポート、ありがとうございました!」

「ありがとうございました!」


 道場で先生たちに対してするのと同じように、一糸乱れぬ礼が、一斉に私へと向けられる。

 圧倒されてしまった私は、その場から表情ひとつ動くことができなくなる。


「なづな、何かひとこと」

「あ……いえ、そんな」


 部長に促されるものの、何も考えていなかった私は、しどろもどろと部員たちの間に視線を泳がせるばかり。

 だけど、次第に胸の中にじんわりと熱いものが溜まってきて。

 大切なを零さないように、ぎゅっと胸元を抱きしめながら、たったひと言に想いのすべてを込め、頭を下げた。


「お疲れ様でした!」

「お疲れ様でしたーっ!」


 返ってきた来た返事が、寮にこだまする。


 八月、お盆前の夏合宿。

 地獄のような三日間を経て、私はようやく、自分がこの場所に立っていることを実感できたような気がした。

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