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9月 新人戦、いざ出陣!

第20話 合宿所と猫 ~生姜焼き~

 9月に入って、夜はだいぶ涼しくなってきた気がする。

 炊事場も窓を全開にすれば、爽やかな残暑の風が駆け抜ける。


 ――みゃー。


 風乗って、文字通りのが耳に届いた。

 私は、小さくため息をつきながら、傍らの勝手口を出る。


「お前、また来たのか~」


 最近、この時間になるとやってくる猫だ。

 毛並みのいい三毛は、首輪こそついていないけど、どこかの家の飼い猫なんだろう。

 いつごろからか、晩御飯の準備を見計らったように寮の裏へやってくるようになった。


「ごめんよー。今日のご飯は、玉ねぎ使ってるからあげられないんだ」


 なんて人間の言葉が通じるわけもなく、三毛猫はみゃーみゃーと、せびるように鳴き続ける。


「仕方ないなぁ」


 炊事場に戻った私は、納戸に詰めたの中から、煮干しの袋を引っ張り出す。


「ほら、お出汁用のしょっぱくないのだから、よく噛んでお食べ」


 煮干しを与えると、三毛はカリカリと歯を立てて咀嚼し始める。

 うーん……カワイイ。


 実家は飲食店ということもあって、ペットは、カゴや水槽で飼えるもの以外はNGだった。

 結果的に飼ったものと言えば、ハムスターと金魚くらい。

 犬や猫と言った定番どころは、飼ってる友達の家で遊ばせてもらうくらいで、それとなく憧れがある。


「お前は、どこの子なんだー? 外でおやつなんか貰って、家に帰ってからご飯食べられるのかー?」


 無防備な頭をウリウリと撫でてやると、三毛はゴロゴロと喉を鳴らした。

 普段はやや警戒心が強い子だけど、こうして食べ物をあげれば無防備になって撫でさせるのが、なんとも現金なヤツ。


「あっ」


 やがて煮干しを綺麗に平らげたあと、ぱっと私の手の中から飛び出した三毛は、そのままスタコラサッサと去って行ってしまった。

 うーん、ほんと現金なヤツ。

 残されたこっちの胸に残る、妙な寂しさをどうしてくれるんだ。


 心のすき間を埋めるように、気を取り直して晩御飯を作る。

 今夜のメインメニューは、豚の生姜焼きだ。

 定食屋に限らず、ご家庭料理の定番である生姜焼きは、定番だからこそ多種多様なレシピとメソッドが存在する。

 だから、これはあくまで山辺家の生姜焼き。


 ポイントは、三つある。

 ひとつ、玉ねぎはカレーを作るつもりでしっかり焼き色がつくまで炒めること。

 ひとつ、豚肉はタレに漬けこまないこと。

 ひとつ、焼く前にお肉に小麦粉をまぶすこと。


 生姜焼きの失敗と言えば、お肉がパサパサしてしまったり、味が絡んでいなかったりということがある。

 三つのポイントは、それを回避するためのものだ。


 まず、玉ねぎに関しては、タレにコクと甘みを与えるためのもの。

 しっかり炒めた玉ねぎをベースにすれば、砂糖をほとんど入れなくても、まろやかな甘さが引き立つタレに仕上がる。

 しゃっきり歯ごたえのある玉ねぎも良いけれど、ウチの生姜焼きの玉ねぎは、ほとんどの役割を担っていると言っていい。


 そして、お肉はタレに漬けこまない。

 事前にタレに漬け込むと、肉の中まで味の染み込んだ生姜焼きになるけれど、代わりにお肉の水分が逃げて、焼いた時にパサパサしがちになってしまう。

 代わりに、焼く前にお肉に小麦粉をまぶすことで、お肉から水分が逃げないようコーティングしつつ、タレがよく絡むようになる。

 これでわざわざ漬けこまなくても、しっかり味の染みた生姜焼きが出来上がる。


 あとは、火にかけすぎないようにさっと手早く仕上げること。

 ショウガ、ニンニク、醤油、酒、みりんに軽く砂糖を混ぜたタレが、とろっと、照り焼きみたいにお肉に絡んだら出来上がり。


「……うーん」


 出来立ての生姜焼きを前にして、食事の時間まで冷めていくのを見るのはどうにも忍びない。


「これは、自分の分だから……」


 そう言い聞かせて、出来立てのお肉を一枚――ぱくり。


「んー、うっま!」


 今日のお肉は豚ロース。

 ガッツリ行くならバラが美味しいけど、食べ飽きないのは断然ロースだ。


 ショウガ風味のピリ辛ソースが絡んだお肉は、噛みしめるたびにお肉の旨味と甘みがあふれ出す。

 すぐにでもご飯で後を追いたいけど……流石にそこは我慢。うう。


 ふた口めは、ソースの一部と化した玉ねぎを添えて――ぱくり。


「うーん、これもうんまい!」


 飴色玉ねぎの香ばしさと甘みがプラスされて、これはほとんどステーキソースだ。

 ……ってことは、ここに胡椒をたっぷりかけると?


「うーまっ! これ、生姜焼きじゃなくって、ほぼトンテキ!」


 ガツンと胡椒が効いた、ポークステーキだよこれ。

 こうなると、ロースが厚切りじゃないのが悔やまれる……けど、これ生姜焼きだから!

 あくまで、生姜焼きとして美味しく食べてもらうために、食卓に胡椒は出さないようにしておこう。


 ふと時計を見ると、時刻は夜の七時半を回っていた。

 さて、そろそろみんな、部活から帰ってくるかな?




 慌ただしい夕食時が終わって、一息ついたころ。

 私はようやくお風呂へと向かった。


 選手たちは、基本的に部活から戻ってきてすぐに汗を流すため、この時間になると大浴場は、私ひとりの貸し切り状態だ。

 ちょっぴり寂しさもあるけど、広いお風呂にゆっくり足を伸ばして浸かれるのは、最高の贅沢だと思う。


 いつものように脱衣所で服を脱いで、どうせひとりだからと鼻歌なんか歌っちゃったりして。

 ガラガラと浴室の扉を開けた瞬間、私はようやくの存在に気付いた。


「わっ!」


 湯船にうつぶせになって浮かんでいる人影があった。

 心臓が止まるかと思った。


 場所が場所だし、時間が時間だし、すっかり誰も居ないと思っていたので。

 というか浮いてるし、もしかして死ん……でる?

 なんて、湯煙サスペンスにドギマギしながら固まっていると、人影がゆっくりと頭を上げて起き上がった。


「あ……大仏おさらぎ先輩」


 二年の大仏先輩だ。

 下の名前は知らない。

 語感がいいからか、みんな「大仏ちゃん」としか彼女のことを呼ばないから。


 先輩は、のぼせているのか、ぼーっと湯気の向こうの私の顔を見つめ。

 それから、何事も無かったかのように肩まで湯に浸かり直し、至福の溜息を吐いた。

 な……何か、反応が欲しいんだけど。


「あ、あの……すいません。入ってるとは思わず」

「……どうして謝るの?」

「いえ、その、なんとなく」


 確かに、謝る理由なんてないんだけどさ。

 微妙にモヤモヤする気持ちを抱えたまま、私は洗い場の椅子に腰かけてシャワーを浴びる。


「この時間にお風呂なんて、珍しいですね?」

「……いつもこの時間」

「え、でも、会うの初めてですよね?」

「……うん、会ったことない」

「……」

「……」


 か、会話が続かない。

 普段からぼんやりして、物静かな人ではあるけれど、いざふたりきりになってみると掴みどころがないというか……とっつきにくい!


「……誰かとお風呂に入るの、苦手だから」

「え?」

「みんなと、入る時間ずらしてるの」

「ああ……だったら、お邪魔しちゃいましたね」

「いいよ」


 先輩は、鈴の鳴るような声で短く答えると、飛沫をあげて浴槽から立ち上がる。

 真っ白な裸体が目に付いて、別に悪いことをしてるわけじゃないのに、思わず目を反らしてしまった。


「……うん?」


 脱衣所に向かうかと思いきや、彼女はと立ち止まって私の方へと歩み寄る。

 そのままじーっと鏡越しに私の顔を見つめたかと思いきや、突然しゃがみこんで、鼻先を肩口に寄せる。


「……すんすん」

「え、な、なんですか?」

「……ううん、なんでも」


 なぜかうなじの匂いを嗅がれてから、立ち上がって、今度こそ脱衣所の扉へ手をかけた。


「じゃあ……ごゆっくり」


 それっきり、すりガラスの向こうへと去って行ってしまった。


 い……いったい何だったんだろう。

 何か、変な匂いでもしたのかな……?


 どうにも気になって、その日はいつもよりも念入りに全身隅々まで洗ったのは言うまでもない。

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