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第42話 ピークタイム

「焼きそばふたつ! 大盛りひとつ! 焼きそばパン三つでーす!」

「はーい! すぐ詰めるから待って!」


 お昼時を回ってこのかた、屋台の列は途切れるところを知らない。

 学園祭自体の来場者も、開会時より徐々に増えているおかげもあるだろう。


 早い時間は、校内外の学生らしいお客が多かったが、この時間になってくると昼食がてら目貫通りを散歩する在校生の家族や、近所の住人らしき人々の姿も多く目にするようになった。

 このお客を、どれだけ掴めるかが勝負だ。


 人間、胃袋には限度がある。

 無い袖も触れなければ、すき間の無い胃袋に食べ物を詰めることもできない。

 その点では、相変わらずぼーっとしながら団扇を扇いでいる大仏先輩による、「ソースとスパイスの香り」の拡散が、道行くお客のすきっ腹にこのうえない誘惑を与えられているようだ。


「やっほー。鈴ピーやってんねぇ」

「え? わっ、うわっ、ヨッシーじゃん! ホーリーも!」

「うえーい、来たよ」


 鈴奈先輩が顔を上げたかと思うと、ぱっと笑顔を浮かべる。

 お客の列の先頭には、このあたりじゃ見慣れない制服の女子高生がふたり、鉄板ごしに鈴奈先輩とハイタッチをした。


「わざわざ来てくれたの? 遠くなかった?」

「言うて、乗り換え一回だし。それに、去年は来れなかったからね」

「やだー、ありがと。あ、地元の友達。中学で一緒だったの。この子は、部活の後輩」

って、オイ」

「ど、どうも」


 突然のアウェイ空間に、私は思わず平謝りするように頭を下げる。

 鈴奈先輩の友達ってことは、宮城――ってか、仙台から来たってことか。

 どおりで、県内じゃ見かけない可愛いデザインの制服と、どことなく都会っぽさを感じる出で立ちだ。

 焼きそば屋の店頭が、今だけギャルのオーラでキラキラ輝いている。


 すると、呼び込みをしていた晴海さんが割って入るように飛び込んでくる。


「そのリップ、ちょー良い色じゃないですか? どこで買ったんです?」

「これはロフトの輸入コスメ。セールでめっちゃ安かったん」

「ええー、いいな。いいな。そっか、仙台行けばお店あるよねぇ」

「もしかして、じゃない子? ウチらよく使うお店なら教えてあげられるよ」

「まじっすか? あざーす! インスタ交換しましょ」


 ギャルの華がさらに咲いた。

 うう……田舎者には、まぶしい光景だ。


「ところで、例の王子様は? ウチら、それ楽しみに来たんだけど」

「現金なやつめ……今は、学科のシフトでいないよ。それに今日は、王子様じゃないし。あー、あたしそろそろ学科のシフトだから、一緒に案内してあげる」

「鈴奈先輩、もうそんな時間ですか?」

「そうなの。忙しいとこで、ごめんね! あとは、亜利沙ちゃんに任せた」

「任されました!」


 鈴奈先輩は、慌てた様子でエプロンを脱ぐと、焼きそばのコテと一緒に待機していた亜利沙さんに押し付けるように手渡す。

 焼きそば焼きもすっかり手馴れて来たところで、彼女が抜けるのは痛いけど、こればかりは仕方ない。

 都会のギャル軍団と校舎の方へ向かって行く先輩の背中を見送って、入れ違いに焼き場に立った亜利沙さんに視線を送る。


「いきなり忙しいとこだけど、頑張ろう」

「おっけー、任せといて。道頓堀で練習した腕を披露する時が来たね!」


 妙に自信満々の彼女は、さっそく鉄板に油を布いて調理を始める。

 ぎこちなさはあるけど、迷いは無い。

 うん、これなら安心して任せられるかも。


「あの、注文してもよろしい?」

「あ、すみません! ただいま!」


 シフト入れ替えのゴタゴタで、列のお客さんを待たせてしまった。

 慌てて接客に舞い戻る私だったが、店頭に立っていた人物の姿を見て、思わず固まって――というか、萎縮してしまう。


 そこに居たのは、カッチリとした着付けの着物姿でめかし込んだ、ご婦人だった。

 落ち着いた茜色の生地が季節に合う、しゅっと背筋の伸びた、佇まいから美しさがあふれる女性。

 このままどこぞの著名人のパーティや、お茶会にでも出かけるような……どちらにしろ、学園祭という場には不釣り合いすぎる異彩を放った出で立ちに、すっかり気後れしてしまった。


「焼きそばと焼きそばパン、ふたつずつでつつんどくれやす」

「ふぇ? あー、はい、ふたつずつですね! お願いしまーす!」


 突然の関西訛り――いや京訛りに、さらに追い打ちを食らって接客が後手後手になる。

 いけない、いけない。

 てか私、よく京訛りだって分かったね……というか、それってもしかして。


 品物を持ち帰り用のレジ袋に詰めながら、目の前のお客さんの様子をちらちらと伺う。

 彼女は、凛とした表情のまま誰かを探すように屋台の中を見渡すが、やがて私の視線に気づいて真っ向から見つめ合う。


 蛇にでも睨まれた気分になって、息が詰まった。


「どないしはりました?」

「あ……えっと、全部でチケット十枚です」

「ほな、これで」

「はい、確かに」

「おおきに。お天道さんもえらい高うなって来たし、どうぞおきばりやす」


 ご婦人は、もぎられていない十枚つづりのチケットの束をそのまま置いて、音もなく去っていった。

 今のって……もしかしなくても、はー子先輩のお母さんか、そうでなくても家の人だよね。絶対。


 そう思って見れば、横顔とか面影があるような、無いような。

 でも、こ、こわ……美人だけど、めちゃくちゃこわ……。


 先輩は、番重で売り子に出てるって教えてあげた方が良かったかな?

 でも、万が一、家の人じゃなかったら余計なお世話になっちゃうかもだし……そもそも、怖くて声を掛けられなかった。

 蛇に睨まれたカエルって、あんな気分なのかな。


 それからも、ひっきりなしにお客の列は続いて、休む間も無く営業は続く。

 こういうこと自体に慣れてはいるつもりだったけど、実家で出すお祭りの屋台とは、やっぱり勝手が違う。

 従業員の練度が足りないのは、この際仕方がないとしても、在庫の管理に、焼き場や売り子との連携に、接客に。

 お店全体を見通して回すっていうのは、この規模であっても思っていた以上に大変だ。


 予想外に、いい経験になってる……のかな。

 忙しさで頭が真っ白になりながらも、今できる最前手を模索して動く。

 ある種のに入ったような感覚を覚えているのは、何も私だけじゃないだろう。

 コツを覚えて、次第に手際がよくなっていくみんなも、その部分は同じだ。


 そうやって、どうにかピークタイムを乗り切ったころには、時計は午後の一時半を回ろうかといったところだった。


「ようやく落ち着いたねー! みんな、お疲れ様!」


 長蛇の列を捌ききって、気持ちのいいため息がこぼれる。

 すっかり汗だくだけど、どこか爽快感すら感じられた。

 釣られるように、亜利沙さんがうんと背伸びをする。


「あー、手首やばー。人生でこんなにコテを振るうことがあろうか。いや、ない」

「大丈夫? 腱鞘炎とか気を付けてね?」

「それは大丈夫。手首も毎日鍛えてるから」


 言いながらも、彼女はほぐすようにぶらぶらと手を振る。


「今って、売り上げどんなもん?」

「とっくに百食は越えてます。でも、流れが止まった今からが勝負ですね」


 忙しいところでシフトに入ってくれた先輩部員たちに、今の売り上げ表を見せる。


 ここまでで焼きそばが百二十食ちょい。

 焼きそばパンがちょうど百食を越えたくらい。

 前半戦と考えたら良いペースだと思うけど、お昼時という一番のピークを終えたのを考えると、ちょっと物足りなくもある。


「とりあえず、今のうちに焼きそばパンの残り詰めておきましょうか」

「了解~」


 こういう時に休まず仕込みをしておくのが大事だよね。

 先輩方に指示を出して、自分も食材の仕込みに入ろうかと思ったところで、屋台にひょこりと顔を出した影があった。


「みんなお疲れ様~!」

「わ、すずめちゃん。いつの間に」


 すずめちゃんだった。

 私と色違いの緑のチャイナドレスに身を包んだ彼女が、軽やかな足取りで屋台の中に入ってくる。


「わ、すごい売れたね~」

「うん、なかなかでしょ。学科ニャンニャンの方は?」

「こっちも、お昼のピークが終わったとこ。余裕出来たから、早めにバトンタッチしに来たよ」

「あ、そっか。このあとって、私のシフトか」


 剣道部のことで頭がいっぱいで忘れかけてたけど、私も学科のシフトの時間がある。

 その間は、すずめちゃんに入れ替わりでこっちをお任せすることになっていた。


「なづなちゃん、ずっと屋台から出てないでしょ? まだ時間あるし、少し学園祭回ってきたら?」

「え、でもそれならすずめちゃんの方が」

「私は、こっちのシフト終わった後に時間あるから、そこで大丈夫だよ」

「そう? じゃあ、お言葉に甘えて」


 するっと彼女の好意に甘えられたのは、もちろん私だって、学園祭を楽しみにしていたからに他ならない。

 高校に入って最初の学園祭だ。

 もちろん売り上げランキング一位も大事だけど、空気そのものを味わうのだって、私の中では大事なこと。

 敵状視察だって、しなきゃいけないしね。


「でも、ひとりで回るのはちょっと寂しいな。クラスの子、誰か空いてる子いないかな」

「今、シフト休みの子は~、え~っと、誰だっけ?」

「いいよいいよ、自分で確認するから。じゃあ、しばらくよろしくね」


 屋台をすずめちゃんに託して、私はテントから出る。

 燦々と降り注ぐ気持ちのいい秋晴れを一身に受けると、ピークタイムの疲れが心地よさに変わるような気がした。


 とりあえず、ぶらっとしてみようかな。

 私は、パンフレット片手に、華やかに着飾った非日常な校内へと足を踏み出した。

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