「……え……?」
一瞬、言葉が呑み込めなかった。
「交換条件。止めてあげるから、僕にキスして?」
まるで、何気ないお願いのように。
けれど、それが絶対の選択肢であることを、俺は直感的に理解してしまった。
「……っ……ふざけんな……!」
「ふざけてないよ?」
凛は淡々とした口調のまま、俺の手首をそっと握る。
「ほら、どうする?」
(……クソ……)
ここまでの屈辱を思い出す。
このまま拒めば、また――
「……っ……」
喉の奥が詰まる。
(……やるしか、ない……?)
「キス」 それだけで済むなら――
「……っ……わかったよ……」
呟くように言うと、凛は満足そうに微笑んだ。
「うん、偉いね」
その言葉に、無性に苛立ちを覚える。
だけど、抵抗はできない。
「……」
凜は一度俺を解放するかのように手を離す。
俺は、やはり迷ったが起き上がると膝立ちになって、ゆっくりと顔を近づける。
唇が触れた瞬間――
「ん……」
凛の手が、俺の頬を包んだ。
「っ……!」
一瞬で、全身が総毛立つ。
単なる接触のはずなのに、妙に熱がこもる感覚。
「れーちゃんの唇、柔らかいね」
囁くような声が、耳に絡みつく。
(やばい……)
「ほら、もう少しちゃんとして?」
(……っ……!!)
一度では満足しない、凜。
俺は息を吐きだし、もう一度唇と唇を触れさせる。
すると、凜が舌を出して俺の唇を舐めた。
「……っあ……」
嫌悪感があるのだと思った。
だって、ずっと一緒にいるとはいえ、凜はそういう対象でなかったのだ。
少なくとも俺にとっては。
けれど、そんなものはまるでなくて、逆に俺を絶望に突き落とした。
凜の舌が声を上げた俺の唇の隙間から入り込んで、咥内をゆるりと舐める。
その感触に、びくり、と俺の背中が勝手に揺れた。
「あは、れーちゃん……本当に、可愛い……」
ちゅ、ちゅ、とリップ音を立てて凜の唇が離れる。
それだけで、喉の奥が妙に熱くなる気がした。
「うん、いい子」
凛が優しく微笑む。
「れーちゃん、疲れたでしょ? 少し休もうか。お水は飲もうね」
(……何なんだよ、こいつ……)
ここまで支配しておいて、まるで本当に俺を気遣ってるみたいな顔をする。
されるがままに、水分を摂らされてから、俺は何も言わず、ベッドの上に横たわった。
柔らかい毛布がかけられる。
いい子、と凜が俺の頭を撫でた。
※
どれくらい時間が経ったか分からない。
目を開けると、凛が俺の横に座っていた。
「お水、飲む?」
差し出されたグラス。
俺は無言で見つめる。
(……これ、拒否したらどうなる……?)
でも、喉が乾いているのは事実だった。
休む前にも飲まされたが、水分を身体は欲している。
「……」
渋々、グラスを受け取る。
「うん、偉いね」
「っ……!」
また、その言葉。
まるで 「ちゃんと言うことを聞いたね」 みたいな響きに、無性に苛立つ。
(……こんなの……)
ゴクッ、と喉を鳴らして水を飲む。
思った以上に、身体に染み渡る感覚があった。
(……そういえば、腹も……)
空いている。
けど、それを口にするのは “何かに負ける” 気がして、俺は黙った。
「……じゃあ、次の準備しようか」
「え……?」
水を飲み終えたばかりのタイミングで、凛がスッと立ち上がる。
「……次……?」
俺が訊き返すと、凛は当たり前のように微笑んだ。
「うん、5回目の注射」
そう言った凜の手には、あの注射があった。