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15 2日目ー番

呆然としたまま、俺は凛の手のひらが頭を撫でる感触を受け入れてしまっていた。


「よかったね、れーちゃん」


凛の声は優しく、まるで本当に俺の変化を祝福しているようだった。

けれど、その言葉の意味が、俺の思考にじわじわと染み込んでいく。


「……よかった、だと……?」


そう呟くと、凛は嬉しそうに微笑んだ。


「うん。だって、ちゃんと進んでるから」


俺は言葉を失う。

「進んでいる」。

まるで、俺が望んだかのような表現に、怒りよりも恐怖が先に来た。


「……違う……そんなの、違う!」


俺は強く否定した。

でも、喉の奥に絡みついた凛の匂いが、それを許さなかった。


「違う? じゃあ、どうして僕のフェロモンを感じるの?」

「それは……!」


言い返そうとするのに、何も出てこない。

考えれば考えるほど、凛の言葉が真実のように思えてしまう。

α同士なら、フェロモンを感じることはない。

それが、当たり前のはずだった。

なのに――

今、この密室の空気が妙に重く感じるのは、凛のフェロモンのせいじゃないのか?

昨日までは、こんな風に意識したことなんてなかったのに?


「ねえ、れーちゃん」


凛の指先が、俺の顎を軽く持ち上げた。


「僕の匂い、嫌?」

「……っ……」


本当なら、嫌だと答えなければいけない。

だけど、言葉が喉の奥で詰まる。

息を吸い込むたびに、胸の奥がじんわりと温まっていくような錯覚に陥る。


「……嫌……な、わけ……」

「ないでしょ?」


囁くような声に、心臓が跳ねる。

違う、これは違う。

俺は、俺は……!


「α同士なら、こんな風にはならないんだよ」


静かに告げられたその言葉に、俺の全身が凍りついた。


「じゃあ、れーちゃん。僕がもっと近づいたら、どうなると思う?」

「……何……?」


「試してみようか」


そう言った瞬間、凛の手が俺の首筋に触れる。


「っ……!!」


そこに、ゆっくりと唇が寄せられ――


「ほら、怖がらないで。僕はれーちゃんの“番”なんだから」

「は……?」

「れーちゃんの番は、僕しかいないんだよ」


凛が、淡々とした口調で告げた。

まるで、それが最初から決まっていた運命であるかのように。


「待てよ……俺の番……? そんなの、誰が決めた……!」

「僕が決めたよ」

「っ……ふざけんな!」

「ふざけてないよ」


凛は微笑んだまま、そっと俺の頬を撫でた。


「れーちゃんは、僕が作ったΩだから」

「……は?」

「だから、れーちゃんの番は、僕しかいないの」

「待て……そんな理屈、どこにある……!」

「あるよ。ほら、もう僕のフェロモンに逆らえなくなってるでしょ?」


そう言われて、俺はようやく気づく。


いつの間にか、俺の呼吸は浅くなり、凛の匂いを吸い込むたびに心臓が妙に落ち着かなくなっていた。

寒気がするのに、熱がこもるような違和感。

この感覚、何かに似ている。


(……まさか……)


「れーちゃん、気づいてる?」


凛の指が、俺の首筋を優しくなぞる。


「僕が、こうやって近づいても、君はもう逃げようとしない」

「……!」

「むしろ――この距離、嫌じゃないよね?」

「違う! 俺は、そんな……っ!」

「でも、さっきからずっと吸い込んでるよね。僕の匂い」

「っ……!」


指摘されて、初めて自覚する。

俺は無意識のうちに、深く息を吸い込んでいた。

まるで、それを求めるかのように。


「れーちゃん。僕のフェロモンが、君にとって一番気持ちいいものになるように、調整してるんだよ」

「調整……?」

「そう。僕が作ったΩなんだから、僕に一番馴染むように」

「……そんなの……!!」

「そんなの、じゃないよ」


凛は俺の髪を優しく撫でた。


「だって、もうこうしてるだけで、落ち着くでしょ?」

「……っ……」


言い返そうとしたのに、なぜか喉が詰まった。

確かに――この距離で、凛の匂いを感じていると、少しだけ楽になる気がする。

けれど、それを認めてしまったら、もう。


「僕の言葉、すごく聞きやすくなってるよね?」

「……何……?」

「αの時は、そんなことなかったでしょ?」


確かに、凛の声が妙に耳に馴染む。

まるで、心地よく響くように設計された音のように。


「Ωってね、番の声が一番よく聞こえるんだよ」

「……!」

「れーちゃんの番は、僕だから」


俺は、ただ唇を噛みしめるしかなかった。


認めたくない。

こんなもの、絶対に違う。


けど――


(……違うって、言えるか?)


自分の身体が、もう。

誤魔化せないくらいに、変わってきているのに。

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