目を開ける前から、違和感に襲われていた。
喉の奥が、じんわりと乾いている。
胃の奥が、妙に空っぽな気がする。
そして――
(……なんだ、これ……)
腹の奥が、じくじくと疼く。
昨日よりも、もっと奥の方。
内側から広がる違和感に、眉をひそめる。
まるで、熱を持った何かが体の中でうごめいているような、そんな感じ。
気持ち悪いのに抗えない、熱。
(……待て、こんなの……)
「おはよう、れーちゃん」
静かな声が耳を打つ。
目を開けるよりも早く、肌の上を指が撫でる感触があった。
「っ……」
跳ね起きようとするが、体が妙に重く、ままならなかった。
俺は仰向けのままで、凜を見上げる。
凛の指先が、鎖骨の上をゆっくりと滑る。
その軌跡に沿って、ぞわりとした感覚が広がった。
「……やめろ……」
低く押し殺した声が、うまく出せない。
「どうして?」
凛は穏やかに微笑んだまま、もう一度指を滑らせる。
昨日までは、こんな触れ方をされたら即座に振り払っていた。
なのに、今は――
(……っ……!)
指が離れた瞬間、肌がひんやりとした感覚に包まれる。
一瞬、その温度差に僅かな快感を覚えた。気持ちがいい、と。
「……やめろって、言ってんだろ……」
力を込めて言ったつもりなのに、声が弱い。
こんなはずじゃない。
「うん、ごめんね」
そう言いながら、凛は静かに微笑む。
その仕草が、妙に落ち着く。いつもの凜と同じなのに。
(……いや、違う……!!)
「れーちゃん、ちょっと……いい?」
「……は?」
「じっとしててね」
そう言った瞬間、凛の手が俺の後頭部に触れた。
「おい、何……」
言い終わる前に、首筋へと息がかかる。
びくり、と俺の肌が戦慄いて、凜の手に後ろ頭を擦りつけた。
(……っ!!)
「……昨日より、感じる?」
「え……?」
昨日より。
そう言われて初めて、違いを自覚した。
(……こいつの匂いが、昨日より……)
濃い。
違う、匂い自体は変わっていないはずなのに、妙に意識に入り込む。
入り込んで、馴染んで、俺の意識を奪っていく。
「ああ、わかるんだね。僕の匂い。昨日よりも、もっと」
「っ……!」
「れーちゃんには、僕の匂いがちゃんとわかる……嬉しいなぁ……れーちゃんの匂いも甘くて美味しそうなんだよ?僕ずっと、我慢してる」
「やめろ……!!」
必死に否定するが、凛の匂いが鼻腔に絡みついて離れない。
凜はそっと俺の頭を枕の上へと戻す。
「可愛い、れーちゃん。怖い?」
「……!!」
言葉が、出なかった。
否定しようとするたびに、体が勝手に反応する。
「ねえ、れーちゃん。僕が離れたら、寂しくなる?」
「……っ……!!」
何を言っているんだ、こいつは。
寂しい? そんなわけが――だって、凜は俺から離れないし俺も……。
(……待て……今……)
一瞬、体が強張った。
(……俺、何を考えた……?)
まるで、本当に「寂しい」と繋がってしまうような思考。
(……違う、違う!!)
そんなわけがない。
なのに、頭の奥がぼんやりと痺れるような感覚に支配される。
「ああ、いいなぁ……れーちゃん、昨日よりもっと素直になってる」
囁く声が、心の奥に直接入り込んでくる。
逃げなきゃいけないのに、逃げられない。
違う、こんなの――
「でも、もう少しかな……?」
(……!!)
「れーちゃん、次の準備しようか」
「次……?」
「うん、7回目の注射」
心臓が、一気に跳ね上がる。
「もう……十分だろ……!だって、こんなに……!」
「まだだよ。完全にれーちゃんを変えるにはあと3回あるからね。ここでやめちゃったら、れーちゃんはこのままきっとおかしくなっちゃうし」
「っ……!!」
「この注射が終われば、昨日より、もっと君の身体が僕を求めるようになるよ」
「違う!!!」
「そう?だって今だって……」
俺の腕を掴み、軽く押さえつける。
振り払おうとするが――
(……っ……まただ……!)
力が、足りない。
昨日までなら簡単に振り払えたのに。
凜の顔が俺の首筋に埋まって、その場所を軽く吸って舐めた。
たったそれだけなのに、思いもしない刺激に俺は息を飲む。
「れーちゃん、さっき僕が離れたとき、少しだけ寂しそうな顔したよ?」
「してない!!!」
「じゃあ、僕が今ここからいなくなっても、平気?一緒にいなくてもいい?」
「……っ……」
言葉が、出なかった。
「ほら、ね?ああ、本当に……可愛くて可哀想なれーちゃん」
そう言って、凛が注射器を取り出す。
「やめろ……!」
「これで、君の心が動くよ……僕の方に」
――チクリ。
「っ……!!!」
肌に針が刺さる感覚。
痛みは少ないはずなのに、刺激だけが大きく波になる。
「ほら、あと2回」
「……っ……はぁ……っ……」
薬液が身体に浸透する。
俺の呼吸が浅くなる。動悸が、さっきよりも早い。
(これ、やばい……)
「れーちゃん、もうここまできたら、逃げられないよ?」
囁く声が、頭の奥に響く。
「ほら、感じて」
俺の 地獄は、ここからが本番らしい。