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23 Side:凛 ― 僕だけのれーちゃん

僕は、れーちゃんの匂いを覚えている。


小学生の頃、一緒に走って転んだ時の汗の匂い。

制服の袖口に残る柔軟剤と、昼休みに体育館を抜けたときの埃くさい空気。

笑うとき、怒るとき、嘘をつくとき。

そのたびに少しずつ違う“体温”を、僕はずっと感じていた。


αとして普通じゃないって、自覚はあった。

Ωの発情を目の当たりにしても僕は興奮を覚えない。

ただ1人、れーちゃんにだけ僕の全てが反応する。

おかしいことだ。普通じゃない。

……でも、止められなかった。れーちゃんを好きになることを。


れーちゃんがαだったからじゃない。

強くて、格好よくて、誰にでも笑顔を向けるからでもない。

彼の全てが僕を魅了してやまないのだ。


でも、この思いは叶うことがないように思えた。

……れーちゃんが、僕を必要としなかったから。

僕がいなくても、彼はちゃんと立っていられる。

誰とでも親しくなれるし、甘える必要もない。

僕の差し出す優しさなんて、彼にとっては“便利な友達”以上でも以下でもなかった。

いや、彼は“大事な親友”くらいには思ってくれている可能性はある。


けれど、たかが親友程度ではいつかれーちゃんは僕の横からいなくなってしまう。

それが、怖かった。

有能な彼だ。……完全に届かなくなる日が来る。

振り返ってももらえなくなる。

僕のことなんて、忘れてしまう。

そんな未来が、ずっと怖かった。


だから選んだ。


“僕のほうに降ろす方法”を。

れーちゃんを変えるなんて、最初は思ってなかった。

でも、彼があまりにも遠すぎた。

目が合っても、僕を見てない。

肩を並べていても、同じ高さに立っているだけで――その足元は別の道を歩いていた。

れーちゃんが、誰かと「番」になる可能性。

それは、“僕が選ばれない未来”を意味していた。


だったら、自分で“道”を作ればいい。


そう思ったのは、思い返せば高校に入った頃だった。

ちょうど、家の研究室で非公開の治験データを見つけた。

“βやαのフェロモン受容体を一時的に強化する”投薬研究。

最初に興味を持ったのは、純粋に知的な好奇心だった。

けれど、途中からは――違った。


(れーちゃんが、僕の匂いを感じる世界)


その想像が、何より心を潤した。

彼が、自分の意志ではなく“身体”で僕を求める姿。

口では否定しても、肌が、声が、熱が僕を欲しがる世界。

そんな世界だけが、僕を安心させた。

……それって、愛じゃないって思う?

でもね、それでも僕は――れーちゃんが大好きだったんだよ。

だから、ただ“支配”したかったわけじゃない。

苦しめたいわけでも、壊したいわけでもない。

僕がしたかったのは、“れーちゃんを僕の世界に閉じ込めること”。

自由なんて要らない。

選択肢も、友達も、未来も、いらない。

僕が全部与えるから。

僕さえいれば、生きていけるって――そう思ってほしかった。

……ねぇ、れーちゃん。

君は今、初めて僕の匂いを“好きだ”と思ってくれた。

それだけで、もう充分なんだ。

たとえ、その理由が薬であっても。

番のシステムが壊れていても。

君が泣いても、叫んでも。

“僕のそばでしか落ち着けない体”になってしまえば、それでいい。

そうすればもう、誰のことも見なくなる。

僕だけを、見るようになる。

そうすれば――

君は、やっと僕だけのれーちゃんになるんだ。


(……あと一回で、完成だね)


僕は静かに、手元の最後の注射器に視線を落とした。

それはすべてを終わらせ、始めるための、最終の一本。

それは“選択”ではなく、“結論”だ。

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