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4-1

夕食も終えて、就寝準備も終えた。

扉を閉め、自室で一人きりになると、やけに静かに感じる。


「はぁ……」


深く息を吐いて、額を手で覆った。


──たかがキスひとつで、どうかしてるな。


護衛対象に不意打ちを食らっただけだ。

あいつはまだ若いし、年下特有の戯れだろう。

それくらい、さらりと流せばいい。

そうださらりと……


「……流せてないから困ってるんだが」


自分で言って、自嘲気味に苦笑する。

唇に残る感触が消えない。


「恋人に格上げでいいですよ、か」


冗談にしては、目が本気だった。

俺にとってシリルは護衛対象だ。それをそんなふうに見るべきじゃない。

……そんなこと、わかっている。


けれど──


「まったく、俺はどうしてこんなに動揺してるんだ……」


枕に背を預けて、窓の外を見る。

王都の夜空は晴れ渡り、月が静かに光を落としていた。


シリルは、リアムによく似ている。

けれど、シリルはシリルだ。

リアムへの想いとは、決して同じものではない。


そう言い聞かせても、いや、言い聞かせれば聞かせるほどに目を閉じると、銀色の髪とまっすぐな瞳が浮かぶ。それはリアムではなくシリルだ。


──まさか、俺はとっくに……?


「……寝るか」

……

思考を振り払うようにして、ベッドへと横になり俺は目を閉じた。

けれど、その夜はやけに長く感じられた。


翌朝。

いつものように食堂に向かうと、すでにシリルとセシリアが席に着いていた。


「おはようございます、アレックス様」

「……おはよう」


昨日のことが頭をよぎるが、シリルは普段と変わらない様子で微笑んでいる。

むしろ、少しだけ機嫌がいいように見えるのは気のせいだろうか。


「アレックス様、よく眠れました?」


シリルが自然にそう問いかける。


「……まあ、な」

「僕はとてもいい夢を見ましたよ」

「……そうか」


そこから先の言葉が続かない。


「ふーん、お兄様、なんだかご機嫌ね?」


セシリアが紅茶を飲みながら、じっと兄を見つめる。


「別に、普通だろう?」


「いつもより柔らかい顔してますよ?」

「気のせいだよ」


シリルがさらりと流す。

俺は割と悩んでいるだけに、その余裕が妙に気に障った。

かといって年下の子どもに当たるほどではないが。


「今日はどこか出かけるんですか?」


セシリアが無邪気に尋ねると、シリルがこちらを見てくる。


「アレックス様が付き合ってくれるなら、どこでも」

「今日は出かけない。今日はちゃんと魔導士としての訓練をしろ」

「えー、それは残念」


わざとらしく肩をすくめるシリルに、セシリアがすかさず茶々を入れた。


「お兄様、やっぱりデートだったんじゃないですか?」

「さあね」

「ふふ、でもアレックス様が相手なら、デートのほうが良かったんじゃ?」

「セシリア、黙ってろ」

「はーい」


セシリアは素直に返事をしつつ、にやにやと笑っていた。

それを見て、シリルが軽く肩をすくめる。


「ほら、妹にまでからかわれてますよ?」

「誰のせいだと思ってる」

「それは……アレックス様が素敵だからですかね?」


その言葉にどきりとしてしまい、一瞬で、それを打ち払うように目を閉じた。


「……言ってろ」


俺はそれだけしか返せなかった。

……まったくもって、シリルには困ったものだ。



さて。

朝食を終えてもシリルが俺に付きまとってくる。


「なんでついてくるんだ」

「まだ訓練がありますし、それにアレックス様が傍にいると落ち着くんですよ」

「……俺はお前の保護者じゃない」

「分かってますよ。だって……」


そこで言葉を切り、シリルは俺の前に立つ。

そして手を伸ばして俺の顎に指先を触れさせた。


「保護者とはキス、しないでしょう?」

「おまえ……」


後から思えば、俺の行動は軽率だったんだと思う。

けれど、その時は頭に血が上ってしまい──気が付けばシリルの両腕を掴み壁に押し付けていた。

シリルは目を大きく見開き、俺を見つめている。


「……大人をからかうには覚悟はあるんだろうな?」


その耳に唇を寄せて、声を響かせる。

そう言ったものの、自分でもわかるほど、声がかすかに震えていた。

理性がギリギリで踏みとどまっている。

近すぎる距離。触れてしまえば、後戻りはできない。


──こいつはそれをわかっているんじゃないか……?


シリルは小さく息を飲んだが、シリルの瞳はまっすぐで、一切怯えていなかった。



「勿論」


真正面からそう言われて、俺は言葉に詰まる。

すると、今度はシリルが近づいた俺の顔に、唇に、自身の唇を添わせて俺の下唇を柔らかく食んだ。


「……覚悟がないのは、アレックス様のほうでしょう?」


そう、俺の唇の上で言って今度は、ちゅ、と音を立てて俺の唇を軽く吸って離れる。


……どうやら俺は、開けてはいけない扉を完全開放してしまったらしい。

唇に残る柔らかな感触が、脳内で反響している。

耳元で囁かれた「覚悟がないのは、アレックス様のほうでしょう?」という言葉が、離れない。

シリルは壁際に押し付けられたまま、俺を見上げて微笑んでいる。

息を吸うだけで、シリルの体温を感じてしまいそうなほど距離が近い。


──これはまずい。


わかっているのに、シリルの唇を見てしまう自分がいる。


「シリル……お前……」


声を出した瞬間だった。


「アレックス様!兄様!こんなところで何してるんですか?」


突然、廊下の向こうからセシリアの声が響く。


「っ……!」


俺は反射的にシリルから身を引き、咳払いをして距離を取った。

シリルもすぐに表情を切り替え、何事もなかったかのように整った顔で妹を迎える。


「セシリア、何か用?」

「ううん、別に。でもお兄様、アレックス様に何かしようとしてたでしょ?」


セシリアがじっと兄を見上げる。


「何もしてないよ」

「嘘だぁ。アレックス様の顔が赤いもの」

「……気のせいだ」


言葉を絞り出す俺に、セシリアがじっと疑わしげな目を向けてくる。


「んー……?」


セシリアは俺とシリルの間を行き来する視線を交わしながら、何かを考えている様子だったが──やがてニコッと笑った。


「まぁいいや!お母様がお呼びですよ、アレックス様」

「リアムが?」

「うん、執務室にいるって」

「わかった。すぐに行く」


助かった。そう思いながらセシリアの言葉に頷くと、シリルが名残惜しそうにこちらを見ていた。


「アレックス様、母上とのお話が終わったら……また話しましょうね」

「……ああ」


その穏やかな声に、妙な緊張感を残したまま俺は執務室へと向かった。

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