デリカート邸の朝は静かだった。
昨日の王宮での襲撃事件を経て、護衛体制がさらに強化され、邸内にはどこか張り詰めた空気が漂っていた。
しかし、その静けさは執事の一言で簡単に破られることとなる。
「アレックス様、大変です!コンブリオ卿が、お祝いだと仰って突然いらっしゃいました!」
「……父が?お祝い?」
唐突な知らせに、一瞬思考が止まる。
父がデリカート邸を訪れる時は、大抵碌なことがない。そんな経験則がある以上、嫌な予感しかしなかった。
「それだけではありません。ギルフォード様、マリー様もご一緒です。そして、リアム様とキース様も応接室に……」
「……全員揃っているのか……」
──嫌な予感しかない。
仕方なく応接室へ向かうと、案の定、賑やかすぎる面々が勢揃いしていた。
「おお、アレックス!」
俺の父であるバーナード・コンブリオが、満面の笑みで手を広げる。
その隣には、デリカート家の前当主であるギルフォード様とマリー様。さらに、リアムとキース卿の夫妻も揃っていた。
「……父上、何をしに来たんです?」
「決まってるだろう!シリルとの進展をセシリアから聞いてな!お祝いに駆けつけたんだ!」
「セシリア……?」
俺はソファに座り、にこにこしているセシリアを見やる。
「だって、アレックス様とお兄様が仲良しで素敵だったから、ついお話ししちゃったの」
「つい……その前に何故、父上とやり取りを」
セシリアは首をかしげながら無邪気に答える。
「人脈と言うものですわ。アレックス様。女侯爵になるならばこれくらいは当然です」
──悪気がないだけにタチが悪い。
「まあまあ、いいじゃないか!めでたい話なんだから!」
父は全く意に介さず、ギルフォード様に酒を注ぎながら盛り上がっている。
「おいアレックス、お前はこの先もシリルをしっかり守れよ!」
「……言われなくても」
真剣に返す俺に、父は満足げに頷く。
一方、マリー様は険しい表情で父を睨みつけていた。
「本当にうるさいわね、あの駄犬……どうしてこうも大騒ぎを……」
「おいマリー嬢、祝い事なんだからもっと楽しもうぜ!」
「だれがマリー嬢よ!あなたみたいな騒がしい人間がそばにいるだけで疲れるわ」
険悪な二人をよそに、ギルフォード様は穏やかな笑みを浮かべている。
「アレックス君、驚かせてしまってすまないね。でも、いい機会だ。君の覚悟を聞かせてくれるかい?」
ギルフォード様の静かな問いに、部屋の空気が少し引き締まった。
俺は視線を落とし、深く息を吐いてから顔を上げる。
「……俺は、シリル殿を守ります。どんな状況でも、命を懸けて」
真剣な声が自分の中から湧き出てくるのを感じた。
「ふむ……頼もしいね」
ギルフォード様が満足げに頷くと、マリー様も少しだけ表情を和らげた。
「まあ、あの子の選んだ相手だもの。信じているわ、アレックス君」
その言葉には、厳しさと同時に優しさが感じられた。
「よーし、それなら次は結婚式だな!」
「父上……?」
俺が嫌な予感を覚える間もなく、父は目を輝かせて話し始めた。
「場所はどうするんだ?やっぱりデリカート家の庭か?それとも王宮がいいか?」
「王宮は無理でしょう……そもそもまだ決まっていません」
真面目に答えた俺に、父は追撃のように質問を重ねる。
「じゃあ子どもは?やっぱり3人くらいか?いや、男2人に女1人だな!」
「──ごほっ!」
思わず咳き込む。
隣でシリルがくすくすと笑っているのが腹立たしい。
「お前、なぜ楽しそうなんだ……」
「アレックス様、いいじゃないですか。僕たちの未来の話ですよ」
シリルの穏やかな表情に、俺は更に困惑する。
「バーナード、いい加減にしろ。アレックス君が混乱しているだろう」
ギルフォード様が静かにたしなめると、父は渋々ながらも口を閉じた。
しかし、ここで話が収まる父ではない。
「ギル!お前、孫が3人になるのを楽しみにしてるだろう!」
「孫の数よりも、まず彼らが幸せな家庭を築けることが大事だよ」
ギルフォード様は穏やかに笑い、父の勢いをさらりと受け流す。
「全く……アレックス君、本当にこんな家族に巻き込まれる覚悟があるのかしらね?」
マリー様が肩をすくめて呟く。
「それは心配ありません。俺が家族を守りますから」
その言葉に、マリー様は少しだけ満足げに頷いた。
騒がしい場ではあったが、最終的には皆が笑顔で杯を交わしていた。
セシリアは「お祝いって素敵ですね!」と無邪気に笑い、リアムとキースもそれを微笑ましく見守る。
シリルは静かに俺の隣に座り、嬉しそうにこちらを見上げている。
「アレックス様、皆さんに認めてもらえて嬉しいです」
「認めてもらえて……いや、お前はもう最初から認められてるようなものだろう」
「それでも、こうしてお祝いしてもらえるのは特別なことですから」
シリルの言葉に、俺は胸が少しだけ温かくなるのを感じた。
そして、シリルの視線の先にいるギルフォード様とマリー様を見る。
彼らは間違いなく、シリルが幸せになることを願っている。
──だからこそ、俺は絶対に彼を守らなければならない。
父が酒を注ぎ合いながらギルフォード様と笑い合う光景や、マリー様が呆れつつも微笑を浮かべている様子。キース卿夫妻は何やら話している。
それらすべてが、俺にとって大切なものだと感じられた。
「アレックス君、これからもよろしく頼むよ」
ギルフォード様がそう静かに言葉をかけてくれた時、俺は深く頷いた。
「必ず、シリル殿を幸せにします」
この賑やかな日々を守るためにも、俺は彼らを、そしてシリルを守り抜く。
静かにそう心に誓いながら、俺は賑やかな部屋を見渡した。
「……ところで、ギルフォード様とマリー様は父上と同じ齢なはずですが……」
「ええ、何か?」
マリー様が不思議そうに首をかしげる。
「いえ……若すぎるような気が……」
俺が言葉を濁すと、セシリアが悪戯っぽく笑った。
「アレックス様、それがデリカート家の血筋なんです。シリルお兄様もきっと、ずっと若々しいままですよ」
「……そういうものか」
隣で微笑むシリルを見ると、本当に彼は歳を取らないのではないかと思えてくる。
リアムとキース卿もまた、そう見えるから不思議だ。
──騒がしいながらも、この温かい場を大切にしたい。
その思いを胸に、俺は再び部屋を見渡した。