結局、全員揃った場ではキース卿夫妻と話す暇もなく、騒がしいままに終わった。
そこで俺は改めてその夜にキース卿の執務室へと訪れていた。
「誰に話すよりもまずは両親じゃないかな?ねえ、リアム」
そんな厭味をちくちくと受けながらも、シリルとのことを告げると、キース卿は「あの子が選ぶなら仕方ない」と肩を竦めた。リアムはその隣で微笑んでいる。
しかしその後、
「それよりもね……君に見せたいものがあるんだ。恋人としての君ではなく、護衛官としての君にね」
一息つく間もなく、襲撃者が残したという奇妙な物を見せられた。
リアムがテーブルに置いたのは、黒く焦げたような、奇妙な魔法の結晶だった。
「これは襲撃者が持っていたものです」
リアムの冷静な声に、応接室の空気がさらに張り詰める。
キース卿がそれをじっと見つめ、眉間に皺を寄せた。
「……この瘴気。普通の魔法の痕跡じゃない。闇魔法の気配が強い」
「闇魔法、ですか?」
俺の問いにキース卿が頷く。
「そうだ。この国では闇魔法の研究は禁じられているが、地下でこそこそと実験を続けている連中がいる。その中でも特に危険な人物が……モルディスという魔導士だ」
──モルディス。その名には聞き覚えがあった。
「……彼の名を耳にしたことはあるかい?」
キース卿が問いかけ、俺は記憶を探る。確かに聞いたことがある名だ。非人道的な研究で追放された魔導士。
「あります。……魔法省を追放された魔導士だと」
「それだけじゃない。彼が追放される前に何をしていたか、詳しく知っているかな?」
キース卿の言葉に、俺は言葉を詰まらせた。
「彼は魔力を無限に増幅させる方法を研究していた。そのために、生きた人間を触媒として魔法陣に組み込んだんだ。彼が実験台にしたのは主に孤児や行き場のない人々だった。最終的には彼の研究施設ごと焼き払われたが、犠牲者の数は……」
リアムが声を低くして話を続ける。
「300人以上と言われています。そして、モルディス本人は逃げ延びた」
「……化け物だな」
その言葉が自然と口から漏れた。
「……その魔導士ががシリルを狙っていると?」
俺が訊ねると、キース卿は険しい顔で頷いた。
「可能性は高いだろうね。あの監視が厳しい王宮であの行動ができる者なんてそうそういない。それに……君はもう知っているね?」
キース卿が俺の肩を指さす。
シリルの聖属性のことだ。俺は言葉なく頷いた。
「聖属性を持つ者は魔法的な触媒としても極めて有用だ。彼にとってシリルは、理を超えるための『完璧な素材』だろう。そういう意味で言えばノエル君も狙われてしかるべきなのだが……」
「ノエルはあれでいて勘が鋭いですからね……それに魔力量で言えばシリルが上でしょう」
リアムが言葉を繋ぎテーブルを軽く叩く。
「と、なればモルディスがシリルに目を付けて再び動く可能性は高いですね。一つ提案があるのですが」
リアムが俺とキース卿を見る。
「この結晶から、彼が使っていた魔力の波動を追跡できるかもしれません」
「追跡だと?」
「はい。ただし、これは危険な賭けになります。彼のアジトを突き止められる代わりに、こちらの動きが察知される可能性も高いです」
今度はキース卿とリアムが視線を交わす。
シリルの身を守るために、ここで攻勢に出るべきか、それとも防御を固めるべきか。
「シリルの安全が第一だ。君たちの意見はどうだ?」
キース卿の問いに、俺は少し迷いながらも、真剣な声で答えた。
「守りに徹するだけでは、いつか突破されるでしょう。先手を取るべきです」
リアムも頷く。
「僕も同意見です。ただ、シリルを守りながら動くのは難しい。基本は兄様と僕で動きましょう。アレックス様、シリルを頼めますか?」
「もちろんだ」
俺が即答すると、キース卿も頷いた。
「では、リアムにアジトの探索を任せよう。その間、アレックス君はシリルを守り、邸の防衛を固めるんだ。僕は僕で少し考えがある。ところでリアム」
「はい?」
「たまに、兄様、に戻ってるよ」
そう突っ込みながらキース卿はリアムの腰に手をやる。
俺の前でいちゃつくのは……ちょっと控えて頂きたいものだ。
※
邸内の廊下は静まり返っている。窓越しに見える月明かりだけが頼りで、影が長く伸びていた。夜風が吹き抜け、外の木々がざわめくたびに、警護についている部下たちが微かに身を引き締める気配を感じる。
部下たちが配置につき、俺もいつでも動けるように剣の柄に手を添えていた。
──だが、気配はどこからも感じられない。
部屋の中からシリルの声が聞こえた。
「アレックス様、入ってきてもらえますか?」
扉を開けると、シリルがベッドに腰掛けて微笑んでいた。
その笑顔を見ると、わずかに緩みそうになる緊張を振り払う。
「……どうした?何かあったのか」
「いえ。ただ……アレックス様の顔が見たくなっただけです」
その言葉に思わず溜息が出た。
「……お前は、こんな状況でも無防備だな」
「だって、アレックス様がいるから大丈夫ですから」
無邪気に言う彼に、俺は呆れるよりもむしろ感心した。
こんな状況でも、シリルは俺を信じきっているのだ。
「アレックス様」
ふいに名前を呼ばれ、振り返る。
シリルが立ち上がり、真っ直ぐこちらを見ていた。
「僕、決めたんです。何があっても、アレックス様と一緒に戦います」
「お前が?」
「僕が守られるだけじゃ足りません。アレックス様に助けてもらった分、僕もアレックス様を守りたいんです」
その金色の瞳に映る覚悟を、俺はしっかりと見つめ返した。
「……勝手なことを言うな。お前を守るのが俺の役目だ」
「それでも、僕はアレックス様の助けになりたいんです。僕は役に立ちますよ」
シリルが手を伸ばし、そっと俺の肩に触れる。
その小さな手の温かさが、胸に響いた。
「……分かった。だが無理はするな」
「ありがとうございます、アレックス様」
静かな夜の中、俺はその瞳に見つめられながら、もう一度心に誓う。
この少年を、どんな危険からも守り抜くと。
俺がシリルの細い腰に手を回すと、シリルは背伸びをして、俺の顎に口付けた。
「……キス、してください。アレックス様」
夜の静寂を切り裂くように、シリルの小さな声が響いた。
「俺は仕事中なんだがな……」
罠のようなその甘い言葉に俺は小さく溜息を吐く。だが次の瞬間、シリルを力強く抱き寄せ、その唇を塞いだ。
外の風が窓を揺らし、どこか遠くで夜鳥の声が聞こえる。
──この夜の闇がどれだけ深くても、この少年だけは俺の手で守り抜く。
抱きしめたシリルの温もりを胸に感じながら、俺は決意を新たにした。