闇が深くなり、月明かりもぼんやりとした夜だったが、その中で一層邸内の静けさが際立つ。
俺はシリルを部屋に残し、近くで警護をしていた。
──異常なほど静かだ。
剣の柄に手を添えたまま、俺は護衛の配置を確認して回る。
誰もが緊張の色を隠せない様子だったが、それも当然だろう。
襲撃者が持っていた奇妙な魔力の結晶は、全員に不安を植え付けていた。
その時だった。
「アレックス様!邸の近くで強い魔力反応が観測されました!」
護衛の一人が駆け寄り、低い声で報告する。
心臓が一拍高鳴るのを感じながら、俺はすぐに行動を決めた。
「全員配置につけ!俺はシリル殿の部屋を確認する!」
俺は足早にシリルの部屋へ向かう。
扉を開けると、彼は既に目を覚ましており、俺の姿を見るなり眉を寄せた。
「……アレックス様、何かあったんですか?」
「部屋を出るな。ここは安全だから」
「そんな……僕も一緒に行きます!」
その言葉に、俺は思わず彼を睨んだ。
「駄目だ。お前が狙われているんだ。ここを離れるわけにはいかない」
「でも……」
シリルは抗議しようとするが、その時、遠くで轟音が響いた。
邸の外壁が大きな音を立てて崩れ、その隙間から異形の何かが侵入してくる。
見たこともない、恐ろしい姿だった。
──巨大な蜘蛛に似ているが、その足の代わりに伸びているのは触手のような器官。
触手の先端からは、紫色の光が漏れ出し、周囲の魔力を吸収しているように見える。
「アレックス様!」
シリルが声を上げるが、俺はすぐに彼を背後に押しやった。
この邸にはキース卿の結界が張ってあるはずだ。それを破って入ってくるとは……やはりそれなりの魔導士ということだろう。
「下がっていろ!」
魔物が触手を振りかざし、護衛の騎士たちに襲いかかる。
触手に絡め取られた騎士は、みるみるうちに力を失い、崩れ落ちていった。
なんだ、あれは……。
「魔力を吸い取られています……!恐らく使い魔じゃないかと」
シリルが状況を一瞬で把握し、俺は剣を抜く。
その巨大な使い魔は一瞬で外壁から邸まで近づき、あっという間に俺たちのいる方へと来た。
ガシャン、と硝子の割れる音が響き、使い魔の触手がこちらに向かって伸びてくる。
狙いは一点、シリルのみだ。
俺は剣を振り抜き、触手を次々に切り払った。
だが、その再生力は異常だ。一度切り落としても、すぐに新たな触手が生えてくる。
「アレックス様、後ろ!」
シリルの声に反応し、振り向きざまに剣を振る。
背後から迫っていた触手を斬り落とし、俺はさらに後退する。
「これでは埒が明かない……!」
その時、シリルが手を伸ばし、魔力を放出した。
「シリル!」
「僕だって戦えます!このままじゃみんなが危ない!」
シリルが放った聖属性の魔力が使い魔に命中する。
しかし、それは逆効果だった。
「……あ……」
触手がシリルの魔力に反応し、絡みついてきたのだ。
使い魔は紫色の光を強めながら、シリルの魔力を吸収し始めた。
「シリル!」
俺は咄嗟に彼の前に立ち、使い魔の触手を剣で断ち切る。
だが、使い魔は再び触手を伸ばし、シリルを狙い続ける。
俺は冷静にその動きを観察し、心臓部と思われる中心部分を見極めた。
──あそこを突けば……!
「シリル、動くな!」
俺は全力で跳躍し、使い魔の中心に向かって剣を振り下ろした。
剣が心臓部に突き刺さると、使い魔は耳障りな叫び声を上げ、崩れ落ちた。
使い魔が崩れた跡には、黒く焦げたような魔力の残滓が漂っており、その中から、不気味な刻印が浮かび上がる。
刻印には、モルディスの名を象徴する文字が刻まれていた。
「……これは……」
モルディスが残したその痕跡に、俺は冷たい怒りを覚えた。
御大層なプライドがあるらしい。
「……あえて送り込んできたのか」
それは恐らくシリルの力を測るためだ。
その意図に気づくと同時に、俺の手が剣の柄を強く握り締めた。
一つ息を吐き、気持ちを整えてから俺は剣を収め、シリルに駆け寄った。
「シリル、大丈夫か?」
「……はい、僕は平気です」
シリルが俺に寄りかかり、微笑む。
その小さな体を抱きしめながら、俺は押し寄せる感情に耐えた。
「……無事で良かった」
胸に込み上げる安堵と、守りきれなかったかもしれないという恐怖。それを振り払うように、シリルを強く抱きしめる。
「……アレックス様?」
「どこか、絶対に安全な場所へと閉じ込められたらいいのにな」
「そんなの、アレックス様の後ろが一番安全ですよ?」
無邪気に言うその言葉に、俺は微かに笑った。
「……セシリアも心配だ。まずは無事を確認しに行くぞ」
俺はそのままシリルを抱き上げ、セシリアの部屋へと急いだ。