邸内の護衛体制を再び確認し、シリルをセシリアの部屋へと送り届けた俺は、一時的に安全を確保できたことで肩の力を抜いた。
セシリアはシリルほどではないが、やはり魔力は相当あるほうで、且つ、可愛らしい見た目に似合わず随分と研究肌だ。
独自で結界を構築したりと、シリルとは別の意味で目立つ存在と言える。
だが、モルディスの狙いがはっきりとした今、易々と警戒を解くわけにはいかない。
セシリアの部屋では、シリルとセシリアが静かに言葉を交わしていた。
シリルは疲労の色を見せまいとするが、その顔色はわずかに青白かった。
魔力を吸い取られた影響が抜け切れていないのだろう。
「お兄様、本当に無理はしないでくださいね。私、心配で……」
セシリアの言葉に、シリルは微笑みながら彼女の手を取る。
「大丈夫だよ、セシリア。僕にはアレックス様がいるから」
その言葉に、俺はただ静かに頷いた。
「セシリア、シリルを頼む。俺は護衛の再配置と状況確認に行く」
「……わかりました。でも、どうか気をつけてくださいね、アレックス様」
セシリアが小さく頭を下げるのを見届け、俺は部屋を後にした。
※
廊下を歩きながら、俺は先ほどの使い魔との戦闘を振り返る。
あれは間違いなく、モルディスがシリルを試すために送り込んできたものだ。
だが、今回の襲撃で最も気にかかるのは、結界が破られたことだった。
キース卿が張った強力な結界を突破するほどの魔力を持つ者は、限られている。
──奴がこれほどの力を持つなら、次に送り込んでくるのは一体どれほどのものだろうか。
考えが巡る中、俺は執務室に足を運んだ。
そこには先に戻っていたリアムが待っていた。
「アレックス様、お疲れ様です。使い魔を退けたと聞きましたが、怪我はありませんか?」
「問題ない。だが、シリルが少し魔力を吸い取られた。無事ではあるが、次はさらに厄介なことになるだろう」
リアムは頷きつつ、テーブルの上に広げられた地図を指差した。
「こちらをご覧ください。モルディスのアジトと推測される地点の候補です」
地図にはいくつかの地点が赤く印をつけられている。
「随分と早いな」
俺がそう言うと、リアムは少し得意気に微笑む。
視線を地図に戻す。
どれも人里離れた場所だが、その中には比較的近い区域も含まれていた。
「こちらが最も可能性が高い場所です。この地域では最近、不可解な失踪事件が相次いでいます」
「失踪事件……奴の実験に巻き込まれた可能性があるということか」
「ええ。そして、この魔力痕跡が報告された地点も近いんです」
リアムの指示で護衛を増強しつつ、俺は地図に目を落とした。
どうやらリアムたちはすでに動き始めており、監視を強化しているらしい。
時間にしてもその動きは俺が先ほどリアムに言った通り早い。いや、早すぎるくらいだ。
王宮の部隊でもこうは動けない気がする……デリカート家の恐ろしさを垣間見た気さえした。
「……リアム、監視は頼む。俺はここに残り、シリルたちを守る」
「承知しました。僕もすぐに戻れるよう準備しておきます。ただ……アレックス様」
「何だ?」
「モルディスは相手を疲弊させ、じわじわと追い詰める手法を好むと聞きます。今夜の使い魔がそうであったように……。彼の次の手も、時間をかけてこちらを揺さぶるものかもしれません」
その言葉に、俺は重く頷いた。
敵がそのような手を使うなら、こちらも長期戦を覚悟しなければならない。
※
深夜、護衛たちを再配置した後、俺は再びセシリアの部屋を訪れた。
扉をノックすると、どうぞ、と声が返ってくる。
開けると、彼はソファに座り、窓から月を見上げていた。
「アレックス様、お疲れ様です」
「様子を見に来ただけだ。セシリアはもう休んだか?」
「はい。心配性な彼女を、どうにか説得しました。……でも、僕の方がまだ寝られそうにありません」
シリルはベッドの方を指さし、そう言って小さく笑う。
俺は彼の隣に腰を下ろし、その横顔を見つめた。
「アレックス様がそばにいると、逆に目が覚めてしまいますよ」
「それは困ったな」
俺はそう返しながら、彼の髪に触れる。指先に伝わる感触は柔らかく、どこか安堵を感じさせた。
「……いつも無理ばかりするから、心配なんだ」
「心配なら、僕のそばを離れないでくださいね」
シリルの言葉に、俺は軽く笑った。
「……モルディスの狙いがはっきりした以上、俺はさらにお前を守ることに専念しなければならない」
「……僕もアレックス様を助けたいです。無理だって言われても」
その真剣な瞳に、俺はふと微笑んでしまった。
「じゃあ、まずは休め。それが一番の助けだ」
「……はい、わかりました」
広めのベッドはシリルとその妹が一緒に寝ても十分に広いらしい。
静かな夜、月明かりが二人を照らす中で、俺はシリルが眠りにつくまでその傍に座っていた。
──闇の中で待ち構える脅威に備えながら。