「さて、アレックス君。本気度を確かめさせてもらおうか」
キース卿の剣が一閃し、俺の剣とぶつかり合った瞬間、手元が震える。
その一撃は音もなく、鋭く、洗練されている。受け止めた俺の腕に、じんわりと衝撃が走る。
「その程度かい?シリルを守るには少し心許ないね」
挑発するような言葉が飛んでくる。
俺は奥歯を噛み締めながら、冷静に剣を構え直す。
「アレックス様!」
シリルの声が背後から聞こえるが、振り向くことはできない。今は目の前の敵、いや試練に集中するしかない。
「愛情だけで守れると思うのなら、それは幻想だよ。真の強さが君にはわかるかな?」
キース卿の問いかけが、剣撃に合わせて襲いかかる。
俺は剣を交わしながら、その言葉に答える余裕を探した。
「守ることに、覚悟も力も必要だ。君はどちらも備わっているかい?」
──確かに。俺はまだ、ただの感情だけでシリルを守ろうとしていたのかもしれない。
そんな俺が本当に彼を守り切れるのか。
守るとはどういうことなのか?彼の命を託される重さとは。
──俺は覚悟できているのか?
「君が迷えば、その一瞬でシリルは死ぬ。それでもいいのかい?」
その言葉に、俺の中で何かが弾けた。
「いいえ、絶対にそんなことはさせない!」
力強い声と共に、俺は剣を振り抜く。
キース卿が一瞬だけ動きを止めた隙を突き、俺は渾身の力で剣を突き出した。
「──よし」
キース卿の声が響き、剣が止まる。
気がつけば、俺の剣先はキース卿の胸元に迫っていた。
「その意志を見せるなら、合格だ」
キース卿が剣を下ろし、場の空気がふっと緩む。
リアムが大きくため息をつく。
「兄様、本当にここまでしなくても良かったのでは?」
「そうかい?でも、アレックス君の成長を見るいい機会だったと思うけどね」
キース卿はそう言って微笑むと、リアムに目を向ける。
「それに、君も僕を止めようとはしなかっただろう?」
「兄様がこういうことをやめるとは思えませんから……」
リアムが肩をすくめながら俺に目を向ける。
「アレックス様、お疲れ様でした。でも、兄様はまだ足りないと言いそうですね」
「勘弁してください……」
俺が苦く呟くと、軽い笑い声が響く。その中で俺はそっとシリルに手を伸ばす。
シリルは微笑みを浮かべながら俺の手を握り返した。
「アレックス様、僕は大丈夫です。アレックス様がいれば、何があっても怖くありませんから」
その言葉に胸が熱くなる。俺は静かにシリルの手を握り返し、深く息を吐いた。
「さて、リアム。君も少し休んでおきたまえ。僕はこれからもう少し調べ物をしてくる」
「……兄様が休むべきでは?兄様を一人にすると危ないので、僕も行きますよ」
「そうかい?じゃあ、デートだね」
馬鹿ですか、とリアムが呆れ顔で言うのを見ながら、俺はシリルを見遣る。
シリルの笑顔を見て、俺はこの少年が愛おしいと深く感じた。
※
デリカート邸に戻ると、騒ぎの痕跡はほとんど消え、静寂が戻っていた。
復旧作業が進む中、護衛たちは警戒を怠らず、執事たちが忙しなく動き回っている。
俺たちは広間で待っていたセシリアに迎えられた。
彼女はシリルに駆け寄ると、その手をぎゅっと握りしめる。
「お兄様!無事でよかったです!」
「セシリア、心配をかけてごめん。でも、僕たちが戻って来られたのは、アレックス様のおかげだよ」
シリルが微笑みながら俺を見る。
セシリアもこちらに顔を向け、ふっと笑った。
「アレックス様、さすがですね!……でも、無事だったのは私が祈っていたおかげかも、なんて!」
おどけるように言いながら、セシリアはにっこりと微笑む。
俺は少し肩をすくめながら答えた。
「……期待に応えられたなら何よりだ」
照れを隠すように言うと、セシリアはくすくすと笑う。
「これからも、もっともっとお兄様を守ってくださいね!」
その言葉に、シリルが少し頬を赤らめて目を逸らす。
「セシリア、変なこと言わなくていいから……!」
二人のやり取りを見て、思わず俺も微笑んでしまう。
シリルとセシリアの兄妹らしいやり取りに、緊張が少しだけほぐれた。
「あ、アレックス様、お兄様。先にお帰りになったお父様とお母様が執務室でお待ちですよ」
「……え?」
俺はシリルとセシリアの顔を交互に見た。
キース卿とリアムは調べものがあると奥に行ったはずだが……。
困惑している俺を見て、シリルが苦笑いを漏らす。
「……転移魔法だと思いますよ……」
その一言に、俺の目が僅かに見開かれる。
転移魔法は高度な魔法で、並の魔導士には使えるものではない。
だが、セシリアがにっこりと微笑んで言った言葉が、全ての答えだった。
「お父様ですからね!」
──やっぱり、そういうことか。
俺はため息をつきながら、シリルに目を向ける。
彼は少しだけ肩をすくめると、「行きましょうか」と促した。
※
執務室では既に着替えまで済ませたキース卿とリアムが待っていた。
「やあ、アレックス君お疲れ様」
執務室の椅子に座りながら、悠然と微笑むその姿にやや気が抜ける。
俺の様子に気付いたリアムが、すみません、と苦く笑いながら呟いた。
「お疲れさまでした。……キース卿、お聞きしたいことがあるのですが」
「何かな?」
キース卿が柔らかい微笑みを浮かべる。
「モルディスをどうしたんですか?」
キース卿は目を細め、少しだけ考え込むような仕草を見せた。
「兄様」
隣に立つリアムが、キース卿の肩を叩くと、キース卿は小さく息を吐く。
「……そうだね。君たちは試練を乗り越えたんだ。聞く権利はあるかな」
その言葉に、俺は一つ息を吐いて背を伸ばした。
「モルディス……奴は確かに恐るべき魔導士だったよ」
キース卿が低い声で語り始める。
「奴が集めていた魔力の痕跡を辿り、僕が先にアジトに踏み込んだんだ。そこには、おびただしい数の魔法装置と、失踪した人々が無造作に転がっていてね……」
キース卿はそこで表情を曇らせた。
「その人達は……」
シリルが息を呑みながら訪ねると、キース卿が息を吐いて首を振る。
「彼らに息はなかったよ。僕は少し、そうほんの少し腹が立ってね……全ての装置を破壊し、モルディスと直接対決することを選んだんだ」
──直接対決。その一言に、場の空気がピリッと引き締まる。
「奴の闇魔法は確かに強力だったが、僕にとっては脅威というほどでもなかったよ」
キース卿はあっさりと言い放つ。
「だが、奴は最後にこう言ったんだ。『私はここで終わるが、私の研究はまだ続く』とね」
「研究……?」
「そうだ。モルディスが狙っていたのは、シリルのような聖属性を持つ者の力を利用し、理を超える存在を作り出すことだったらしい」
その言葉に、シリルが小さく息を呑む。
俺も知らず握る手に力を込めた。
「だが、安心していい。彼の研究はすべて消し去った。奴自身もこの世にはいない。馬鹿なやつだね……所詮人間如きに人の理を超えるのは難しいと言うのに」
キース卿が話を終えると、執務室には穏やかな空気が漂っていた。
シリルがふっと息を吐き、椅子に座り直す。
「……とにかく、これで一段落ですね」
俺がそう呟くと、リアムが肩をすくめて微笑む。
「お疲れ様でした、アレックス様。兄様にここまで付き合えるのは、本当に大したものです」
リアムの言葉に、シリルが俺に向かってにっこりと微笑んだ。
「アレックス様、本当にありがとうございました。おかげで、僕も安心していられます」
その瞳に感謝の色が宿っているのを見て、俺は少し照れくさくなりながらも小さく頷いた。
「お前が無事なら、それでいい」
そのやり取りを見たキース卿が、ふっと笑い声を漏らす。
「アレックス君、君がここまで覚悟を見せてくれたことに、僕も満足しているよ」
キース卿は椅子から立ち上がり、リアムの肩に手を置いた。
「さて、リアム。そろそろ僕たちも休むとしようか」
「……本当に休むんですよね」
リアムがやや呆れたような口調で言うが、キース卿は軽く手を振る。
「さてねぇ……君次第じゃないかな」
そのやり取りに、俺とシリルは思わず顔を見合わせて小さく笑った。
本当に、この夫妻には敵わない。
キース卿とリアムが執務室を出ようとしたその時、リアムがふと足を止め、ぼそっと呟いた。
「……でも、一番怖いのは兄様ですからね」
その声は本当に小さかったが、俺の耳にははっきりと届いた。
「リアム、今何か言ったかい?」
キース卿が振り返りながら問うが、リアムはにっこりと笑って首を振る。
「いえ、何でもありませんよ」
「そう?ところで……兄様呼びはもうなおらないのかな」
それを見たキース卿は微笑みながら、扉を開けて執務室を出ていった。
だが、リアムの呟きが耳に残り、不思議な緊張感を覚える。
──何かを知っているのか?リアムだけが。
そんな疑念を抱きながらも、今は追及しないことにした。
俺はシリルを振り返り、その顔を見て微笑む。
「さあ、お前も少し休め」
「はい。アレックス様も休んでくださいね」
俺たちは静かにその場を後にした。
今はこの穏やかな時間を噛みしめていたい。