寝殿に抱かれたまま連れてこられた俺は、扉が閉まる音に肩を震わせた。
橡様の視線は鋭く、まるで逃げ道を塞ぐように俺を見つめている。
「……どうして僕の元から逃げようとするの?」
その言葉に、思わず胸が締め付けられる。
声は静かだったが、明らかな焦りと苛立ちが混ざっているのがわかった。
「逃げるなんてしてません。ただ……」
「ただ?」
橡様が寝台の上に俺を置く、その上で詰め寄るように一歩近づく。
その動きに反射的に後ずさると、橡様が俺の腕を掴んだ。
「長くん、君は僕の大事な神嫁なんだよ。それなのに、どうして僕を拒むの?」
「拒むなんて……ただ、俺は……!」
振り払いたいと思ったが、その力の強さに抵抗が効かない。
「ただ、何?」
橡様の声が低く響く。
「俺は……あなたの役に立ちたい!そうじゃないと 橡様の隣に立つ資格なんて……」
消え入りそうな声でそう告げると、橡様の瞳が一瞬鋭さを増した。
「資格なんて、誰が決める?」
橡様の言葉に、視線を逸らす。
「君を選んだのは僕だよ。君がいなきゃ、僕は――」
「そんなの俺には分らないですよ!」
俺は思わず声を張り上げていた。
「俺はあなたのことを覚えていなかったし、いきなりここに連れてこられて……それで橡様は俺を守りたいって言いますけど……大したこともできなくて。そんなのただの役立たずだ」
その言葉に、橡様の目が少し揺れる。
「俺だって、俺なりにできることをしたいんです! それを全部『人間だから』って理由で否定されるのは、……嫌なんです!」
橡様の手を振り払おうとするが、逆にさらに強く掴まれる。
「僕は君が傷つくことを許せるわけがないんだよ」
橡様の声は低く、静かに怒りを孕んでいた。
「……俺が傷ついたら橡様が困るんですか? それとも――」
言葉を詰まらせた俺の前で、橡様が眉を寄せる。
「君がいなくなることが、僕には一番耐えられない」
その言葉に、胸がぎゅっと締め付けられた。
橡様の手は、俺の肩から首元へと滑る。
その動きに思わず体が強張った。
「橡様……これ以上は……」
俺が言いかけると、橡様がわずかに眉を寄せた。
「君が僕を拒むなら、それをどうにかするのが僕の役目だろう?」
その言葉には、いつもの穏やかさはなく、橡様の焦りと執着が色濃く滲んでいた。
「……俺、今日は嫌です……」
「嫌、ね。……逃げないのでしょう?」
橡様の声は低く、けれど切実だった。
「君が僕のそばにいない未来なんて、僕には考えられない」
その言葉と共に、橡様が俺の体をそっと押されて寝具の上に呆気なく倒された。
俺は抵抗しようとしたが、橡様の手に力を込められ、まるで動けない。
「橡様、こんなの……!」
「君が逃げるつもりがないなら、それを教えてほしいんだ」
橡様の手が俺の手首を掴む。
その力強さと、どこか震えるような手の感触が混ざり合い、俺は戸惑った。
「橡様、本当に……!」
「……必要なことだよ。君が僕から逃げる可能性を、少しでもなくすために」
橡様の声は震えていた。
「君を守るためでもある……。君自身からも、君を奪おうとする他のものからも」
その言葉に、俺は言い返せなかった。
橡様の言葉の意味を理解しようとするほど、頭が混乱していく。
守られるだけで、本当にそれでいいのか?
橡様がこれほど必死になる理由を、俺は本当にわかっているのか?
その答えを見つける前に、橡様が俺の肩にそっと触れた。
その手の熱さに、心がまた揺れる。
けれど、俺の中の反発は完全に消え去ることはなかった。
※
いつもより乱暴な手つきで身体を弄られる。
「……っ、や、だ……ぁ」
俺は逃げ出したかった、初めて。
この行為が、こんな惨めさや恐怖を伴うものとは知らなかった。
橡様は俺が嫌がろうとも、手を止めることはない。
冷たい目で見下ろしながら、行為を続ける。
いつもは気遣うように優しく、その手に熱を与えられて果てる。
恥ずかしさはあっても、身を任せることに反することはなかった。
幸せな気持ちになることも最近ではあったのだ。
──けれど、今夜は違う。
身体だけは日々で慣らされたことに反応するが、心がついていかなかった。
「そんなに、嫌がるくせに……感じるんだね」
ぐ、と俺の奥に身を埋めながら、俺の上で橡様が歪んだ笑みを浮かべつつ言った。
そうしたのは他でもないあんたのくせに、と思っても言葉にはならなかった。
「……っ、う」
かわりに涙が溢れる。早く終わればいい、こんなこと。
終わったら……もう、逃げ出してしまおうか。
まだ人として暮らせるのだろうか、俺は。
そんなふうに思っていると、唇を塞がれそうになり、俺は思い切り顔を背けた。
すると次の瞬間、首筋に鋭い痛みが走る。
「ひっ……!」
引き攣った声が俺から漏れた。微かな血の匂いがした。
恐らく強い力で噛まれたのだと思う。
傷よりどうにも痛むのは心で、どうしようもなかった。