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12−2

俺が意識を取り戻したとき、胸に温かい手のひらを感じた。

橡様が俺の上に覆いかぶさるようにして、必死で何かをしているのが分かった。

上には見慣れた寝台の帳が見える。


「……橡、様……?」


掠れた声で呼ぶと、橡様が驚いたように顔を上げた。

その瞳には、安堵と悲しみ、そして微かな怒りが入り混じっていた。


「長くん……!」


その声にも普段の穏やかさとは違う、どこか震える響きがあった。


「俺……どうして……」


起き上がろうとすると、頭がずきりと痛む。

そして、視界が普通に戻っていることに気づいた。

――左目。あの獣の傷は深かったはずだ。味わったことのないような痛みを覚えている。

けれど、手を伸ばして触った個所には、何もなかった。

何かを撒かれているわけでもなく、傷もない。


「俺……治って……?」

「……僕が治したよ」


橡様の言葉は短いものだったが、その声には重みがあった。

俺はその意味を深く考えることもできないまま、橡様を見つめる。


「無茶をしたんだろう?」


橡様の目が俺をまっすぐに見据えた。

その視線の奥にあるのは怒りだけじゃない――悲しみ、そして恐れだ。

思わず目を逸らした。


「……神使の子たちを守りたかったんです」

「それで君がこんな目に遭ってどうするんだ!」


橡様の声が震えた。怒りのようでいて、悲しみが滲んでいる声だった。


「俺が無事だからいいじゃないですか……!」


そう言い返した俺の言葉に、橡様の表情がわずかに歪む。

長い沈黙の後、彼は深く息をついて呟いた。


「君が無事だからって……僕がどれだけ怖かったか、分かる?」


その言葉が胸に刺さる。

橡様の手がそっと俺の頬に触れる。その手はひどく冷たかった。


「君が傷つくのを見るくらいなら、僕が全部背負う方がいい。なのに……君がこうして傷ついたのは、僕のせいだ」


橡様の声がかすれた。


「君を守りたいのに……君を失うかもしれない恐怖に耐えられない」


その声を聞いたとき、初めて橡様の気持ちを真正面から受け止めた気がした。

その感情の重さに、胸が締め付けられるような思いだった。


「……ごめんなさい」


俺は絞り出すように謝罪の言葉を口にした。


「もう二度とこんな無茶はしない……約束します」


橡様はしばらく俺を見つめた後、優しく微笑んだ。

その微笑みはどこか儚く、けれど心からの安堵が滲んでいる。


「約束だよ、長くん」


そう言いながら、橡様はそっと俺を抱きしめた。

その抱擁は温かく、俺の心を深く癒していく。

けれど、同時にその胸の内にある焦燥も感じ取れた。


「……橡様?」

「何でもないよ。ただ、君をこうして抱きしめられることが……とても嬉しいだけ」


少し掠れた声でそう言う橡様に、俺は何も返せなかった。

その後、橡様は俺を寝台にそっと横たえた。

ゆっくりと橡様が俺の髪を撫でる。


「……眠って、長くん。今は休んで……」


声や手の温かみがまた俺を微睡に誘う。

呟きを聞きながら、俺の意識は再び深い眠りに落ちていった――。



橡様が獣に襲われた俺を救い、治療を施してくれたあの日から、しばらくの時間が過ぎた。

橡様は俺の回復を優先し、日常の厳しい制約を少し緩めてくれた。

寝殿の縁側で、庭の景色を眺めることを許されるようになり、久々の解放感に胸が軽くなる。


「……気持ちいい……」


縁側に座り、庭を眺めながら独り呟く。

あの日以来、橡様は俺のことを以前よりも気にかけてくれているように感じる。

神使たちが庭先から花を摘んできて、それを俺の枕元に飾ってくれるのも、橡様の指示らしい。

ぼんやりと空を見上げていると、神使の子が小さな菓子を手に持って駆け寄ってきた。


「長様!長様!橡様がこれを渡してほしいって」

「……また?」


最近、橡様は俺の食事にこっそり甘いものを添えてくるようになった。

「疲れてるときには甘いものがいいから」と言われたが、俺はそこまで疲れているつもりはなかった。

けれど――実際、最近の俺はどうにも体調がすぐれない。

頭がぼんやりして、身体が重い。眠気が一日中続くようになったのも、あの日以降だ。


「……眠いな」


縁側の柱に寄りかかると、意識が遠のいていく……。



「長くん、長くん……大丈夫……?」


声に呼ばれて目を開けると、目の前には橡様がいた。

神使たちが心配そうに見守る中、橡様が俺の額に手を当てている。


「最近、よく眠ってしまうね……」


橡様の言葉は穏やかだったが、その視線には隠せない不安が滲んでいるように見えた。


「橡様、俺……最近、どうも変なんです」

「変、って?」

「眠くて仕方ないんです。前はこんなことなかったのに……」

「うん……」

「痛いとか気分が悪いとかはないんですけど……」


俺が正直に打ち明けると、橡様は一瞬だけ眉を寄せた。

その後すぐに微笑むが、その笑顔はどこか硬い。


「君が頑張りすぎていたから、その反動だよ。焦らず、ゆっくり休めばいい」


その言葉に、俺は頷くしかなかった。

橡様の表情がいつもよりも険しい気がしたのが、どうしても心に引っかかる。


数日後――庭先で小さな花を摘んでいたとき、頭がふらりと揺れた。

立ち上がろうとするが、視界がぼやけている。


「……あれ?」


足元がふらつき、体の力が抜けていく。

目の前がぐらりと歪む中、神使の子たちの声が遠くから聞こえた。


「長様!大丈夫ですか!」


俺の意識は、そのまま深い闇に沈んでいった――。

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