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13-1

次に目を覚ましたとき、視界に映ったのは心配そうな橡様の顔だった。

優しく触れる手が額に当たり、熱を測るように撫でている。


「長くん……気がついた?」


その声には、いつになく深い安堵が滲んでいた。


「……橡様?」


俺がやや掠れた声で呼ぶと、橡様はふっと息をつき、額に手を当てたまま笑った。


「良かった……。でも、どうしてこんなに……。最近の君はよく眠るし、倒れるなんて……それも前よりも多くなった」

「俺は大丈夫ですよ……ただ眠いだけで」


そう言いかけた俺の視線が、橡様の後ろに立つ人物に気づいて止まった。

そこには見慣れない人が──いや、神様が立っていた。

黒髪に落ち着いた面立ち。薄い灰色の着物をまとい、どこか穏やかで物静かな雰囲気をまとっている。

だがその瞳の奥に宿る冷静な輝きが、ただの来客ではないことを示していた。


「……橡様、この方は?」


俺が尋ねると、その神様が柔らかく笑みを浮かべて一礼した。


みぎわだ。橡とは古い縁でね、呼ばれてきたのさ」

「汀は医術に長けていてね。君の体調が気になるから診てもらおうと思って連れてきたんだよ」


橡様がそう説明すると、汀様は肩をすくめた。


「ずいぶん強引に呼びつけたくせに、妙に丁寧な説明をするねぇ。橡」

「まあ、そうだね。でもね、僕のお嫁さんの一大事だよ?」


橡様が微笑みながら答えると、汀様はため息をついて苦笑した。


「まったく変わらないな……まあいい。とにかく、長くんとやら、診察させてもらうよ」


汀様が俺の名前を呼ぶと、橡様が横から口を挟む。


「診察といっても、ちゃんと優しくやってくれよ。彼はまだ人間で繊細なんだから」

「わかってるさ。お前にそこまで心配される筋合いはないよ」


汀様が軽く手を振りながら、橡様を見やる。


「それより橡、お前がここにいると邪魔だ。診察は私がやる。お前は外で待っているといい」


その言葉に、橡様は微かに眉を寄せたが、ゆっくりと息を吐いた。


「……わかったよ。でも、何かあったらすぐに呼ぶこと」

「はいはい、わかったよ」


橡様が部屋を出ると、汀様はふうっと息を吐き、俺の方に向き直った。


「さて、橡がいると妙に空気が張り詰めるからね。楽にしてくれていいよ」


汀様は寝台の端、俺の近くに座り脈を取るために手首を優しく持ち上げた。

その手つきは丁寧で、どこか神聖さすら感じさせるものだった。


「最近、妙によく寝てしまうという話は聞いているよ。他に体がだるいと感じることは?」

「……あります。寝ても寝ても疲れが取れない感じで……」


ふむ、と頷きながら俺の手首に触れる。指先は冷たく、だが脈を捉える動きは静かで正確だった。


「食欲はどうかな?何か食べたいものや、逆に受け付けないものが増えたりしていない?」

「えっと……甘いものが妙に欲しくなったりすることはありますけど……特に嫌なものはないです」


俺が答えると、汀様は微笑んで頷く。


「なるほど。では、少し触診をさせてもらうよ。緊張しなくて大丈夫だから」


そう言って汀様が俺の着物の胸元を軽く開き、そっと胸のあたりに手を当てた。

その手つきには不思議と安心感があり、俺も身を固くすることなく任せられた。


「少し息を吸ってみて」


言われるままに深呼吸をすると、汀は耳を澄ませて何かを確かめているようだった。


「呼吸音は正常だね。それじゃ次に腹部を見せてもらうよ」


汀の言葉に少し躊躇いを覚えたが、橡様が選んだ相手なのだと思うと抵抗する気も失せた。

腹部を晒すと、汀はそっと手を当てて指先で軽く押しながら何かを確かめる。


「……ふむ」

「な、何かおかしいんですか?」


思わず声を上げると、汀は少し苦笑した。


「いや、何もおかしくはない。ただ、少し確認しておきたいことがあるだけだよ。これから気を流して反応を見るから、力を抜いて楽にしてね」


汀様が手のひらを俺の腹部にかざすと、そこからじんわりとした温かさが広がった。

何だろう、この感覚……。どこか心地よく、安らぎを感じる。


そのまま数秒が過ぎた後、汀様は手を離して俺をじっと見つめた。

その瞳には少しばかりの驚きと、静かな確信が宿っていた。


「これは珍しい……」

「え、と……?」

「長くん……信じられないかもしれないけど、君は身ごもっているよ」


その言葉は、まるで鐘の音が頭上で鳴り響いたかのような衝撃だった。


「……身ごもっている?」


聞き返す俺の声は掠れ、自分のものとは思えなかった。


「間違いない。君のお腹には新しい命が宿っている。橡の子だよ」


汀は落ち着いた声で言葉を続ける。


「人間の男性としては考えられないことだけど、君は橡の神嫁だ。その力が働いてこういう奇跡が起きることもあり得る。まあ、実際……そういう話は聞くしね。しかし珍しい。私は初めて診るよ」

「……俺が……」


俺は混乱で言葉を失い、ただ自分の腹部にそっと手を当てた。

自分の体の中でそんなことが起きているなんて――到底信じられなかった。

女なら兎も角、自分は男だ。この身のどこに宿って……いや、腹なのだろうけれど。……腹なんだよな?


「不安になるのも無理はない。でも、これは君にとっても、橡にとっても大切なことだ。落ち着いて、まずは橡に話すことだね」


汀様は優しく微笑みながら、俺の肩にそっと手を置いた。


「……でも、俺……人間だし……男だし……」


かすれるような声で呟くと、汀はその言葉を遮るように言った。


「君がどう思おうと、この命はもう君の中に宿っている。それは紛れもない事実だよ。興味深いねぇ……経過を是非診せて欲しい」


その言葉の重みが、じわりと胸に響いてきた。

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