汀様が何かを言いかけたその瞬間、寝殿の扉が勢いよく開いた。
振り返ると、そこには橡様が立っていた。
その目は鋭く、まるでその場の空気を一瞬で凍らせるようだった。
「……何をしてるんだ!」
橡様は早足で近づくと、俺と汀様の間に割り込むように立った。
そして乱れた俺の着物に目を留め、驚愕した顔で俺を見つめる。
「長くん、大丈夫か?」
「え?あ、はい」
その声には、怒りとも心配とも取れる混乱が混ざっていた。
橡様は俺を汀様の前から隠すように抱き寄せ、その腕にぎゅっと力を込めた。
「橡、お前……何を考えてるんだ?」
汀様が呆れたようにため息をつき、軽く肩をすくめる。
「何って……お前が長くんに何をしているのか、確かめなきゃならないだろう!」
橡様は俺の背を守るように自分の身体で覆い隠しながら答えた。
「何をしているって、診察だよ。それ以外に何があるっていうんだ?」
「橡……新妻が可愛いのはわかるが、色ボケも大概にしろ。まったく……」
汀様は橡様をじとっと見据え、そして息を吐くとふっと微笑んだ。
「さて、私はここでは邪魔みたいだね。あちらで茶でももらおうかな。落ち着いたら呼んでくれ」
そう言うと汀様は立ち上がり、のんびりとした足取りで寝殿を出て行った。
去り際に振り返り、俺に向かって「橡とちゃんと話すんだよ」と軽く片目を瞑ってみせた。
静かになった寝殿の中、橡様は俺の顔を覗き込む。
「汀から何もされていない……?」
「ただの診察でしたよ。ちゃんと診てくれたのに失礼です」
俺がそういうと、橡様は気まずそうに俺から一度視線を逸らす。
「う……そうだ、ね。……後で謝っておくよ。それで、その……診察はどうだったんだい?」
俺へと視線を戻した橡様の瞳には不安と緊張が混ざり合っている。
俺は迷った。どう言えばいいのか……どう伝えればいいのか。
男で懐妊だなんて普通はありえない。
ああ、でもそうだ。一番最初に橡様と閨を共にする時、俺を女にするのは割と簡単とか言っていた気がする……。そんな感じなら大丈夫なのだろうか。
「えっと……その……」
言葉を探しているうちに、橡様がそっと俺の肩を撫でた。
「ゆっくりでいい。何があったんだい?」
その優しい声に背中を押されるように、俺は意を決して話し始めた。
「橡様、俺……汀様に診てもらって、それで……その……」
言葉がうまく出てこない。
橡様の目が細まり、さらに真剣な顔つきになる。
「診てもらった結果、何か……良くないことが?」
橡様が恐る恐る尋ねる。俺は慌てて首を振った。
「い、いえ!悪いことじゃなくて……その……」
橡様はじっと俺を見つめている。その目に宿る不安と期待に、俺の心臓が跳ね躍る。
どう言えばいい……いや、そもそもこんなこと……。
橡様を信じている。けれど、こんなあり得ないことを受け入れてくれるだろうか。
「長くん……?」
橡様の声が優しく響く。それが余計に俺を焦らせる。
俺は息を吸い込み、ためらいながら言葉を口にした。
「その……橡様、驚かないでくださいね……?」
「……うん。驚かないようにするよ」
橡様の顔は真剣そのものだ。
言葉を濁すのは余計に混乱させるんだとわかっている。だから、はっきりと言うべきだ。
「俺……橡様の子供を……身ごもっているらしいんです!」
その瞬間、橡様の表情が硬直した。
まるで信じられないものを見たかのように、俺をじっと見つめている。
「……君が……僕の子供を……?」
橡様の声は掠れ、小さな音だった。
どうしよう。嫌なのだろうか。
いやいやいや、負の考えは良くない。
橡様は俺を大事だと常々言ってくれている。
そもそもだ。ああいうことだって……結構な回数と頻度で行われているわけで。
そりゃ、あれは俺の身体を馴染ませるものだとしても!
……橡様を信じたい。
「はい……でも、俺は……人間だし、男だし……どうしてこんなことに……」
とは考えていても、俺の言葉にも戸惑いは隠せない。
俺がそう言うと、橡様の手が俺の頬に触れた。
その手は震えていて、彼自身もどうしていいのかわからないようだった。
「……長くん、本当なの?」
俺は小さく頷いた。
「汀様が、間違いないって……」
橡様は息を呑み、再び俺を強く抱きしめた。
「……信じられない。こんなことが……ああ、でも……嬉しい……!」
橡様の声が震え、抱きしめる力がさらに強くなる。
「長くん、君が僕にこんな奇跡を……!」
俺はその言葉に胸が熱くなった。
「お、俺……ちゃんとできるかわからないですけど……」
橡様は俺をそっと離し、真剣な目で俺を見つめた。
「君の方が大変だよね……一緒に頑張ろう」
その言葉に、俺はようやく少しだけ気持ちが軽くなった気がした。