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橡様との話を終え、俺は少し落ち着きを取り戻していた。

驚きと戸惑いは完全には消えない。けれど、橡様が隣にいてくれるという安心感が、胸の内に少しずつ広がっていくのを感じる。

汀様は最後に俺と橡様に顔を見せると、また来るよ、と帰られた。


それからの生活は、大きく変わった。

橡様は以前にも増して俺の体調を気遣い、まるで俺が壊れやすい器になったかのように接してくる。


「長くん、もう少し寝ていた方がいいんじゃないか?」

「そんなに動かなくてもいい。神使たちが手伝うから、君は休んでいて」


そう言われるたびに、俺は少し困ったように笑うしかなかった。


「橡様、俺は大丈夫です。本当にそこまで心配しなくても……」

「ダメだよ。君は僕にとって――僕たちにとって大切なんだから」


橡様の真剣な顔を見ると、それ以上は何も言えなくなる。

ああ、橡様は本当にこの子を――俺たちの子供を楽しみにしているんだな。

まだ薄いままの腹を撫でる。

その想いは、俺の心にもじんわりと広がり始めていた。

体の変化も徐々に現れ始めた。

朝、少し気分が悪くなることが増え、食べ物の好みも変わった。


「橡様、この味噌汁、いつもより塩辛く感じるような……?」

「えっ?そんなことないけど……いや、もしかして、君の体が変わり始めてるのかもしれないね」


橡様はそんな小さな変化にも敏感に反応し、すぐに神使たちに新しい食事を準備させる。

止めたけど無駄だった。申し訳ない……。


「僕がもっと早く気づいてあげられていればよかった」

「いやそれはさすがに……俺でも分かりませんし」


俺が冗談めかして言うと、橡様は困ったように笑った。

でもその目には、俺を心配する気持ちがありありと見て取れる。

夜になると、橡様は俺を寝殿の寝台へ運び、布団を丁寧に掛けてくれる。


「……そこまでしてくれなくても、自分でできますよ」

「いいんだよ。君が無理をしないためなら、何だってしたいんだ」


橡様の言葉はいつも真剣だ。その優しさに、俺は何度も救われている気がする。

橡様は自身も布団へと入ると、俺をそっと抱きしめる。


「君に似るといいなぁ」

「……赤子ですか?」

「うん。長くんは?」


橡様が俺の顔を覗き込みながら首を傾げた。その様子は楽し気でこちらも心がほっこりとする。


「俺は別に……どちらでも元気ならいいですよ」


それは実際にそう思っている。ただ神様と──しかも相手は龍神で、俺は人なのでどういう子が産まれるか見当もつかない。そもそも人の形なのか、それとも小さな龍みたいな形なのか……謎だらけだ。半々なんてこともあるのだろうか?上下ならまだしも、左右半々は苦労しそうだなぁ、などと思いをはせてみたりもする。

ただそれはそれで、悩むというよりは楽しみになって来ている俺がいるわけで。

ただ、気になることもあるにはある。それは俺自身のことだ。


「あの、お聞きしたいな……と思っていたことがあるのですが」

「うん?なんだい?」

「えーと、その……身ごもるまでは、その、してた……じゃないですか」

「うん?」


橡様がまた首を傾げる。

いかん。伝わらない……どう言うべきか。

俺が聞きたいことは……そう、ずばり閨のことである……!

俺がここへ来た時から、閉じ込められている時も、それからも、療養していたり今のように身ごもる前までは、実に頻度高く俺は橡様に触れられていたわけで。

いや、そういうことをしたいという話じゃなく!だ。……したくないわけではないけれども!

あれは俺の身体を神域に慣らすという目的だと言っていた。

それが今はないので、少し不思議に思っているのだ。


「その、あのですね……こう、夜にですね……」


今も夜だけどな!……無駄に自己突っ込みをいれてしまう。

戸惑ってしまうと、いっそう気恥ずかしさが倍増する。

俺がまごまごとしていると橡様が、ああ!と声を上げた。そして俺を見る。


「うーん……今は大事な時期だからねぇ……」


橡様は考えるように呟いた。俺の背中を大きな手が撫でる。

あ、これ!俺がしたがってるみたいな感じになっているような⁈


「あっ、いえ、違……っ!その、ほら!あれは身体をここに馴染ますためだって仰ってたのでっ!もう大丈夫なのかなって!」


おもっくそ俺は早口でまくし立ててしまった。

すると橡様が少し間を置いてから、そうだった……、と呟く。


「そういえばそんなことを言ったね、僕」


その声もどちらかと言えば自身に言うようなもので……。

え、何、どういうことだ?

今度は俺が橡様をじっと見る。


「いやぁ……勿論、嘘ではないんだよ?君たち人の子をこちらに慣れさせるためには一番早い手段なんだよ。ただ、まあ……」

「ただ、まあ」

「……2、3度で大丈夫かもしれないね……」

「2、3度」


橡様の言葉を繰り返す俺に向ける視線が、バツの悪そうなものに変わる。

え、まてよ。2、3度?え……?


「……そんな回数でしたっけ?」

「はは。いやぁ……長くんが可愛くて、つい?」

「つい」


つい、で俺は毎夜のように⁈

え、喧嘩した夜も閉じ込められている夜も、儀式、って言ってされたけど⁈

俺、あんあん言ってましたけど⁈


「ちょ、それ……!」

俺は橡様の胸を叩く。手加減しているとはいえ、抗議せずにはいられなかった。


「可愛いからって、つい……って!あんまりですよ!」


思わず声を荒げてしまう。橡様は、叩かれるままに困ったような笑みを浮かべている。


「…本当にごめんね、長くん」


次の瞬間、橡様は小さく息を吐き、眉をひそめた。

ごめんね、と再度囁くように俺に言う。

いっそのこと悪ふざけしてくれた方が俺は怒れるのだが、真摯な態度に、逆に言葉を詰まらせてしまう。


「いや、謝るの早すぎませんか?……っていうか、俺……ずっと信じてたんですけど?」

「僕も嘘をつくつもりはなかったんだよ。本当のことを言えば、最初は目的のためだった。けど……だんだん君と一緒にいることが嬉しくてね」


橡様は、申し訳なさそうに俺の手をそっと握る。

言葉を選ぶように、橡様が握った俺の手を口元に手を当てた。困ったように眉を寄せ、もう一度息を吸い直す。


「君が隣にいるだけで……僕はずっと心が満たされてたんだ。それで、つい……儀式だとか理由をつけて、君を……ね」


その言葉に、俺の胸が少しだけ揺れる。

橡様の本心が伝わってくるようで、怒るべきなのか迷う。


「それでも……俺、ずっと真面目に付き合ってきたのに」

「本当にごめんね、長くん。でも君が嫌がらないから、僕も……調子に乗っちゃったんだ」


橡様の手がぎゅっと強くなる。


「嫌がってたら、どうしてもできなかった。僕にとって君の意思が何より大事だから」


その言葉に、俺は少しずつ怒りが薄れていくのを感じた。

怒っているのは確かだけど、橡様の言葉が嘘じゃないこともわかる。


「……でも、もうちょっと早く言ってほしかったです」

「本当にその通りだよ……。今さら言うのも卑怯かもしれないけど、君が可愛くて仕方なかったんだ」


橡様が困ったように笑いながら、俺の手を胸に当てる。

その心臓の鼓動が、驚くほど早く感じられた。


「ねえ、長くん。……許してくれないかな」


橡様がじっと俺の目を見つめる。

その瞳に浮かぶ後悔と愛しさに、俺は深いため息をついた。


「……分かりました。もう怒りません。でも、ちゃんと話してくださいよ、次からは!」

「もちろんだよ。もう君に隠し事なんてしない」


橡様が満面の笑みを浮かべ、俺をそっと抱きしめる。

その腕の温かさに、つい少しだけ安心してしまう自分がいた。


「……本当に仕方ない人ですね」


俺が呟くと、橡様が耳元でくすりと笑う。

その声が心地よく、俺もつい笑みを浮かべてしまった。

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